ずっと傍にいて 〜跡部編〜










彼が何かに悩み、疲れきっているのを感じていた。


氷帝学園に跡部景吾あり。
学園内はもちろん他校にも、その名を轟かせている彼。


全国区のテニス部200名の頂点に立ち、自身も高校生プレイヤーでは5本の指に入る実力者だ。
なおかつ生徒会にも籍を置き、次期生徒会長は間違いなく彼だろうと噂されている。


跡部家の名を背負った彼は成績もトップクラスを維持。
語学に堪能でギリシャ語にいたっては教師より発音が良いらしい。


最近は将来的な人間関係を作るためもあって、
父親と共に多くのパーティーや集りにも顔を出している。



きっと彼の一日は24時間じゃ足りないんだろう。



「はい、これ。」
「ああ。」



人気のない昼休みの部室は唯一、彼が休める場所となっている。
彼はお気に入りのソファに深くもたれ、ぐったりとしているのが常だ。
差し出したコンビニの袋には栄養ドリンクと直ぐに必要なカロリーが摂取できる補助食品。



「顔色悪い。昨日、寝た?」
「・・3時間」


「少し寝たら?5分前に起こしてあげる。」
「いや、この予算に目を通しておかないと・・・」



目頭を押さえながら呟く彼の手から書類を取り上げた。



「おい、なにを」
「生徒会の予算チェックぐらい私がしてあげる。気になるところには付箋を貼っとくから。」


「お前に分かるのか?」
「あら、一学期も誰かさんの予算は私がプリントアウトできるまでに仕上げたのよ。忘れた?」


「ふん、そういえばそうだった。」
「あのときのお礼、まだ貰ってなかった。」



おどけて笑えば、瞳を細めた彼が手を伸ばしてきた。
ソファにに座った彼に届くよう、腰をかがめて触れるだけのキス。
一度唇を離して「安いものね」と言えば「まだ、だ。」とニ度、三度とお礼を頂いた。


ソファに横たわれば、数分もしないうちに穏やかな寝息が聞こえてくる。
長い睫毛が頬に影を作る姿に、彼の疲労を感じて胸が痛むの。



私はパイプ椅子に腰をおろし、予算のチェックを始めた。
テニス部マネージャーの私がする仕事ではないけれど、実は生徒会の予算が頭にはいっている。
それもこれも、忙しい跡部君の手助けになればと申し出たことだ。
生徒会規約変更の書類も文章に起こしたのは私。
僅かな事でも彼の負担を減らしてあげられる事が嬉しかった。



誰も影にある私の存在を知らない。
書類にしても、跡部君にとっての私としても。


突然に引き寄せられて口づけられたのは二年になって直ぐの事だったけど、
その時から今まで、一度も言葉は貰っていない。
だから恋人でもない。


第一彼には幼い頃から決められた婚約者がいる。
美しく万事が控えめな彼女は、いつも黙って彼の三歩後ろに立っていた。


私が彼の傍にいられるのは、この部室の中だけ。
一歩外に出れば部長とマネージャー、ただそれだけの関係だ。


泣きたくなるほど遣る瀬無いこともある。
未来も愛もないのに何故私に触れたのかと怒りたくなる事だってある。


それでも好きだから。
嫉妬したり傷ついたりしながらも、ここから離れることが出来ない。



数字の間違いや誤字をチェックして付箋に書き込む。
これをまた完璧主義な彼は更にチェックするんだろうけど。



ふと視線を感じて顔を上げれば、ソファに横たわったままの跡部君が私を見ていた。



「もう起きたの?まだ時間あったのに。」


「お前の横顔が綺麗で・・・見惚れてた。」
「馬鹿ばっかり。おだてても何もでません。」


「知ってて無視してるのか?」
「・・・誕生日のこと?」


「いい性格してんな。」
「私が差し上げなくても下さる方は山のようにいるでしょう?
 あ、そうだ。さっきあげたじゃない、差し入れ・・・あれよ。」



クッと跡部君が肩を揺らして笑う。
私も笑って、もう一度書類に目を落とした。


特別なことはしないと決めてるの。
あなたは決して私の跡部君にはなってくれないから。
それでも私には唯一の人だと思えるから、
誰かに混じって気持ちを込めたプレゼントを渡すなんて出来ないの。


そんなことをしたら、きっと泣いてしまう。
跡部君の前では絶対に泣かない。
心は決して見せないと強く思ってる。
いつか別れた後に『いい女がいた』と心の片隅に良い記憶として残りたいの。
それが、せめてもの私の願い。



