『お慕いしております 〜忍足侑士編〜』
桜の花びらがひとつ、ふたつと散っていく。
それを眺めている姫の黒髪にも薄紅色の花びらが舞い落ちた。
漆黒に染め抜かれた衣に落ちた一点の紅。
知らずに息を止めたまま、
それに見入っていたことに気づいた忍足は小さく息を吐いた。
「一の姫様」
久し振りに呼んだ名に、姫はゆっくりと振り返った。
一の姫が御戻りになる。
そう家臣たちの口にのぼるより先、忍足は景吾から事情を聞かされていた。
跡部家で最初に生まれた姫ゆえに『一の姫』と呼ばれる姫は、景吾の姉にあたる。
側室の生んだ姫ではあったが先代の当主の寵愛は深く、一の姫はそれは大事に育てられた。
ただひとり正室から生まれた景吾にとって、一の姫は弟らしく振舞うことが許される数少ない姉だった。
「姉上には城に戻ってもらう」
景吾の言葉に、忍足は上げていた視線を伏せた。
次に忍足が視線を上げたのは、出迎えの準備などを言いつける景吾の言葉を遮ってだった。
「次はどこへ嫁がせるおつもりでしょうか」
普段ならば間延びした西国訛りで話しかけてくる忍足が身を正したまま問いかけてくる。
景吾は眉根を寄せ、苦々しく首を振った。
「決めてない。ただ・・・二度も夫に先立たれたうえに子を生していない
正室どころか、側室にだって嫁がせる先があるのか分からないのが正直なところだ
だがな、二度も跡部の名を背負って嫁いでくれたんだ。悪いようにはしたくない」
そう言って、景吾は溜息をついた。
自分が正室を娶ってから、跡部は人に優しくなった。
以前は自分の駒のように姉妹たちを有力な家に嫁がせ、弟たちは養子に出した。
一の姫も家のために嫁ぎ、そこで二度も夫を亡くした。
子があれば母として生きられるであろうが、そうではない一の姫にとって嫁ぎ先は居心地の良いものではない。
これ以上の辛い思いはさせたくないと、景吾は早々に嫁ぎ先から姉を戻すことにしたのだ。
景吾の溜息を思い出しながら、忍足は静かに頭を下げた。
「姫様、お久しぶりでございます」
かしこまった挨拶に、姫は目を細めて穏やかに首を振った。
「以前と同じように、侑士殿」
名を呼ばれ、忍足は何とも困った顔をする。
それにも姫は笑って、他には誰もおりませんよと小声で言った。
「では、そのように。どうですか?
なんや不足なもんがあったら直ぐに揃えますけど」
「十分です。それよりも・・再び侑士殿の声が聞けるとは思ってもいませんでした」
そう言って姫は懐かしそうに微笑む。
忍足は後ろ髪を軽くかくと、その通りだと頷いた。
また、姫が桜の老木を見上げる。
それは城で最も古い大木であり、忍足の生まれるずっと前から桜の花を咲かせていた。
「景吾殿と侑士殿、ふたりして木に登っては叱られておりましたね」
「あれは姫様のせいで怒られたんですよ?
落ちた雛を返してこいとか、あの枝ぶりが気にいったから手折ってこいとか」
「あら。そうだっかしら」
口元を袖でかくし、おかしそうに笑う姫の無邪気さは昔と変わらない。
忍足は思い出す。
もうひとつ木に登って叱られたのは、姫が最初の家に嫁いだ日のことだった。
延々と続く嫁入りの輿を見送るために忍足は桜の木に登ったのだ。
悔しくて、悲しくて、やりきれなくて。
その日の青い空が憎かったことを覚えている。
それを二度も繰り返した。
忍足は姫の隣に並び、いつのまにか自分よりも随分と小さくなってしまった人の横顔を見つめた。
「侑士殿」
「はい」
不意に姫の白い顔に影が差した。
雲の流れで日が遮られたのだろう。
姫は散っていく桜から目を逸らさずに、ふっと唇を開いた。
「わたくし・・・もう誰かに嫁ぐのは嫌です」
「姫様」
「どの殿も優しくしてくださいましたが、どうしても心からお慕いすることができなかった
だから罰があたったのです。きっと、わたくしはこの先も同じことを繰り返す
ですからね、侑士殿。出家をお許し願えるよう、景吾殿に口ぞえしてくれませんか」
そこまで言いきって、姫は忍足を見上げた。
澄んだ瞳に迷いはなく、強い意志と共に忍足を見つめている。
ああ・・と思う。
確かに景吾と姫は血を分けた姉弟なのだ。
自分が生涯をかけて仕えると決めた男と同じ目をしている。
今日も青い空を見上げ、忍足は再び雲から顔を出そうとする日輪を追う。
ずっと夢を見ながら、絶対にありえへんと思うてたけどなぁ。
忍足はひとつ胸の中で呟いて、再び見上げてくる姫と視線を合わせた。
「分かりました。殿には俺から話しましょう」
諾の返答に、姫は僅かに寂しさを唇にのせて微笑んだ。
ですが、と忍足は付け加える。
いつもの飄々とした表情のまま、そのくせ握った拳が固い。
解き放つ。そんな言葉が忍足の頭を掠めた。
「仏さんに嫁ぐぐらいなら、俺のところにきませんか?
