好きだと言って
うららかな休日の午後。
私は決定的な場面を見てしまった。
息をしていただろうか。
全ての機能が止ったみたいに動かないのに、やけに鼓動だけが大きく響いてくる。
周囲のざわめきも吹き飛んで、瞳は見慣れた横顔と隣に並ぶ美しい人だけを映していた。
へぇ。乾でもいっちょ前にアクセサリーなんか買ってあげるんだ。
軽く心の中で呟いて、その言葉に立ち直れないくらい傷ついてる自分が居た。
ヤダ、帰ろ。
こんなとこで顔をあわせたら気まずいったらありゃしない。
ああ、腹が立つ。
カノジョがいるならキスなんかするなっての。
いくらアルコールが入ってたっていっても、
友達では有り得ないキスをされたら期待するなっていうのが無理でしょう?
だいたい、あの時になんて言った?
『ずっとキスしたいって思ってた。』
すごいドキドキしたのに。
あれは私とキスしたいんじゃなくて、単に誰とでもいいから『キス』がしたかったって事?
ありえるよ。酔うとキスしたくなる変な習性がある男なのかもしれない。
嫌いだ!乾なんて大嫌い。
乾なんかを好きだった自分も大嫌い。もう全部バイバイだ!
* * *
「あ、だ。お〜い!」
後ろからエージの明るい声がして振り向いた。
ゲッと思う。手を振るエージの隣では酒癖の悪い男がメガネを押し上げていたからだ。
学部は違っても同じ大学なのだから会うことだってあるだろう。
でも会いたくなかった。
「バイバイ。」
「ちょ、ちょっと待ってよ!昨日の講義、ノートを見せてくれるって約束したじゃん!」
直ぐ前に向き直って歩き出せば縋るようにエージが叫ぶ。
僅か10メートル足らずの距離。今は乾と同じ空気を吸うのだって痛いの。
勢いよく振り返り手をメガホンにして言い返してやる。
「乾にでも見せてもらいなさいよ!じゃあね。」
「そんなぁ。乾のノートは本人にしか読めない怪しい記号とかで埋め尽くされてるんだよ?」
「失礼な奴だな。あれには意味があるんだ。」
「意味があっても乾にしか読めなきゃ借りても意味ないじゃん。ね、〜」
二人が話しながら近づいてくるから、私は後ずさりする。
乾はエージと話しながらも視線は私から逸らさないから勝手に体が緊張してしまう。
つい乾の唇に目がいってしまうのが悔しいの。
馬鹿みたい。あれには何の意味もなかったのに、私だけが意識して思い出してる。
柔らかな唇が重ねられた時の心臓が震えるような私の気持ちを乾は知らないんだ。
「あとでコピーして持って行ってあげる。私、急いでるの。じゃあね。」
「待って、!」
呼び止めたのは乾。エージも何事か言おうとしたようだったけど乾のほうが早かった。
真っ直ぐ私に向かって歩いてくる乾に私の足は勝手に回れ右をする。
「、待てよ。話があるんだけど。」
「私にはない!」
「どうしたの?なに、乾とって喧嘩してるの?」
「さぁ?俺に覚えはないけど。」
追いかけてくる二人の会話にカチンときた。
覚えがないですって?
好きでもない女とキスはしても前後不覚になるほどは酔ってなかったでしょうよ。
三度(みたび)振り返り、拳を握り締めて乾を睨む。
その距離、既に6-7メートルになっていた。
「うわっ。怒ってるじゃん、。誰に怒ってんの?俺、乾?どっち?」
「なんとなくエージじゃない気がするな。俺が何かしたかい?」
「乾ねぇ。よくそんなシラッとした顔して私の前に立ってられるわね!」
「シラッと、って・・・普段と変わりなく俺は立ってるけど?」
「その落ち着き払った態度が気にいらないのよ!」
「・・・困ったな。君が何に怒ってるのか、ちっとも分からないんだけど。」
「乾。なにかは分からないけど、とりあえず謝っとけよ。それでノートが確保されるんだからさ。」
「エージは黙ってて!」
ハイっと跳ねた髪を揺らしてエージが黙り込む。
乾だけがいつもの飄々とした表情で私を見ていた。
「俺、何かした?」
「したじゃない!」
「なにを?ああ・・・ひょっとして、アレ?」
思わず赤面してしまう私の顔を見て納得したように乾が頷く。
アレって何と無邪気なエージが聞いてるけど無視だ。
「だからって怒られる意味が分からないな。」
私が知らないと思って!
