「侮れない奴」










志水クンは可愛い後輩。
24時間チェロと音楽のことばかり考えているような男のコ。
いつも眠たそうな顔をしてボンヤリしているけれど、本当は驚くほど深く物事を考えている人だと思う。



『志水は侮れない奴だぜ?』



心底からというふうに土浦君が呟いていたのにも頷ける。


そんな志水クンは穏やかで、言葉や表情を荒げるところなど見たことがない。
顔をあわせる度に喧嘩腰になる土浦君や月森君とは全く違うタイプだった。



先輩!」
「ああ、志水クン。今、帰り?」


「ハイ。先輩もですか?」
「うん。」


「なら、ちょっと聞いて欲しいことがあったんです。
 この前のセレクションで月森先輩が弾いてた解釈ですけど、先輩のとは随分と違ってて・・・」



冬海ちゃんと同様に人懐っこく私のことを呼ぶ彼。
自分が興味のあることを話しはじめると人の事などお構いなし。
私の返事など訊きもしないで喋り始めてしまった。


話しながら、実は言葉にすることで自分の考えをまとめている様なところがある彼だ。
私の意見を訊くというよりは、自問自答しながら結論を求めていく雰囲気になっていく。
いつもの彼に笑顔を浮かべながら、最後に『どう思います?先輩』と訊ねられるのを待っている私だ。



一生懸命な彼が可愛いと思う。
女のコみたいな容姿もあいまって上級生にも人気のある彼だが、今のところは音楽以外に興味はないらしい。



、お待たせ!」



向こうから土浦君が走ってきて、私たちの足が止まった。



「もう、遅いよ!」


「仕方ねぇだろ?サッカー部の連中に捕まってたんだから。
 いいじゃねぇか、志水に時間潰しをして貰ってたんだろう?」


先輩・・・土浦先輩と約束してたんですか?」



突然現れた土浦君を見て志水クンが訊ねてきた。



「今日は王崎さんに頼まれて、幼児教室の子供達の前で演奏をね。」
「そうなんだよ。面倒ったらないのに、コイツがイイ顔して気安く引き受けるから。」


「イイ顔って、だって先輩に頼まれたんだよ?土浦君だってニコニコして『いいっスよ』って言ったじゃない!」
「なに言ってるんだ。お前が縋るような目で『ピアノも、ね?』って念押ししたからだろ?」


「土浦君なら確実に暇だろうと思って。」
「はぁ?本当は忙しいのに付き合ってやってるんだぞ!」



コンと、土浦君が私の頭を軽く小突く。
それは痛くもない、土浦君が普段からする仕草だった。



「僕も行きます」



急に志水クンが会話に割って入ってきた。
普段にないハッキリとした意思表示に土浦君と二人で驚く。



「行くって、お前・・・」


「ピアノとバイオリンに僕が加われば『トリオ』になります。だから僕も行きます。」


「土浦君、いいじゃない。人数が多いほうが王崎先輩や子供達も喜ぶだろうし。」


「いや、まぁ・・・それはいいけどよ。」


「あ・・ありがとうございます。」



ペコリと頭を下げた志水クンに笑みが零れる。
本当に音楽が好きな彼の事だ。チャンスがあれば何にでも挑戦してみたいのだろう。



バスに乗る時「志水クンて、ホントに勉強熱心なコだよね」って土浦君に話しかけたら、
溜息と一緒に「まぁな」と気のない返事がかえってきた。


私を挟んで志水クンと土浦君が左右に立つ。
演奏する曲の打ち合わせをしながらの行き道だったのだが、
いつもならディスカッションが激しくなるのに左右二人とも静かだ。
天敵の月森君がいないと調子が出ないらしい土浦君は分かるけど、
細かい点にもこだわる志水クンが黙って頷いているのは珍しかった。



