なんでもない一日
朝は上滑りの会話と共に、家族と食卓を囲むことで始まる。
もう慣れているから何ということもないが、他人から見れば緊張感に満ちた食事風景だろう。
どんな料理も味など分かりはしない。
「梓馬さん、聞いていますか?」
「もちろんです、お祖母様。」
お小言の矛先が俺に向く。
まったくもって目敏い人だ。
車の中から見慣れた背中を見つけた。
だ。
声をかけようか迷ったが、うるさい報道部の女が一緒だから止めておく。
隣を車で通り過ぎれば、二人が同時に「あ・・・」という顔をしていて可笑しかった。
車を降りれば、甘いものに群がる蟻のような女たちに囲まれた。
毎日よく飽きないものだなと感心しつつ、完璧に作った笑顔で応える。
そこへ俺を救出にきてくれるのが火原。
「柚木〜っ!おはよっ」
「おはよう、火原。」
「あのさぁ、今日の課題なんだけど」
「見せてもいいけど、丸映しは駄目だよ?」
「柚木、大好きだよっ」
男に好きだと言われてもね。
けど火原は嫌いじゃない。傍にいると、肩の力が抜けるのは内緒だ。
今日も一日、完璧な柚木梓馬を演じる。
隙なく、誰もが認める姿に。
放課後、練習室の窓を開けて空を見上げればヴィオリンの音が聞こえてきた。
ああ・・・この音は。
屋上へ続く鉄の扉を開けば、予想通りの人物が練習をしていた。
「下手くそ。」
キリのいいところで呟いてやれば、ハッとしたが振り返って情けない顔をする。
火原ほどではないにしても、感情が直ぐ顔に出る女だ。
「下手、下手って言わないでくださいよ。自覚してるんですから。」
「ゴメンね、僕は嘘をつくのが苦手で・・・」
にっこりと微笑んでやったら、本気で嫌そうな顔をしたが睨んできた。
彼女の脇にあるベンチに腰をおろし、無造作に置かれている楽譜をパラパラとめくる。
可愛らしい丸みのある文字が幾つも書き込まれていた。
「ちょっと、勝手に見ないでください!」
「いいじゃないか、減るもんじゃあるまいし。」
「減らなくても馬鹿にするでしょう?」
「よく分かってるじゃないか。」
「か、返して」
の手を避けて頭上に楽譜を広げれば、ムキになって取り返そうとしてくる。
「え〜っと、人差し指の・・・」
「やめて!やめてくださいってばっ」
「ちょっ、お前」
俺の体に乗りかかるようにして楽譜へ手を伸ばすに押しつぶされそうになった。
鼻先には普通科の制服と柔らかな甘い香り。
遠慮なく俺の手首を掴んで喜んだが俺を見下ろす。
そこで自分の胸を押しつけるようにして下敷きにしている俺に気付くと、奇妙な声をあげて飛びのいた。
「す、すみませんっ」
「・・・俺を殺す気か?」
「だって先輩が」
クッと声が漏れた。
俺は楽譜で口元を隠して笑う。
顔を赤くして何やら恨み事を言っているが可笑しい。
毎度のごとく、からかい甲斐のある奴だ。
思いがけず見つけた俺の玩具。
「俺が教えてやろうか?」
「い、いいです」
「遠慮するなよ。」
「してませんって!あ・・・」
が瞳を丸くして俺の手元を覗き込んでいる。
何だと目で問えば、恐々と俺の手のひらを指差した。
「今、チラッと見えたんですけど、生命線が長いですね。」
俺が手のひらを見つめれば、隣に腰を降ろしたが楽しそうに「ほら、ほら」と指す。
「長いでしょう?柚木先輩、長生きしますよ。」
こんなツマラナイ人生が長く続くと思えば嬉しくもない。
なのには嬉々として自分の生命線と長さを比べている。
「実は私も長いんです、ちょっと自慢。」
「見せてみろよ。」
の手を取って、自慢の生命線とやらと比べてみる。
手の大きさに差はあるが、長さとしては同じくらいか。
口元を押さえたが嬉しさを隠せないように笑う。
「同じくらい生きられそうですね。」
単純な、奴。
だけど・・・お前らしい。
ほんのりとお前の耳たぶが染まっているのが分かるから。
触れた手が柔らかくて小さいから。
とても嬉しそうに笑うから。
まぁ、いいかと思う。
肩を並べ、大きさの違う手を並べ、お互いが胸に想いを秘めて。
今日も過ぎていく、なんでもない一日。
なんでもない一日
2007/10/05
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