『お慕いしております 〜真田弦一郎編〜』
「姫!姫、お待ちください」
「嫌です!!」
若き家老、真田弦一郎の珍しくも慌てた声が長い廊下に響き渡る。
呼び止められた方は前を向いたまま、歩を止める素振りも見せない。
長く艶のある黒髪を高い位置に結び、颯爽とした袴姿で急ぐ姫の後姿に真田は焦る。
「そのようなお姿で、どこに行かれるおつもりですか?」
「弦一郎殿には関係ないこと。放っておいて下さい」
眉間のしわを刻んだ真田が困惑の表情で隣の柳を促す。
お前も何とか言えということだろう。
柳も同じ家老職なのだが、彼は常と変わらない表情で淡々と口を開いた。
「そのお姿、馬で遠出をなさる御つもりなのでは?
でしたらせめて姫様の行き先ぐらいはお聞きしないと、あとで私どもが殿にお咎めを受けますゆえ」
「蓮二、そのようなこと今は問題ではないであろう?」
「しかし殿に聞かれて『行き先も分かりません』では困るだろう?」
「そうではなく姫様をなんとしてもお止して」
姫のあとを追いながら、ふたりの家老が言い合いをはじめた。
そこへ、いいかげんウンザリしたとばかりの声が割って入る。
「参りますのは寂光院。これでよろしいでしょう?家老殿はふたり揃ってお戻りなさいませ」
「お待ちください。なにゆえ寺に?詣でるのでしたら、誰か供の者を」
更に追及する真田に、とうとう足を止めた姫が勢いよく振り返った。
黒曜石のように輝く瞳は誠に美しいのだが、見間違えでなければ相当に立腹されている表情の姫様だ。
思わず仰け反りそうになった真田に向かって、姫はキッパリと言い放った。
「出家しに参るのです」
真田の目がこれ以上ないほどに見開かれた。
予想もしていなかった言葉に、すっかり固まってしまった真田の隣で
「ほう。それはまた思いきったことを」と柳が呑気な声を出す。
その声に我にかえった真田。掴みかからん勢いで姫の御前に進みでた。
「なりません!姫様、出家など絶対になりませんぞ!」
「もう決めたのです」
「女人が出家しに参るのに馬で駆けていったなど聞いたこともございませんよ」
鬼のような形相の真田の背後から飄々とした柳のツッコミが入る。
姫は何かを言いかけて止め、唇を噛むようにして顔を背けた。
「やっと輿入れの話がまとまりそうだという時に」
「それが嫌なのよ」
「いったい幾つ縁談を蹴ってきたとお思いか」
「さぁ。三十か四十かしら」
「三十九でございます、姫。これを蹴れば、めでたく四十ですね」
「蓮二は黙っていろ!」
頭に血の昇った真田が声を大きくする。
いつもは殿の妹君ということで礼を欠かさない真田も、今はそれどころではない。
「跡部殿は家柄、器量共に申し分のない方。何が気にいらないのですか?」
「全部よ、全部。あの俺様を中心に世の中が回ってるみたいな態度が気に食わないのよ」
「確かに少々自信家のようにも見受けられましたが、剣の腕は確かですぞ」
「弦一郎殿は何でもかんでも『剣の腕』で人をはかる。悪い癖よ」
「剣はその人の真の姿を現すものでございます」
「じゃあ弦一郎殿の剣は『わからずや』と現すのでございましょう」
「なっ」
言葉に詰まる真田の隣で、しみじみと柳は呟く。
「しかし・・跡部殿も駄目だとなると本当に婚期を逃しますな
少々気が強くてジャジャ馬な姫の方が良いと仰られた奇特な御仁でございましたのに
どちらにしろ後家になるのでしたら、一足先に出家するのも一つの選択かもしれませんね」
蓮二・・・と真田が振り返る。
その瞳は怒りと強い意志で柳を貫いた。
だが柳は怯むことなく視線を受け止めると、小さく笑みを浮かべる。
「姫を愚弄するのは、この真田弦一郎が許さぬ」
「愚弄などしていない。真実を述べたまで」
「蓮二!」
真田が柳の衿元を掴んだ。
城内の廊下で若い家老同志が喧嘩沙汰を起こしたとあっては大変だ。
それでなくても家督相続をしたばかりの城主が重用する若い二人を
古参の家臣たちが全面的に受け入れているわけではない。
どこで足をすくわれるとも分からないのだ。
姫は慌てて真田の背中に抱きついた。
「駄目!やめて、弦一郎殿」
「お放し下さい!」
「駄目よ、弦一郎殿が咎めを受けてしまいます!柳殿を放して!」
首元を掴まれ、さすがに息が詰まる。
そんな状況にあっても柳は薄らと笑みを浮かべ、真田の目を見つめて言った。
「姫は真に好いた男と添いたいと申されているのだ。そんなことも分からぬのか、弦一郎」
真田の背にしがみついていた姫の瞳が見開かれる。
同時に柳の衿元を掴んでいた手の力が抜けた。
唖然とする二人を前に、乱れた衿を直した柳が大きく息を吐く。
「・・・ならん」
そんな柳の前で、床に視線を落とした真田が小さく呟いた。
「弦一郎殿」
泣きそうな姫の声で名を呼ばれ、真田の整った顔が歪む。
「は・・・好きでもない男のもとに嫁ぐぐらいなら出家したほうがいいのです」
「駄目だ」
弱々しく真田が首を振る。
しかし姫は止めない。真田の広い背中に額をつけ、祈るように言葉を紡ぐ。
「わたくしは、ただひとりの方しか欲しくない
無口で、不器用で。だけど、心の内はあたたかい」
「駄目なのです、姫」
