『お慕いしております』 〜跡部景吾編〜』 番外編 弐
物を欲しがらない妻が何やら買いこんだのだと聞いた景吾。
それはいい傾向だと執務の息抜きも兼ね、離れにある妻の室まで様子を見に行った。
また開け放して昼寝でもしているのではと多少の不安を感じていた景吾であったが、
訪れた部屋には珍しくも針仕事をしている妻の姿があった。
「何を始めたんだ?」
「まぁ、殿。今日は何から逃げてまいられたのですか?」
「人聞きの悪いこと言うなよ」
この頃の景吾は会いたくない客や煩い年寄り連中、または山のような執務から逃避して妻のもとへ来ることが多い。
正室のもとへ行かれたのを邪魔はできないという、皆の心理を巧みに利用しているのだ。
遠慮もなく室に上がりこんで腰を下ろす景吾に侍女は心得て下がっていく。
二人きりになったとて、甘い雰囲気が漂うまでにはかなりの労力を要するのだが
とりあえず景吾は畳の上に広がる地味めの布を手に取り、妻の手元を覗きこんだ。
「えらく地味だな。お前が選んだのか?」
「はい。ですが、髪紐ですから」
「髪紐?」
いつか聞いたような言葉に嫌な予感がした。
「念のために聞くが、まさか」
問いかけたところへタイミングよく忍足がやってきた。
「やはり・・ここでしたか。ご歓談中に失礼いたします。殿を引き取りに参りました」
「どうぞ、どうぞ」
「ちょっと、待て。俺は茶の一杯も飲ませて貰ってないぞ。それにその紐は」
「殿はお茶をご所望だったのですか?それならそうと仰って下されば用意いたしましたのに」
相変わらず噛み合わない会話の中、忍足の呑気な声が割って入る。
「もうすぐ出来上がりですか?俺のために選んでもろうて嬉しいなぁ」
「やっぱりか!!てめぇ、俺様に喧嘩売ってんのかっ」
思わず立ち上がる景吾に、笑みを崩さない忍足。
妻は剣呑な雰囲気の景吾を見上げ、暫し考えるとポンと手をうった。
「まぁ。殿も欲しかったのですか?なら・・余った布でお作りいたしましょうか?」
怒りのあまり震える景吾を前に「わたくし何か悪いことを申しました?」と妻は首をかしげ、
忍足は笑顔のままで素早く後ろに下がった。
「もう我慢ならねぇ!今日という今日は、みっちりと言い聞かせてやる!!」
景吾の怒声は澄んだ春の空に高く高く吸い込まれていった。
2010年春拍手SSより
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