仏像よりは優しく抱いてさしあげる自信があるんやけど」
目を見開く姫の顔に、日が差してくる。
桜の花を通して降り注ぐ陽射しは、やわらかく白から紅に変わっていく姫の頬を照らしていった。
忍足は手を伸ばす。
すると生涯触れることは叶わないと信じた頬にたどりついた。
しみてくるような温もりは長く恋焦がれた人の温もりだ。
愛しい人は忍足の手を振り払わなかった。
瞳いっぱに涙を湛え、甘えるように忍足の手のひらにすり寄る。
「ずっと・・・わたくしはあなたに触れて欲しかった」
泣きたくなるような想いが喉の奥で詰まって、言葉にできない。
忍足は迷いもなく目の前の細い肩を抱き寄せて、力のままに抱きしめた。
ずっとずっと慕い続けていた。
身分が違うから、結ばれる夢を見るのも恐れ多い人だったから諦めるしかなかった。
他の男の妻になり抱かれるであろう姫のことを思うたび、何度も眠れずに朝を迎えた。
もう、ええやろ。
二度も我慢したんや。
仏さんにやるくらいなら、俺がもろうてやる。
「・・・」
一の姫ではない姫の本当の名を呼べば、忍足の背を掴んだ小さな手が震えた。
平伏した二人を前にして、景吾は溜息をついた。
並んだ二つの黒髪には一つ、二つと薄紅色の花びらがついている。
桜の木の下で想いを通わせましたと説明されるより雄弁な花びらだ。
「別にいいぜ。もともと、そのつもりだったしな」
景吾の言葉に、忍足と姫の顔が同時に上がる。
滅多に見られない忍足の驚いた表情に、景吾は満足げに笑った。
「忍足の気持ちは薄々気づいてたしな
姉上がどうかと思ってたんだが・・・取り越し苦労だったようだ
忍足、今度こそ姉上を幸せにしてやってくれ」
そう許されて、視線を合わせた二人は再び深々と頭を下げた。
随分とたってから、景吾の月見酒の相手をしていた忍足は意外なことを聞く。
「ずっとお前に悪いことをしたと思っていたんだ」
「はぁ?なんのことや」
「一の姫のことだよ」
少し酔っているのだろうか。
口当たりの良い酒を景吾は随分と飲んでいる。
忍足は酒を注ぎながら続きを聞いた。
「最初の輿入れの時。お前、桜の木の上で泣いてただろ」
「見てたんか」
「まぁな。だが、あの時は姉上は美しい人だし、お前が憧れて当然だと思っていた
けどな二度目の輿入れは・・・さすがにな
一度目は父上の決めた輿入れだったが、二度目は俺が決めただろ
お前のことが頭を掠めなかったと言えば嘘になるが」
「分かってる。家臣である俺に嫁がせられるはずもない」
景吾は肯定もしなかったが否定もせず、新たな酒を口に含む。
「実は三度目も考えたんだ
一の姫は美姫の評判が高いからな。欲しいという輩が内々に申し込んできていた」
それは忍足も初耳だった。
なんでも相談される立場の忍足の耳に入らなかったということは、景吾なりの気遣いがあったのだろう。
「だがな、北の方が『姉上様のお気持ちも聞かず、あまりに可哀想でございます』って泣きやがる
あれに泣かれたら、そのままにもしておけない。無理を通したら絶対に後で大変なことになるからな」
景吾が顔をしかめて言うのが可笑しかった。
ただ一人の妻を愛すると決めた景吾は、その妻にめっぽう弱い。
「それで出家するになったんか」
「そうだ。もう誰のもとにも嫁ぎたくないとな。その時に、また見ちまった」
ふんふんと相槌を打ちながら、忍足も杯を口に運ぶ。
本当は一刻でもはやく愛しい妻のもとに帰りたいのだが、この話だけは聞いておかなくてはと勘がはたらく。
「紙に包んだ桜の花びら持っていたんだ」
「それになんか意味があったんか?」
「綺麗に押して乾かした古い花びらだぞ。それをいつも眺めてるから傍仕えに聞いたんだ
そしたらな・・・」
あれはどなたかが姫様のために桜の木に登って手折って下さったのだとか
どこに行かれてもあれだけは姫様が肌身離さずお持ちになっていらっしゃるのです
きっと心の奥で姫様がお慕いしていらっしゃる方のものでしょう
杯を置いた忍足は、たたずまいを正して恭しく頭を下げた。
「殿、今宵はこのあたりで失礼つかまつります」
「おい。まだ話の途中だぞ」
「もう先は見えました。人の恋路を邪魔すると馬に蹴られますよ」
あとは北の方に相手してもらえと捨て台詞を残し、忍足は席を辞した。
自分の帰りを待ちながら、ふところの桜をそっと撫でる妻の姿が目に浮かぶ。
春に子どもが生まれる時には、
庭に桜の木を植えようと心に決めた忍足だった。
お慕いしております 忍足編
5周年感謝御礼企画より
2009/11/16
お慕いしておりますTOPへ戻る