青少年の事情
音楽科に転科して初めての夏。
金澤先生の勧めで参加した合宿は日程の半分を過ぎたところだ。
扉の前に立つこと三分。
別にやましいことはないのだからノックすればいい。
そうは思いながらも手が動かない。
志水君が出てきたら「土浦クンに返したいものがあって」と呼んでもらう。
他の人もいたら「冬海ちゃん知らない?」と探しているフリをして出直す。
土浦クンだけだったら、とにかく誕生日プレゼントを渡して逃げる。
頭の中ではシュミレーションしているものの、なかなか勇気が出ない。
合宿が土浦クンの誕生日と重なってしまったのがツライ。
早めに渡すか、帰ってからでもいいとも思ったのだが、せっかくなら当日に渡したいと思うのが『気持ち』だ。
学校でなら何処ででも渡すチャンスがあるのだが、合宿では常に人目があって渡す場所がない。
自由時間に部屋へ訪ねるのが一番だと思ったのだけど、いざとなると本当に渡していいのか怯んでしまう。
やっぱり帰ってからにしようかな。
でも今朝の土浦クンを思い出したら渡したいと思ってしまった。
食堂で顔を合わせた今朝、すれ違いざまの「おはよう」と一緒に「おめでとう」を小さく付け加えた。
すると瞳を大きくした土浦クンが、次には嬉しそうに微笑んで「ありがとな」と私の頭を撫でていった。
一言だったけれど、言葉だけでも土浦クンが喜んでくれたのが分かって、とても嬉しかった。
ここで諦めちゃ駄目だ、渡すだけなんだから。
「ファイト、オー!」 頑張れ、自分!
「お前、こんなところで何やってるんだ?」
片手にプレゼントを抱えたまま自分を応援していたら、後ろから突然に声を掛けられた。
飛び上りそうな勢いで振り向けば、マグカップ片手に立っている土浦クンが怪訝な顔で見下ろしている。
本人が後ろに立つという事態を想定していなかった私は慌てた。
つい持っていたプレゼントを背中に隠し、お愛想笑いをしてしまう。
「あ、えっと、その・・・散歩?」
「俺は下へコーヒーを貰いに行ってきただけ。お前こそ、何やってるんだ?」
「え?ああ、私はね・・・私こそ散歩!」
「散歩だと?こっちは男部屋ばっかなんだから、あんまウロウロするのはどうかと思うぜ?」
「そ、そうだね。」
「まぁ・・俺に用事があるんなら別だけどな。」
土浦クンは手にしたマグカップに口をつけ、少しだけ意地悪そうに笑う。
なんだか思いっきり目的がバレてるみたい。
とにかく今のところ廊下には誰もいないし、
二人きりには違いないのだからチャンスなんだろう。
恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じながら、勢いよく背中からプレゼントを出してきて土浦クンに突きつけた。
「なんだよ。乱暴なヤツだなぁ。」
胸に押し付けられた包みを受け取った土浦クンが可笑しそうに言う。
茶化しながら土浦クンも心なし顔が赤くなってる気がして、私はますます恥ずかしくなってしまった。
「誕生日プレゼントだから!じゃあ、さようなら。」
当初の予定通りに急いで回れ右をしたのだが逃げられない。
何故なら後ろからガッシリと腕を掴まれてしまった。
脇にプレゼントを挟んだ土浦クンが私の腕を掴んだまま、手にしたマグカップを廊下に置いた。
何をするつもりかと思った時にはドアが開いて、部屋に引きずり込まれてしまった。
せっかく綺麗に包んでもらったプレゼントが足元に落ちていく。
抗議をしようと顔をあげた時には背中で部屋の扉が閉まり、土浦クンに強く抱きしめられていた。
「つ、土浦クン、待って!」
「なにを?」
耳元で聞く彼の声は心臓に悪い。
逃れようと身を捩ったところで、体格の差がありすぎてビクともしないのは経験済みだ。
「志水君が、」
「アイツは練習室だ。さっき入ったからな、暫く出てこない。」
「で、でも」
「ちょっと黙れよ。誕生日なんだから、いいだろう?を充電したい。」
そう囁かれてしまったら、体の力が抜ける。
硬派だ、強面だと噂されている土浦クンの甘い声は反則だと思う。
私が体の力を抜いたのを知ると、やっと腕の力が緩んだ。
合宿に入ってから努めて距離を取るようにしてきた。
参加しているメンバーに気遣いや嫌な思いをさせないように。
そして、お互いが目標を持って合宿に参加しているんだから音楽に集中しようと。
だからこそ「おめでとう」と告げるのも、プレゼントを渡すのにも躊躇った。
「お前と普通に接するのって、結構キツイ。」
「え?」
「目の前にいるのに触れられないのがストレスだ。」
何を言い出したのかと腕の中で顔を上げれば、眉を歪めた土浦クンが天井を見ながら続ける。
「他の奴らと仲良くされてると腹が立ってくるし、姿が見えないと心配にもなる。
そろそろ限界だなと思ってるとこで、んな可愛いことされたら無理だろ。」
意外な告白に頬が熱くなってくるのを感じていたら、土浦クンが視線を合わせてきた。
あまりに近い距離。
土浦クンの瞳が直ぐそこにあって、睫毛が触れそう。
目を閉じるしかないよ。
だって・・・私も土浦クンと同じ気持ちだったから。
唇の上に吐息を感じたと思った時だ。
いきなりドアが開いた。
「あ、邪魔した?」
弾かれたように離れた私たちを見て、気の抜けた声を出したのは金澤先生だった。
片手には土浦クンのマグカップを持っている。
「ドアの前に湯気の立ってるコーヒーが置かれてたもんだから、どうしたのかなぁ〜とね。
ああ、悪い悪い。ノックぐらいすりゃよかった。
まさかお前さんたちが愛を育んでいるとは思わなかったもんだから。
まぁ・・・なんだその。青少年の事情は理解できるが、ちっとは我慢しろよ。
俺の立場もあるからな。ま、そこらへん察してくれや。」
言葉も出ない私たちに向って延々と語った金澤先生は「ほい」と土浦クンにマグカップを手渡すと、
同情したような目で彼の肩をたたき最後に言った。
「まっ・・土浦、頑張れよ。、お前さんを冬海が探してたぞ。じゃあな。」
言うだけ言って、金澤先生は部屋を出て行った。
「最悪だ・・・」
土浦クンがマグカップを握ったままうずくまる。
それから合宿が終わるまで、私たちはお互いと金澤先生を避けまくった。
青少年の事情
2008/04/13
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