million Hit企画 「100万回の好き」 〜手塚編〜
あの人が好きになる人って、どんな人だろうって思っていた。
「手塚君、好きな人がいるから受け取らないって」
「やっぱり他校にカノジョがいるのかなぁ」
クラスメイト達からは、どれも似たり寄ったりの言葉が繰り返されている。
去年も断っていたけれど、テニス部の女子たちからは受け取っていた。
今年は女テニからでさえ受け取らない。
その理由が『好きな人』だと明かされて、手塚君ファンではないコにまで噂されていた。
そして、私はゴミ箱の前に立っている。
だいそれたことを考えたものだと自分でも思う。
手にした小さな包みは私のささやかな想いがつまったチョコレート。
渡せるはずもないのに手作りして、ラッピングして、カードまで書いて。
結局は渡す前から行き場を失ってしまった。
人の少ない放課後の図書室で捨てるのは意味がある。
手塚君が好んで座る席の近くにあるゴミ箱に、申し訳ないけれど彼の代理をしてもらうつもりだった。
彼の名前が書いてあるカードは抜いて、白い包みに水色のリボンだけになったチョコをゴミ箱に落とす。
「ゴメンね」
捨てられるチョコレートは、私の恋心。
諦めるしかない恋心に謝った時、背中から声をかけられた。
「?」
声だけで分かる、その人。
心臓が止まったかと思うほどに体が竦み、脇に挟んでいた返却の本が音を立てて落ちた。
慌ててしゃがみこむと、私が拾うより先に長い指が本を集めていく。
「すまない。驚かせてしまった」
背の高い彼は体を軽く折るだけで、床まで簡単に指がつく。
鼓動が彼に聞こえてしまうんじゃないかと思うぐらいうるさくて、私は赤面しながら俯いた。
「あ・・ありがとう、手塚君」
「いや。予約していた本を取りにきたのだが」
「そうなんだ。えっと・・ゴメン、まだそっちの方に目を通してなかったから」
しどろもどろに答えて立ち上がった。
彼の予約した本が入っていると知っていたなら、もっと注意してたのに。
すでに部活へ向かったはずだと油断していた。
整理しかけだった本を手渡され、目も見られずに「ありがとう」と頭を下げる。
その時だ。手塚君が再び体を折って床から何かを拾った。
「これは?」
手塚君の訊ねるような声に、俯き加減に前髪の間から彼を見た。
彼の指に挟まれているのは小さなカード。
それは私の指から零れ落ちた、彼を慕う気持ちの欠片だった。
思い出すたびに、夢だったんじゃないかと思う。
暮れていく夕日が窓から差し込んで、彼の顔をオレンジに照らしていた。
手塚君はカードの宛名を確認するとゴミ箱を覗きこんだ。
違うの、お願い見ないでと、夢中で彼の腕を掴む私に少しだけ視線を移した手塚君だったけれど、
彼はそのまま迷いもなくゴミ箱に手を突っ込んでしまった。
ゴミ箱から拾われた白い包み。
それさえも彼と同じで西日に染められ色を変えていた。
「俺が貰ってもいいものだろうか?」
静かな手塚君の声だった。
私は子供みたいにポロポロと涙をこぼし声も出ない。
ただ恥ずかしくて、彼が拾ってくれた意味も言葉も理解などできなかった。
手塚君は困った顔で小さな包みを胸のポケットに仕舞うと、別のポケットを探りだす。
そして、折り目のついた彼らしい紺色のハンカチを差し出して言った。
「ありがとう」と。
受け取ってくれたことに意味があるのだろうか。
いまだによく分からなくて、他の人に言えないでいる。
手塚君は無口だけれど、話しかければ誰とだって普通に話せる。
本好きの彼は図書室に現れることが多くて、図書委員の私は話すことも多かった。
だからこそ私は彼の人柄に触れることができ好きになったのだけれど、手塚君はどうなのだろう。
私の知る限り、他に彼がチョコを受け取ったという話はない。
期待してもいいのだろうか。
彼はテニスだって、勉強だって、何だってできる優秀な人だ。
そんな人が私のことを好きかもなんて・・・勘違いだったら笑い話にもならない。
でも・・・ゴミ箱から拾ってまでチョコを貰ってくれるなんて。
思いは右へ左へと揺れる。
手塚君はチョコを受け取ってくれたけれど、それ以上は何も言わなかった。
あの後すぐに大石君が迎えに来たからだ。
「すぐ行く」
入口に大石君が顔をのぞかせると、手塚君はさりげなく私を隠すように立って彼に答えた。
大石君の姿が見えなくなって振り返った手塚君がホッとしたように瞳を和らげる。
「涙は止まったようだな、よかった。じゃあ・・・」
「こ、このハンカチ」
「ああ。使ってくれていい」
そう言い残し、私にハンカチを握らせたままで彼は図書室を出ていった。
取りにきたという予約した本は受け取らず、振り返りもせずに。
翌日も彼は普段と変わらずに教室にいた。
私はハンカチを綺麗に洗い、彼が借りるはずだった本と共に渡すチャンスを窺っている。
すぐに渡せばいいのだけれど心の準備がいるし、なんと言っていいのか分からない。
頭の中でイメージした言葉は、どれもシックリこずに飲み込んでばかりだ。
昨日はありがとう。
この一言は決まっているのだけど続く言葉に迷う。
受け取ってくれた意味を教えて?
