君は知らない
エントランスで土浦君を見つけた。
いつもの調子で声をかけようと胸を弾ませた時、柱の影に見えたのは音楽科のブレザーだった。
ああ、またか・・・と思う。
ここ最近はよく見る光景だと思いながらもギュッと縮むような胸の痛みに足が止まった。
土浦君は頭をガリガリとかきながら困惑顔。
片方の眉を上げると「ダメダメ」とでも言うように手を振った。
音楽科のコたちは何かまだ話しかけているのに、もう話は済んだとばかりに歩き出した土浦君と目が合う。
「!」
思いがけない大きな声で私の名前を呼ぶと土浦君が駆け寄ってきた。
「いいところに来たな、お前。ちょっと俺と一緒にいてくれ。」
「一緒にって・・・いいの?向こうからスゴク視線を感じるんだけど。」
「だからいいんだよ。お前、楽譜持ってるか?
それ出して相談でもしてるように見せかければ誰も寄ってこないだろ。ホラ、出せ!」
なんでそう急かすかな、なんて文句を言いながらも嬉しい私は口元が緩んでしまう。
手提げから楽譜を出すと適当に開いて、ついでに質問。
「ああそうだ、ここなんだけどね。」
「おい。マジで質問する気か?」
「いけないの?」
「いけなきゃねぇけど、こう・・他に話すことはないのか?」
話したいこと?そりゃイッパイあるわよ。
あのコたちと何を話してたの?また告られてたの?
私の知らないところで何人のコに想いを告げられ、どう答えたの?
だけど正面からは聞けないよ。
「そうねぇ、土浦君は密かにモテてるなぁとか?」
「こういうのモテてるって言うのか?単にコンクールに出る事で物珍しがられてるだけだと思うぜ。」
「そうかな?私は違うと思うよ。見た目はブッちょ面の愛想ナシ・・・ちょっと怖くて、」
「悪かったな!」
「でも本当は繊細で優しい。いつも人のことをさりげなく気にかけてくれる人だよね。」
「お前・・・よくそんな歯の浮くようなセリフをつらつらと。」
「ホントだよ?だから土浦君の弾くピアノは優しくて包み込むような温かさがある。」
土浦君は口元を押さえて黙り込んでしまった。
今のは本当の気持ち。
私は彼の奏でる音色に何度慰められたか分からない。
どんなに隠したって、彼の本質は音となって皆に知られてしまうのだと思う。
いつの間にか気づけば音楽科のコたちの姿が消えていた。
エントランスの人影もまばらになっているし、もういいだろう。
何だか急に自分の口にしたことが恥ずかしくなってしまい、私は楽譜を閉じると手提げに仕舞った。
「もう行ったみたいよ。それじゃ、またね。」
「ちょっと待てよ。質問は?」
「あ・・いいわ。屋上に行けば火原先輩がいると思うし、なんなら月森君に聞いてもいいから。」
「俺が教えてやる!さっきの出せよ。」
「でも・・」
「いいから出せ。」
眉根を寄せて睨まれたら言うことをきくしかない。
開いて差し出した楽譜を見ながら「で?」と首をかしげる土浦君。
楽譜を指差して話せば、ウンウンと頷きながら覗き込んでくるから距離が自然と近くなる。
鼓動が勝手に早くなるのと耳が熱くなるのを感じて戸惑うのに、土浦君は平気な顔で説明を始めてしまった。
大きな手に長い指が私の楽譜の上で跳ねる。
耳元近くに落とされる彼の声。
全てが私をドキドキさせる存在なのに・・・彼は知らない。
「分かったか?」
「え?」
問われて顔をあげれば、吃驚するほど近くに土浦君の顔があって思わず楽譜が手から滑り落ちた。
咄嗟に拾おうと手を伸ばしたところへ、土浦君の手も一緒に伸びてくるのが視界に入った。
それは一瞬の出来事。
床に落ちた楽譜とその上で重なった私たちの手。
唖然と顔を見合わせて、次の瞬間には弾かれたように手を引いた。
土浦君は「・・悪りぃ」と小さく呟き、落ちた楽譜を拾うとホコリを掃ってくれる。
私はというと触れた手が脈打つように熱くなって、胸の前で握り締めるしかなかった。
「ほら。」
「あ・・ありがとう。」
「俺は、」
「な、なに?」
「あ・・・いや、いい。今はやめとく。」
「やめとくって、なに?」
「やめとくんだから、やめなんだ。言わない。」
「なに、それ。」
言いかけた言葉を引っ込めた土浦君に助けられて、なんとか動揺した態度を誤魔化すことが出来たのにホッとした。
その時、ボソッと土浦君が呟いた。
それは私に聞こえても聞こえなくてもいいという感じの声で。
「お前は知らないから、な。」
顔をあげた時にはいつもの土浦君がいて、胸の前で腕を組むと不機嫌そうに言い放つ。
「で?説明は理解できたのか?」
「ええっと・・・もう一度お願いできますでしょうか?」
「ったく。もう一回だけだぞ?」
口ではそう言いながら何度でも教えてくれる彼を知っている。
いつか彼に伝えたい、私の気持ち。
こんなにも好きだってこと、
今は知らない土浦君に・・・いつか、そう思うの。
「君は知らない」
2007.01.21
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