夢と現実 〜後編〜












避けるといっても、無視するつもりはなかった。


今までならの姿を見つけると近付いていって話しかけていた。
それをやめただけ。


あんな夢まで見るようになって、を『女』として意識しまくっているのが嫌になった。
勝手に嫉妬したり、独占欲に振り回されるのは無駄にエネルギーを使う。
屈託ないの傍に、こんなこと考えている俺がいるのも騙しているみたいで気分が悪い。
少し頭を冷やすまで近づかない。そう決めた。


面と向かえば挨拶だってするし、が話しかけてくれば相手もしてやるつもりだった。
ただそういう機会には巡りあわなかっただけだ。



ひたすらピアノを弾いて十日もたった頃、加地が廊下で俺を待っていた。



さんが可哀想だよ」



加地の開口一番に眉を寄せる。
のことで加地に責められる覚えはない。



「突然やってきて、何だ?」
「何だじゃないよ。さんを避けて、彼女が悲しむのを見て楽しむ趣味でもあるわけ?」


「はぁ?」
「ずっとさんを避けてるだろう?それがどんなにさんを傷つけてるか分からないの?」



お前はの何なんだ。保護者か何かか?



喉まで言葉が出ていたが飲み込む。
俺の態度にが傷ついているというのが本当なら、嬉しいような申し訳ないような複雑な気分だ。



「別に避けているつもりはない」
「嘘だ。ナイトみたいにさんの傍にいたのに、突然離れたじゃないか」


「お前、ナイトって」
「それとも月森君の後を追って留学するつもり?だから彼女どころじゃないとか」


「月森、留学するのか!?」



それも寝耳に水だ。
目を見開く俺に向かって、加地が大きく溜息をつく。



さんはね、土浦まで留学するんじゃないかって心配してるよ」



加地は男の俺から見ても整った顔をしかめ、「こんなこと僕に言わせないでよ」と背を向けた。





俺はレッスン室に向かい、階段を二段飛ばしに駆け上がる。
どうでもいい時には意識しなくても見つけてしまうが探せない。



ここ最近は何処で何を弾いてるんだ?
それさえ把握できなくなっている自分がいて、空いてしまったとの距離を思う。


ガラス窓からレッスン室のを探していたら、運悪く柚木先輩と目が合った。
失礼しましたの気持ちで軽く頭を下げて逃げようとしたが、柚木先輩がフルートを下ろしてドアに向かってきた。



「どうしたの?誰かを探しているのかな?」
「え・・ああ、まぁ。すみません、邪魔をして」


「いいんだよ。で?探しているのは、ヴァイオリンを奏でるお姫様かな?」
「お姫様ではないとは思いますが、です」


「知ってるよ、彼女のいる場所」



柚木先輩が嫌になるくらい綺麗に微笑んだ。
女なら黄色い声でもあげたくなるのだろうが、どうも俺には底の知れない笑顔に思える。



「どこですか?」



身構えて聞けば、柚木先輩が人差し指を天井に向けた。


屋上か。



「ありがとうございます」



長居は無用と後ろを向けば、背中に柚木先輩の声が掛けられた。



「もう二度と教えてあげないからね」



思わず振り返ると既にドアは閉められ、柚木先輩の流れるような髪がガラスの向こうに見えた。


ということは、二度とは見失えないということか。
俺は唇の端に笑顔を浮かべ、屋上へと急いだ。





今日の屋上は風が強いらしい。
ドアに近づくだけで風の唸り声が階段に響いてくる。
こんな中で練習なんて出来るはずもないだろう。


俺は溜息と共に力を込めて鉄の扉を開いた。
思ったとおりに風の強い放課後の屋上になど人はいない。
もちろんヴァイオリンの音が聞こえるはずもなく、目当ての人間はただ風に吹かれていた。