「いらっしゃい!」



笑顔の王崎さんに迎えられ、まだ子供が集まっていないフロアで音を合わせる。
だが実際に合わせてみると酷いものだった。



「志水君、どうしたの?いつもの音と違うね。」



心配した王崎さんが声をかけるほど、今日の志水クンは不安定だ。
技術的には全く問題ないレベルの曲なのに、彼はとても弾きにくそうだ。


ガリガリと頭をかいた土浦君がピアノから離れてしまい溜息をつく。
重苦しくなった空気を変えなくちゃ・・・と私は思った。



「ね、ちょっと休憩しよう?外でジュースでも飲もうよ。ね、志水クンも。」
「・・・はい」


「そ、だな。行くか。」


「あ、土浦君にお願いがあるんだ。君にはピアノのソロを一曲お願いしたくてね。いいかな?」



片眉を上げた土浦君だったけど笑顔の王崎さんを拒否できるはずもなく、おとなしくフロアに残ることになった。



、俺はコーヒーな。甘くないヤツ。」
「ハイハイ。」


「あと・・・」
「何?」


「いや、いい。もう一回は合わせるから、あんまり外で時間を潰すなよ。」
「はーい。行こう、志水クン!」



チラッと志水クンが土浦君を気にする素振りを見せたが、私は構わず廊下に出た。





外は良いお天気。
陽射しが降り注ぐベンチに座って深呼吸をする。
隣に座る志水クンは買ったオレンジジュースを握ったまま、蓋もあけずに足元ばかりを見ていた。



学校で会った時には普段と変わりなかったのに、僅かな間に様子が変わってしまった。
何があったのだろうかと考えても思い当たる節がない。
突然のスランプなのかな?



「志水クン。あの・・・調子ってイイ時もあれば、悪い時もあるよね?あんまり落ち込まないで?
 私なんか調子のイイ日の方が珍しいくらいで・・・」


「え?僕・・・落ち込んでましたか?」
「違うの?」


「あ・・・ちょっと考え事をしていて、集中できていなかったのは本当です。ご迷惑をかけて・・・すみません。」
「そ、それはいいんだけど。志水クンが演奏に集中できないほどの考え事って・・・まさか月森君と私の演奏の違いの件?」



話が途中になっていた件かと訊ねてみれば、志水クンがフルフルと頭を横に振る。
やっぱり何かが変。何がと、考えてハッとする。
彼が私と目を合わせてこない。
いつも思わずドキリとしてしまうほど真っ直ぐに私を見てくる志水クンの目が私を見てない。
今も靴先を見るようにして、私と視線を合わさずに話をしている。



「ね、志水クン・・・ひょっとして私が何かした?何か気に障ることをしたとか。もしそうだったら、」
「違います!」



勢いよく顔を上げた志水クンと間近で目が合った。
途端に視線が逸らされ、志水クンは口元を押さえて再び俯いてしまう。



「やっぱり私が何かしたのね?なら謝るから。」
「ち、違います!先輩は何も悪くない。」


「だったら、どうして私の方を見てくれないの?」
「それは・・・」



言いかけて志水クンが口ごもる。
その時に気づいた。横から見る彼の耳が不自然なほど真っ赤に染まっている。



「すみません。あまりに突然だったから、なんか・・・混乱してしまって。
 自分でもビックリして、でも考えれば考えるほど『なんだ、そうか』とも納得して。」



彼が何を話し始めたのか理解できない。
でも自分の考えをまとめていくような、いつもの話し方に結論が出るのを待とうと思った。



「土浦先輩が先輩に触れた時に・・・僕はすごく動揺して・・腹立たしくて。
 どうしてそんなことを思ってしまうんだろうって考えて、けど答えは一つしか見つけられなくて。」



土浦君が私に?
それって校門での出来事?


「僕・・・先輩が土浦先輩に触れられるのがイヤだった。
 誰にも触れさせたくないって・・・そう思ったんです。
 こういうの・・・何て言うんでしょう?どう思いますか、先輩。」



鼓動が早くなる。
今度は私が耳まで赤くなる番だった。



戻ってくるのが遅いと呼びに来た土浦君が私たち二人を見下ろし大きな溜息をついた。



「ホント、侮れない奴だぜ」と。










 








「侮れない奴」  

2007.02.16




















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