こう単刀直入に訊けたなら、昨日のように眠れない夜を過ごすこともないだろうに。
踏み出せないうちに昼休みになってしまった。
食事を終えた手塚君が席を立ち、廊下に出て行く。
チラリとも私に視線を寄こしてくれない姿に、やはり昨日のことは幻だったのではと思う。
手塚君が出て行って直ぐに、彼の本が頭に浮かんだ。
借りそこねた本を図書室に借りに行ったんじゃないか、と。
だとしたら私の手元に本はあるのだから無駄足になってしまう。
そう考えると座っていられず、私は本とハンカチを持って教室を出た。
図書室は校舎の端にある。
廊下を行きかう生徒たちの間をかいくぐって手塚君の背中を探す。
なかなか見つからない手塚君に見当違いだったかなと思い始めた頃、図書室へ続く下の階段から人の声が響いてきた。
「彼女が百人目だったというわけかにゃあ?」
「なんのことだ?」
「ほら、前に話したじゃん?
次々と女のコを振ってくけど、誰とだったら付き合うのかって
手塚が誰とも付き合わないって言うから、桃が百人目に告ってきたコはどうですかってさ
まさか律儀に数えて、メモでも取ってた?」
百人目って、なに?
頭が回らなくて、なのに膝が震える。
私と手塚君は付き合うの?たまたま私が百人目?
階下から漆黒の髪と明るい髪色が並んで見えてきた。
逃げなきゃと思うより先に漆黒の頭が動き、メガネ越しに私と目が合う。
手塚君の瞳が大きくなった。
もう足が動かないよ。
馬鹿みたいに突っ立って、驚いた顔の手塚君から目を逸らすしかない。
彼の隣を歩いていた菊丸君も私に気付いて、シマッタという表情をした。
「ち、違うんだって。えっと、あの」
「菊丸、先に行っててくれ」
「でも」
「大丈夫だ」
慌てる菊丸君に答えながらも、手塚君の瞳は真っ直ぐに私を見上げている。
その瞳に腕を掴まれたみたいに私は動かずにいた。
酷く心配そうな目をした菊丸君が私の横を通って階段を上がっていく。
すれ違う時に「本当にゴメンね」と囁かれて、鼻の奥がツンとした。
菊丸君の足音が上階に消えていくと、手塚君がゆっくりと階段を昇ってきた。
私の数段下で足を止め、視線を合わせると手を前に出す。
「本、持ってきてくれたんだな。ありがとう」
私は涙をこらえて、彼に本とハンカチを渡した。
上から何人かの生徒が降りてきて、私たちを物珍しそうに見ていく。
手塚君は瞳を細めるように私の顔を見ると、左手を伸ばそうとして拳を握りしめた。
「場所を変えよう。少し話がしたい」
言われて、返事も待たずに歩きだす手塚君の後ろを涙を堪えてついていった。
図書室の脇から続く外の渡り廊下に出ると、制服だけの体を北風が吹き抜けていく。
渡り廊下の先にある体育館からは男子たちの笑い声やボールの音が響いてくるけれど、
この寒い時期に好き好んで外に出てくる生徒は誰もいなかった。
足を止めた手塚君が右手に本を抱えたまま振り返る。
私は凍える自分の体を抱きしめるようにして手塚君を見上げた。
「もう一度だけ確認したいのだが、
あれは俺のために作ってくれたのだと思って良かっただろうか?」
私はぎこちなく頷く。
とにかく寒くて凍える。心も震えて、頭の芯が冷えていくみたいだ。
今さら何を確認するのだろう。
カードには『好きです』なんて書けなかった。
部活を頑張ってみたいなことを書いたけど、
男のコには手作りのチョコを渡す女のコの気持ちが分からないのかな。
『彼女が百人目だった・・・』
菊丸君の声が耳の奥でリピートされる。
そうだよね。
そんなことでもないと、私なんてありえないか。
「なら俺と」
