お慕いしております〜菊丸編〜
親友が幸せそうだったから、とてもとても嬉しかったのだ。
心のうちで言い訳し、菊丸は背を向けたままの背中に溜息をつく。
祝い気分で過ぎた酒の酔いも、今はすっかり醒めてしまった。
今夜は大石家で婚礼があった。
このまま青学に生涯を捧げてしまうのではと危ぶまれていた男の婚礼だ。
それはそれは盛り上がり、笑顔の溢れる佳き婚礼になった。
大石とは幼い時からの付き合いだ。
背中を預けられる友として長く傍にいた菊丸にとっても、我が事のように嬉しい夜だったのだ。
手伝いに出向いていた妻も、『よい祝言でしたね』と機嫌がよかったはずなのに・・・
ほんの少し前のこと。
妻のに着替えを手伝ってもらいながら、菊丸は今夜のことを話していた。
「大石ったらさ、もう目じりが下がりっぱなしでさぁ」
自分の目元を大げさに下げて似せれば、が肩を揺らして笑う。
話しながら帯を締める菊丸の隣で、は脱いだ着物をたたみ始めた。
「まぁ、気持ちは分かるかな。だってさぁ、すごい美人だもんね
あれでと同い年だって。とても見えないよなぁ
大石も待った甲斐があったよ。アイツ、面食いだったんだ」
な?そう、妻に相槌を求めたが返事がない。
不思議に思って視線を向ければ、いつの間にかが背中を向けていた。
心なし雑な手つきで着物を仕舞うと無言で立ち上がる。
その常とは違う妻の様子に菊丸は嫌な予感がした。
「えっと、・・どうした?」
なんだ、なんだ。なんか、機嫌が悪いぞ。
夫婦も長くなれば、ちょっとした仕草で相手の機嫌を察することができる。
理由云々は分からないにしても、だ。
「どうせ私は老けております」
「は?」
何故に突然、老けてる?
困惑する菊丸の方に、が体を向けた。
微妙に唇をとがらせて、子どものように拗ねている。
「ふ、老けてなんかないだろ?年相応っていうか」
年相応・・・
が眉を寄せて小さく呟くから、菊丸は慌てて付け加えた。
「あ、いや。若々しいよ、うん。とても七人の子持ちには見えないって」
「どうせ私は子だくさんの年相応にくたびれた女です。あなた様が面食いではなく幸いでございました」
「ええ!?いや、は美人というより可愛いから」
お愛想笑いでつくろってみたが、はツンとして室を出ていく。
大石の新妻を褒めはしたが、他意はない。
なのに、これは本格的に機嫌を損ねてしまったと顔色を青くした菊丸だった。
菊丸とは幼馴染であり、大石とも仲が良かった。
幼い頃は三人で野山を駆けたものだったが、いつの間にかは大石を慕うようになった。
子どもの頃から優しい男であった大石と典型的な悪餓鬼だった菊丸。
が大石を慕うようになるのは当然と言えば当然であったが、菊丸は面白くなかった。
美人ではないが愛嬌があり、働き者で可愛らしい。
色恋に疎い大石が気づかないうちに、あの手この手でを口説き落として妻にした。
若くに夫婦となった二人には次々と子が生まれ、いつの間にか『青学のおしどり夫婦』と呼ばれている。
最初に生まれた娘に至っては、ちょっと早いが嫁に出してもいい年頃になっていた。
そう裕福ではない菊丸家で七人の子どもを育て、家を上手に切り盛りするは良い妻だ。
いつも感謝はしているものの、あまりに当たり前に居てくれるから、つい口が滑った。
「、ごめん。でもさ、世辞じゃないんだ。は可愛いよ?」
いい年をした男が、妻の後ろをつきまわって言い訳をする。
相手は聞く耳持たずで黙々と家事をこなしていくから、雛鳥のごとく後ろをついていくしかないのだ。
「そうだ。もう随分と着物を新しくしてなかったよね。反物の一つでも買おうか」
「いりません。そんな余裕があるのでしたら、下の子たちに新しい着物を作ってやります」
「ああ、まぁ。そうだね」
上からのお古ばかりを着せられている子どもたちを想う母心だ。
まいったなと頭の後ろをかいた菊丸は上目づかいに働く妻の小さな背中を見る。
小柄な体が休む時はない。
幼い頃は何かにつけて熱を出し、菊丸たちを心配させた幼馴染だった。
いつもいつも自身のことは後回しで、夫や子どもたちの世話に明け暮れている。
それに愚痴を言うでなく、当たり前のように笑顔で家内を守ってきてくれた妻だ。
「ねぇ、」
「もういいですって。早くお休みになったら?」
ツンとした声で、は菊丸のほうを振り向きもしない。
やんちゃな子たちが着物の袖を破ってしまったのだろう。
小さな着物を膝の上に広げ、薄暗い灯りのもとで繕いを始めた。
「うん。まぁ、もう寝るけど。あのさ・・」
「はい、はい」
針を進めながら、は適当に返事をする。
十年以上も共に暮らしていれば分かる。は本気で怒っているわけではないと思う。
きっと一晩寝たら、いつもの笑顔を見せるのだ。
なんだろう。
いつも見ている背中なのに、たまらなく愛しいよ。
「俺はが大好きだよ。がおばあちゃんになっても、きっと変わらない
と夫婦になって本当に幸せだって・・・俺は思ってるよ」
「あなた?」
目を丸くしたが唖然として振り返る。
新婚当時は何度も口にした愛の言葉が日常に紛れてなくなっていた。
想いは穏やかにはなっても、ずっと変わっていない。
いや、以前より何倍も深くなっているから。
照れくさくて鼻の頭をかく。
久しぶりに驚いた顔が見られて、それはそれで嬉しいものだ。
「だからさ、機嫌直して一緒に寝ようよ」
そう誘えば、「もう、酔っぱらい」と妻が困ったような笑顔を浮かべた。
幼い子供たちと並んで眠る夜。
横を向けば、変わらず愛しい君の笑顔がある。
菊丸は残った酔いに身を任せ、妻の荒れた愛しい指を握ったまま眠りに落ちた。
お慕いしております 菊丸編
2012/08/13
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