何を考えているのか、は長い髪が風に遊ばれるのも気にせず遠くを見ている。
随分と寒いのに、このままだと風邪をひいちまう。



「おい、風邪ひくぞ」



俺に全く気付いてなかったらしい。
は飛び上るほどに驚いて、悲鳴にも似た小さな声を立てると身を竦ませた。



「び、びっくりした」
「同じ学校で言うセリフじゃないが・・・久しぶり」



の隣に並んで冷たい手すりを掴む。
目を丸くしたは、俺の言葉を飲み込むと緩やかに瞳を細めた。



「久しぶり」


「元気にしてたか?」
「まぁまぁ。土浦クンは?」


「馬鹿みたいにピアノを弾いてた」



俺の答えに、が困ったみたいに笑う。



「月森、留学するんだって?」
「うん・・・いつかは行くのかなって思ってたけど、こんなに早くだとは考えてなかった」


「憧れの月森がいなくなるんで落ち込んでるのか?」



見るからに元気のないだ。
黙ったまま視線を足元に落とし項垂れる。


俺のせいみたいに加地は言ったけれど、やっぱりにとっては月森が特別なのかもしれない。


加地の野郎、俺に変な気を持たせやがって。
傷心のを慰めるのが俺の役目じゃないか。



「まぁ、なんだ。一生会えないってわけじゃないだろ?
 メールとか電話だってあるんだし、繋がっていようと思えば何とかなるさ
 同じヴィオリンなんだし、続けていれば月森の行く道と重なる日も来る」



ああ、なんで俺が必死に慰めなきゃならないんだ。
頼むから泣いてくれるなよと俯くに願いつつ言葉を重ねる。
月森のために泣くに胸を貸すのは、想像しただけで俺が痛いから。



「・・・重ならなかったら」
「え?いや、だから重なるように努力してでだなぁ」



の呟きに頭をガシガシかきながら答える。
風が強くて目を開けてるのは辛いし、泣きたいのはコッチだ。
それでも耐えがたきを耐えてイイ人になっているのに、ときたら大きく頭を横に振った。



「土浦クンはピアノだもの」
「俺はピアノだが月森は・・・って、なんで俺?」



は相変わらず俯いたたまま。
だが俺は確かめたくて足を踏み出す。



「土浦クンも留学するんでしょ?金澤先生が話してた」
「ちょっと、待て」



俺も知らないのに、いつの間に俺は留学することになってるんだ。


が突然に顔をあげた。
風にあおられる髪の間から覗く瞳には今にも涙が零れそうなほどたまっていて、俺のほうが混乱する。



「ずっと避けられてて・・・どうしたのかなって、何か怒らせるようなことしたのかなって
 どうしていいのか分からなくて、そしたら土浦クンも留学するって
 私、いつも土浦クンに練習を付き合ってもらって迷惑かけてて」


「おい、待てって。俺はいつでも弾いてやるって言っただろ?迷惑なはずがない」


「だって、留学のこと言ってくれなかった!!黙って、私を避けた」



感情的になったの瞳から溢れた雫が頬に落ちた。
なんで泣くんだ、バカ。好きな女に泣かれるのが、男には一番こたえるんだってこと知れよ。


一瞬は言葉を探した。
探したが、うまい言葉が見つからない。
見つからない時はどうすればいい?


俺の中にある答えなんて、こんなもんだ。



俺はの腕を掴み、力任せに引っ張った。
あっけなく胸に倒れこんできたの肩を逃がさないように強く抱きしめる。



「俺はお前が好きなんだっ」



風にさらわれる髪さえ逃さないよう片手で頭を支えると、俺にはない柔らかな香りがした。


いつか見た夢が重なる。
薄くて華奢な体、なのに温かくて柔らかい。



「いいか、よく聞け。後で金やんを問い詰めるが、俺に留学の予定はない
 お前を避けていたのは認めるが、迷惑だとかそんな理由じゃない」



腕の中のは動かない。
だから俺は覚悟を決めて、この際は全てを言うしかなくなった。



「お前が好きだから避けていた
 誰にでも笑いかけるお前見てると苛々するんだ
 だから頭を冷やそうと思った。それだけだ」



自分で言っていて情けない言い訳だ。
夢の中ではも『好きだ』と言ってくれたのだが、それは都合のいい俺の夢。
とにかく今はの涙が止まれば、それでいい。
後の気まずさなど、また後で考えるしかないだろう。



「そういうことだから泣くな、な?」



がおとなしいから段々と俺も冷静になってきて、居た堪れない気がしてきた。
そろそろと腕の力を抜き、そっと体を離す。
しかし怖いもの見たさで窺ったは、思いっきり俺を見上げていた。



思わず息をとめる。
引きつっているだろう俺の表情を見たが、潤んだ瞳で笑った。


笑ったと、ホッとした俺。



「私・・・土浦クンのピアノ好きだから」



この期に及んで、俺のピアノかよと脱力する。
たが続けてが小さく付け足した。





「土浦クンも」





寒さなのか、照れなのか知らないが、の鼻の頭が赤かった。
それが無性に可愛く見えて。





ただ、ただリアルに愛しかった。




















夢と現実〜後編〜 

2008/11/10




















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