「こんなの・・・手塚君らしくない」
「俺らしくない?」
手塚君の言葉に重ねて私が言えば、眉を寄せて彼が聞き返してきた。
こうやって時々は本のことで話をしたよね。
手塚君が借りた本を見つけるたび、私は夢中で読んだ。
私が借りた本を後で手塚君が読んでることも多くて、よく披露しあっては感想を話したよね。
ああいう時間が、とても楽しかった。
手塚君は登場人物の気持ちがよく読めていて、何度も心の深い人なんだと感心した。
そんな手塚君らしくないと思うのは、私の思い上がりだろうか。
「好きな人がいるなら、私のチョコなんて拾っちゃ駄目だし
好きでもないのに無理して付き合おうとするのも・・・違うと思う」
語尾が震えてしまった。
寒さもあったけれど、目の奥が熱くなって息が震える。
手塚君だって同じ風に吹かれているのに、彼は微動だもせずに立っていた。
ああ、きっともうすぐ予鈴が鳴る。
私は首を竦めると、精一杯の気力で微笑みを作った。
「教室に戻らなきゃ」
「」
名前を呼ばれて、作り物の笑顔が歪むのが分かる。
涙が零れそうになって俯けば、足元に彼の靴先が見えた。
靴先は一歩、二歩と私に近づき、同時に軽く頭を撫でられる。
慣れない感触に思わず顔をあげたら、手塚君がとても穏やかな目で私を見下ろしていた。
「よく・・俺は言葉が足りないと言われる」
頭の上に乗せられた手が、右肩へ降りてきた。
冷えた肩に人の温もりは優しい。
そう考えると耐えていた涙が落ちた。
「は泣き虫だったんだな」
「だ、だって」
笑いを含んだ声に目元を擦れば、自分のものではない大きな手に手首を掴まれて鼓動が跳ねた。
さっきあった肩の温もりを直に感じれば体温が上昇する。
手塚君は目に見えて息を整えると、心を決めたように口を開いた。
「今年は好きな人がいるから、その人からしか受け取らないと決めていたんだ
なのに待てど暮らせど持ってこないから、痺れを切らして回収しに行った
そうしたら待ち望んだチョコレートはゴミ箱に捨てられていたんだが、どう思う?
想いは同じだと感じていた俺は何だったのかと、正直落胆した
なのにお前は俺が悪者みたいに泣きじゃくるし
今日は今日で菊丸の冗談を真に受けて、また俺を責める
どうすれば分かってもらえるのか・・・」
唖然とする私に手塚君は深い溜息をつくと、まぁ・・おいおいかと諦めたように呟いた。
手塚君は私の手首を離して腕時計を確認する。
そして返したばかりのハンカチを再び私に差し出すと悪戯っぽく微笑んだ。
「残り五分で泣き顔を何とかしてくれないか?
そんな顔を俺以外の誰にも見せたくない」
そんなに酷い顔?
それとも他の人に何かあったのかと勘繰られるのが嫌?
自信の持てない私はこの期に及んでも怯んでしまう。
それを敏感に察したらしい手塚君は、再び溜息をついて言葉を付け加えた。
「・・・可愛いから」
そう言った手塚君は、残りの時間を借りた本の内容で潰した。
実は自分の言ったコトに照れていたのだと後で知る。
手塚君が携帯の番号を聞いてきたのは、それから三日後。
初めて電話をしてきたのは更に三日後。
そんな調子で、いまだに『付き合ってくれ』とは言われていない。
だけど分かってきた。
本の貸し出しカードに並ぶ私の名前と手塚君の名前。
直接ではなくても、こうやって何度も想いを伝えてくれていたんだと思う。
「お前の読んだ本、いま俺も読んでいる」
そう言って話しかけてきた彼。
たくさんの『好き』をお互いが伝えてきた。
きっと、これからもずっと。
100万回の好き 手塚編
2008/12/02
テニプリ短編TOPへ戻る