誰にもあげないで











土曜の午後、練習を終えて帰ろうとしたら木陰で昼寝している志水君を見つけた。
そのまま通り過ぎるのも何だかなと思い、そろそろと近づいて顔を覗き込む。
穏やかで規則的な寝息、まるで天使の休息みたいな寝顔だ。


空を見上げて考える。
さっきまで日射しがあって暖かかったけど、今は雲が出てきて風が冷たい。


このまま志水君を寝かせておいて大丈夫かしら。


寝顔を見つめながら暫し迷ったけれど、風邪をひいたら大変と結論を出した。



「志水君、ね・・志水君。起きて?」



大きな木に背を預けて寝ている志水君の隣にしゃがみ込み、まずは声をかけてみたけど返事がない。
仕方がないから、そっと志水君の肘を引いて体を揺らしてみた。



「志水君、起きて。風邪、引いちゃうよ?」


「ん・・・」
「志水君」


・・先輩?」



やっと薄く目を開いた志水君が長い睫毛を瞬かせて私の名前を呼んだ。
子供のような幼い仕草で目をこすると私の顔を見てニッコリと微笑む。
半分寝ぼけたような無垢な微笑みに、思わず「可愛い〜」と言ってしまいそうだった。


なんていうか、守ってあげたくなるような可愛さなのよね。



「曇ってきたから、ここは寒くなっちゃうよ。」
「そ・・ですか。あの・・・今、何時ですか?」


「えっと、二時過ぎ。」
「もう・・そんな時間ですか。」



癖のある髪に指を通して志水君が溜息をつく。
いったい何時から寝ていたのかしらと思ったところで、突然お腹のなる音がした。
ええ?と目の前の人を見たら、志水君が自分のお腹を押さえている。



「志水君、お腹すいてるの?お昼食べた?」
「まだ・・・です。」


「まだって、」
「お昼を食べる前に少しだけ寝ようと思って・・・」


「じゃあ昼前から、ここで寝てたの?」
「はい」



呆れた。
どこでも眠れるのは大物なのかもしれないけれど、あんまりでしょう。
ぐーぐーとお腹を鳴らし途方に暮れてる志水君を前にして、仕方なくカバンの中を探る。



「これ、あんまり美味しくないかもしれないけど食べる?」



差し出した紙ナプキンを開けば、ちょっと不格好で焦げたクッキーが現れる。
できたら他の人に見せたくなかった調理実習のクッキーだけど、見た目を我慢すれば食べられないこともない。
志水君は瞳を大きくしてマジマジと私の手のひらを見ている。



「えっと、どう見ても失敗作に見えるのがツライところなんだけど、一応は食べられると思うの。」


先輩の・・手作りですか?」
「今日の調理実習で作ったんだけど、あんまり上手にできなくて。」


「僕が貰って・・いいんですか?誰かに渡すものだったり。」



私の顔を窺うように志水君が訊ねてくる。
志水君にあげることは問題ないけど、料理ベタを知られるのが問題なのよね。



「別にいいよ。持って帰っても家族に笑われるだけだしね。どうぞ?」
「なら・・・いただきます。」



そう答えて、志水君は私の手のひらから一つクッキーを摘まむと口に運ぶ。
モグモグと食べては、また一つとクッキーを口に運ぶ志水君。


通りがかった他の生徒達がチラリと私たちを見ていくから恥ずかしい。
えっと、自分の手に持って食べて欲しいんだけど。
じゃないと小動物に餌付けしているような気持ちになってしまう。
そんな私の気持ちをよそに志水君は黙々と食べている。



「あ・・あの、志水君」


「オイシイデス。」
「え?」


「とても、・・・とても美味しいです。」
「あ、ありがとう。」



嬉しそうに微笑んだ志水君に何も言えなくなった私。
とうとう志水君は最後の一つがなくなるまで私の手のひらからクッキーを食べきった。



「御馳走様でした。」
「お粗末さまでした。」


「あの・・・先輩。」
「はい?」



紙ナプキンをたたむ私に志水君が小さく呟く。



「あげないでください。」


「え?」
「僕以外に・・・クッキー。」



余程お腹が空いていたのか、不格好なクッキーでも気に入ってくれたらしい。
可愛いセリフに「また作ったらあげるね」と言おうとした。


だけど続く志水君の言葉に思考が止まる。



「誰にも・・・あげないで。
 先輩の何もかも・・・誰にもあげないでください。」



そこには真っ直ぐ私を見つめてくる志水君の瞳があった。
いつもの眠そうで、ぼんやりした志水君じゃない。
ちゃんと男の子の顔をして私を見ていた。





トクン、と鼓動の跳ねる音を聞いた日。




















誰にもあげないで  

2007/08/31




















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