「アイツを解放してやろうと思う。」



唐突に切り出された言葉だった。
アイツ・・・彼が私に婚約者の話をする時は名前を出さず『アイツ』と呼んだ。
気を遣ってくれているのかもしれないけど『アイツ』と呼ぶほうが彼に近く聞こえて傷つける事など知らずに。



「解放?」
「ああ。」



跡部家に嫁ぐために教育を受けて育ってきたという彼女を解放する?
意味が分からない。けれど、それ以上を聞く勇気もない。



「これから・・・大変になる。」
「そうなの?」


「ああ、なんとかしてやりたいと思ってる。」



私には上手い相槌も浮かばずに、できた書類を束ねると席を立った。
あなたの全ては未来を共にする人に委ねられてる。
私はあなたの僅かな時間を掠めるように過ぎていく・・・うたかたの存在だもの。



「書類、ここに置いとく。誰かに見つかっても困るから先に出るね。」


「待てよ。」
「なに?」


「お前はどうする?」
「・・・何のこと?もう時間がなくなる。」



跡部君はソファから身を起こし、両手を膝の上に置くと私を見上げた。
私の心は半分以上部室の外へ逃げ出してる。
真実など何も聞きたくない。今のまま、もう少し傍にいさせて欲しい。
だから、なにも私に知らせないで。



「お前は俺を選ぶのか?」
「突然、なにを」


「お前は俺をどう思ってる?俺が欲しいか?」



唇が震えたのを感じた。
私・・・きっと酷く動揺した顔をしてしまってる。



「何の冗談?そんなこと聞いて、なんになるの?」
「聞きたいから聞いてる。お前が本音を隠すからだ。」


「じゃあ、あなたは?あなたは私をどう思ってるの?」



違う、駄目。
そんな核心に触れてはいけなかった。
不安定な足元が崩れていく。



「俺はお前を」
「ゴメン!やっぱり、いい。止めて。さっきのきは取り消す。もう行くわ。」


「逃げるな!」



逃げ出した私の体は後ろから掴まれた手で引き止められてしまった。
振り払おうとしても強い力で引き寄せられ逃げられない。
強引に反転させられ両腕を拘束されてしまった。



「イヤ、聞きたくない!本当に嫌なの。お願い、お願いだから、」


「聞けよ。俺は・・」
「お願い、聞きたくない。もう・・傍にいられなくなる・・」



「お前が好きだ」



ハッとして顔をあげた。
逃れようともみ合っていた腕から一瞬で力が抜ける。



「俺はお前を選ぶ。
 いや・・もうずっと前に俺はお前を選んでいた。
 ただ俺だけのために生きてきたアイツをどうすればいいのか、ずっと考えてきた。
 アイツを傷つけたくはない。だが、その間にお前が傷ついていくのも知っていて苦しかった。

 だが今、アイツはアイツで別の道を歩き出そうとしている。
 その背中を押してやるのが俺が最後に出来ることだ。

 もう、いい。
 お前が隠れて・・・泣くことはない。
 ずっと・・・俺の傍にいればいいんだ。」 



最後は囁くように。
そして小さく、初めて私の名前を口にしてくれた。
もう我慢できなくて・・・初めて彼の前で泣いた。
ヨシヨシと子供をあやすみたいに抱きしめて、宥めるようにキスをする。



「で?お前の答えを聞かせろ。」


「・・・お誕生日おめでとう」
「ああ。で?」


「授業が、」
「今はコッチの方が重要だ。」



こんなとこ、本当にせっかちだと思う。
とうとう午後の授業開始のチャイムがなってしまった。
こんな泣き腫らした顔じゃ教室には入れないけど、彼に思いを告げるほどの気持ちの整理も出来ない。
まだ信じられないの。この部室を出たら何もかもが夢のように消えてしまいそうで怖い。



「誕生日プレゼント、本当に買ってないの。」
「はーん、それで?」


「それで、どうしようかなって」
「この期に及んで、そうやって誤魔化すのか?」


「そうじゃないけど」
「臆病なのは、俺の・・・せいか。」



そう言って、私の前髪をはらうと唇を寄せた。
彼の仕草が甘くて、また涙が零れそうになって困ってしまった。



「いいさ。プレゼントは、お前だ。
 買い物にいく必要もないし、大事にすれば一生ものだろう?」


「そうね、」
「また泣くのか?」


「駄目・・・嬉しくて。」
「そうかよ。」


「うん、」
「ま、いいんじゃねぇか。」





私はあなたを選ぶ。
だから・・・ずっと傍にいて?





やっと告げたら、
ホッとした笑顔を浮かべた彼に強く抱きしめられた。





















「ずっと傍にいて 〜跡部編〜」  

2006.10.04  

忍足編のカップリングSSです




















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