美しき時は過ぎゆく
「海にでも行かないか?」
「海?」
の瞳が丸くなってるのに笑ってしまった。
空は快晴。
潮風は吹いているが強くない。
彼方にある水平線は太陽の光を集めて輝き、鏡のよう。
砂浜から感じる春の陽射しの暖かさに、は靴を脱ぎ捨てた。
「なんですか、それ?」
「ビデオカメラだ。」
「そんなもの持ってたんですね。なんか意外。」
「俺のじゃない、火原のだよ。オケ部の練習、撮ってたやつを借りてきた。
さて、どうすれば撮れるのかな?ここかな。」
が俺の手元を興味津々で覗き込んでくる。
お前が前に立つと暗いんだと文句を言いながら操作する。
こんなもの初めて手にするから分からない。
火原に聞いておけば良かったが、アイツの要領得ない説明は疲れるし、下手に勘ぐられても困る。
『貸すのはいいけどさ。誰、撮るの?』
そう火原は訊いてきた。『何、撮るの』じゃなく『誰』と。
無意識かもしれないが変なところで勘の鋭い奴だから油断できない。
「先輩、そこじゃないですか?」
「分かってるよ。」
DVDを入れようにも、どこに開くボタンがあるのか分からなくて探していたら、が横から口を出す。
「お前、うるさい。そこらで砂の城でも作ってろ。」
「はいはい。」
「ハイは一回だ。」
口を尖らせたが浜辺に向かって歩き出す。
その背中に目を細めながら、コンビニで買った新品のDVDをセットした。
ボタンを押して覗き込んだレンズの向こう、は足首まで波に浸かって遊んでいる。
点滅する赤いランプが、なんとなく俺を急かす。
「」
名前を呼べば、は無防備に振り返った。
「やだ。私を撮るんですか?」
「当たり前だろ。海なんか撮って何になる?ほら、何か芸でも見せろよ。」
「芸って、そんなものあるわけないでしょ?」
「水着にすれば良かったな。」
「今は三月です。」
「いいから適当に動けよ。・・・画面が暗いな。」
「逆光だからじゃないですか?」
録画してるのに被写体は遠慮なく近づいてくる。
カメラを横から覗き込み、「あ・・・綺麗に海が映ってる」と、暢気なものだ。
当然カメラには海しか映っていない。
は俺の隣で、位置が悪いとか、どこか明るさを調節できるはずだと研究し始めた。
「いいから、お前は向こうでモデルをしてろよ。」
「嫌ですって。なんか恥ずかしいし・・・あ、ここ。これが明るさ調節。」
「コラ。勝手に横からボタンを押すなよ。変なものが出てきたじゃないか。」
「変なもの?」
「ホラ、画面の隅。」
「これが重要なんですよ。」
「どう重要なのか説明してみろ。」
「もう、すぐ怒る。あっ!先輩、これ録画のままじゃないですか?
声が全部入ってますよ。一度消して、撮り直します?」
「別にいいよ。これも面白いし。」
景色と一緒に俺たちの会話だけが入っているのもいいだろう。
「とにかく俺が撮りたいんだから、お前は適当に遊んでろよ。」
「適当って、せっかく二人で遊びに来たのに。」
「俺は楽しくビデオカメラで遊んでいるから大丈夫だ。」
「もうっ」
再びが海に向かい、俺はその後ろを追いかける。
波打ち際で足を水につけたは「冷たいですよ」と眉をしかめた。
はじめはカメラを意識して緊張していたも、時間がたつにつれ慣れてきたらしい。
足もとの貝殻や翡翠色の石を拾っては手のひらに載せて喜んでいる。
「ほら!この貝、真っ白ですよ。ちょっと縁が欠けてるのが残念だなぁ。」
「指、怪我をするなよ。」
俺の声にが嬉しそうに笑う。
欠けていると言ったくせに、大事そうに貝殻をハンカチに包む。
その横顔が優しくて、俺は自然と画面をズームさせた。
が笑う。
波の音に耳をすませ、潮風に髪を遊ばせる。
子供みたいに波と戯れては、手のひらイッパイに光りを集める。
「柚木先輩」と俺の名を呼ぶ時、どんな顔をお前がしているか知っているか?
柔らかな慈しみは、お前の奏でる音色と同じだ。
心地よく、俺の中に沁みわたっていく優しさ。
過ぎていく時間。
決して戻らない一瞬を、残したいと願うのは人間の我儘だろうか。
「ねぇ、先輩も撮ってあげましょうか?」
「いいよ。」
「なら一緒に撮りません?」
「どうやって?」
「どうしようかな・・・」
暫し考えていたが、目を輝かせて遠くに置いたヴィオリンケースを指差す。
呆れたヤツだ。
大事なヴィオリンケースの上にカメラを置いて撮るつもりらしい。
月森が知ったら激怒しそうな行為だが、は気にするふうでもない。
ジャケットやら荷物を重ねて高さを作り、その上にケースを置く。
その更に上へビデオカメラ。
「安定感がないんじゃないか?それに膝下しか写らないだろう。」
「二人して砂浜に正座すれば、何とか。」
「嫌だ。服が汚れる。」
「仕方ないなぁ。じゃあ、楽譜をお尻に敷きますか?」
「お前」
一発、頭を叩いておいた。
軽くとはいえ女のコに手をあげるなんて、今までの俺なら考えられないことだ。
まったく、もう。お前と居ると飽きることがない。
「ハンカチで我慢するか。」
「先輩、試しに撮ってみますから座ってみてください。」
「俺に命令するな。」
「はいはい、ではお座り頂けませんか?あ・・・ウン、いい感じです。」
ハンカチの上に腰をおろし、膝を立てる。
その隣にがやってきて、スカートのまま砂の上に正座した。
「で、どうするんだ?」
「どうしましょう。」
「ビデオカメラに向かって並ぶことに、何か意味があるのか?」
「そうですね。えっと、柚木先輩から一言とか?」
「・・・誰に?」
「私に?」
訊いてるのは俺なのに、何故疑問符なんだ。
俺は笑いを噛み殺しながら、そうだな・・と顎に手をあて考えるフリをする。
の瞳が期待して輝いているのを横目に俺は口を開いた。
「音楽は日々練習だよ。とにかく真面目に練習すること。」
「・・・お説教は止めてください。あと、良い人バージョンで喋るのも止めてください。」
「あっ、そう。せっかく作り笑いをしてやったのに。」
「いいから、早く。もう録画時間が残り少なくなってましたから。」
肩が触れ合う距離でが急かす。
じゃれあうように笑いあって、俺は再びレンズにむかった。
丸いレンズの向こう・・・未来に語りかけよう。
「」
俺の声に隣のが反応したのを感じた。
ねぇ、。
残しておくから。
「音楽は・・・どんな時もお前の傍にある。けして手放してはいけない。
これから先、どんなに辛い時も、寂しい時も、孤独な時も。
きっとを助けてくれる。
俺はお前の音を愛している。
愛する音を奏でる、お前のことも愛しているよ。
これから先、ひとりになった時も忘れるな。
お前には俺の愛した音楽があるということを。」
は泣いた。
こんな思い出はいらないと、差し出したDVDを受け取ろうとしなかった。
空は何処までも青く、風は暖かな春の気配をのせ俺たちを包む。
美しい時は過ぎてゆく。
美しき時は過ぎゆく
2007/10/25
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