「いつもいつも、わたくしを守ってくださった。強くて、優しい・・・」
「姫、おやめください!」
「あなたをお慕いしております」
真田は口を真一文字に結び、歯を食いしばった。
でないと胸の底に仕舞って鍵をかけたはずの気持ちを言葉にしてしまいそうだ。
どんなに愛しいと思っても、身分が違いすぎる。
何の躊躇いもなく『お慕いしております』と言える姫がうらやましいほどだ。
お仕えする殿の妹君。
たとえ若くに出世した家老といえども、妻に娶りたいなどと口にできるものではない。
「今のお言葉は聞かなかったことにいたします」
絞り出すように真田が告げると、その答えを予想していた姫は彼の背中に隠れて涙を零した。
お互いの気持ちが同じことなど分かっていたのだ。
想い合えば、その瞳に、仕草に、言葉の端々に愛情の欠片が溢れてしまう。
それに触れるたび、ふたりは慌てて距離を取った。
結ばれるわけがない。
決定事項なのに、やっぱり想いの欠片に触れたくて性懲りもなく手を伸ばしてしまう。
女だてらに馬に乗るのも、剣を握るのも
全ては愛しい真田に通じていたのだ。
真田とて、難しい顔をしながらも手ほどきを続けてきたのは
ひとときでも愛しい姫と共に過ごしていたかったからだ。
その時だ。
いきなり三人が立つ廊下に面した襖が音をたてて開け放たれた。
「情けないぞ、真田!」
一喝したのは、この城の城主であり、姫の兄君である幸村だ。
急ぎ膝をついて頭を垂れた家臣ふたりと妹を前に、幸村は溜息と共に扇子を手のひらで打つ。
「真田。ここまで女に言わせて、聞かなかったことにするとは何事?」
「も・・申し訳ございません。しかしながら」
「しかしもかかしもないよ。たくっ、根性ナシめ」
頭の上で舌打ちまでする主を前に、真田は頭の中が混乱していた。
「真田、今日から無期限で謹慎を申しつける」
幸村の冷たい声に、平伏する真田の体が強張った。
「お待ちください、兄上!弦一郎殿は何も悪くないのです
が・・・が弦一郎殿の迷惑も顧みずにお慕いしておりましただけ。弦一郎殿に責はございません
罰をと仰るのなら、わたくしがお受けします」
「なら、文句を言わず跡部の家に嫁ぐか?跡部は他に妾が随分といるらしいが、それでも?」
「・・・分かりました」
思わず顔を上げた真田に、姫は涙の溜まった瞳で儚く微笑んだ。
跡部に妾がいるなど、今の今まで真田は知らなかった。
裕福な跡部家のもとなら何不自由なく暮らせるだろうと
姫さえ幸せであれば己の想いなど捨ててもいいのだと断腸の思いで諦めた恋であったのに。
そんな男のもとに愛しい姫を嫁がせてよいはずがない。
真田は爪が食い込むほど拳を握りこむと、廊下に額をつけるようにして頭を下げた。
「殿、恐れながらお願いを申しあげます」
「なんだ?」
いつもは朗らかな主の声は冷えたまま。
下手をしたら謹慎などでは済まないかもしれない。
いや、姫を失うより大きなものがあるだろうか。
真田は肝を据え、通る声で願いを口にした。
「この真田弦一郎、姫様を賜りとうございます」
姫の瞳から涙がポロポロと零れる。
額ずく真田の大きな背を見つめた姫は、次に彼を見下ろす兄に目を向けた。
兄は茶目っけのある笑みを浮かべて柳に片目をつぶって見せると、次にはに向って頷いた。
「誰かに尻を蹴られないと気持ちも伝えられない頑固者だが・・・きっとお前を大事にしてくれる」
「兄上・・・」
「幸せにおなり」
幸村は優しく妹に囁いた後、次には容赦なく真田の頭を扇子で殴った。
ひとつの季節が過ぎた頃。
真田家の屋敷では、小袖にタスキ姿の新妻がいそいそと立ち働いていた。
姫から家臣の妻に下ったとはいえ、着るもの一つにとっても気を遣った真田家であったが
当の本人が『あのように豪華なだけで動きにくい着物など要りません』と女中が着るような小袖を着たがった。
最初は殿から賜った妹君ということで酷く緊張していた真田家の者たちも
偉ぶったところがなく、明るくて人懐こい姫を今ではとても慕っている。
「おかえりなさいませ」
「う、うむ」
いまだ妻に頭を下げられるのに慣れていない真田の様子に、は困ったように微笑んだ。
それまで長く、夫は自分を姫と呼び頭を下げ続けてきたのだ。
これから先は今までの分も自分が弦一郎様に尽くさねばと思うし、そうできることが嬉しい。
「今日はお早いお帰りですね」
「あ・・いや。殿が早く帰れとうるさくてな」
「まぁ。兄上は気の利く方でございます」
「そんなことを言えるのは、お前ぐらいのものだ」
言って、真田は着替えるために廊下を歩き出す。
呆れた様な真田の声色に、は肩をすくめて後をついていった。
は知っている。
仕事熱心な真田は夜更けまで城に残って働くのが常だった。
そんな彼が妻のことを心がけて早く帰って来てくれているのだ。
「弦一郎様」
「うん?」
「・・・なんでもありません」
「おかしな奴だな」
お慕いしております。
心の中で囁き、他には見せない柔らかな笑みを浮かべた夫の横顔を見つめる。
は幸せをかみしめた。
『お慕いしております〜真田編〜』
5周年感謝御礼企画より
2009/07/12
お慕いしておりますTOPへ戻る