ひょっとして二股でもかけるつもりだったの!?
「信じられない!乾にカノジョがいるの知ってるんだから!それなのに、あんなことして!」
「え?乾って、カノジョいたんだ?」
「ん、まぁね。けど、どうもの知ってるカノジョとは違う気がする。」
メガネを押し上げながらエージの質問に答えている乾に益々腹が立ってきた。
「いったい何人のカノジョがいるのかしらないけど、酔ってたからって許されることじゃないんだから!
乾なんて大っ嫌い!女たらしの遊び人!もう友達なんかじゃない!」
「もう友達じゃないっていうのは同感だけど、それより前の内容には納得できないな。」
「乾って女たらしだったの?」
「ちょっとエージは黙っててくれるかな?今、と話してるから。」
「なによ・・・私ひとりが悩んで・・馬鹿みたい。
本当に嫌いよ!もう顔も見たくない。私に近寄らないで!」
叫ぶように言って走り出す。
エージが私の名前を呼ぶのが聞こえたけど振り向きもせずに走って建物の角を曲がった。
狭くなった通路で小鳥が遊んでいるのが目に入った途端、後ろから腕を掴まれて前のめりになる。
気配に小鳥が飛び立ち、私の体は乾に抱き寄せられ何とか体勢を保っていた。
「放して!」
「嫌だ。君がおとなしく話を聞くなら放してもいいけど?」
「乾の話なんか聞きたくない!」
「ちょっ・・暴れるなよ。俺は君の真っ直ぐで単純なところは気にいってるけど、短絡的なのは欠点だな。」
「わ、悪かったわね!私は乾の何でも知ってるようなとこ、大嫌いよ!」
「そう嫌い嫌いと連呼するなよ。さすがに傷つく。これで3回目。4回目に言ったら、その口を塞ぐからね?」
「嫌いなものは嫌いなの。もう、放してって言ってるでしょ!」
「5回。忠告はしたから。」
言うなり痛いほど顎と頭を抑えられて、目の前が真っ暗になった。
この前とは比べものにならない強引で激しいキスに頭が混乱する。
バタバタと手で反抗しても乾はビクともせずに、私は段々と目の奥が熱くなってきた。
酷い・・・なんで?
目尻から涙が零れるのを感じた時、ふっと体を拘束していた力が抜けた。
瞼を開けばメガネのずれた乾が困った顔で私を見下ろしていた。
「ゴメン。でも、こうでもしないと君は話を聞かないだろう?」
「聞くことなんて・・・ないもの。」
「だから携帯も着信拒否?
何を勘違いしたのか知らないけど、俺を拒絶する前に確認作業をして欲しかったな。」
「確認作業?」
「そう。は何故、俺にカノジョがいると思ったの?」
ゆっくりと穏やかな声で乾が問う。
同じように優しい仕草で私の頬の涙を拭った。
「この前・・・ショッピングモールで見たから。」
「ああ、あれを見られたのか。」
あっさりと認めてしまった乾に胸がズキリと痛んだ。
歪んでしまう口元に俯けば、大きな手が私の頭を撫でる。
「夢・・・だったんだ。」
「二股が?」
「・・・君の俺に対する信頼度にはガッカリだよ。
俺はね、本当に好きなコが出来たら彼女に黙って指輪を買って驚かせるのが夢だったんだ。
聞いてもないのにサイズもピッタリにして、サプライズで渡す。
君のせいで夢は儚くも散ったけどね。」
「だってカノジョ連れて見に行ったらサプライズじゃないじゃない・・・」
「は鈍い。それも欠点だな。まぁ可愛いから許せるけど、時に辛いよ。
彼女はゼミの先輩。
いい店を知っているうえに知り合いの店だから色々と無理が言えるってことでお願いしたんだよ。
高額の指輪じゃなくてもネームを入れてくれるとかね。
なんせ大学生なんか、そうは高いものは買えないだろう?
俺は俺で苦労したのに、君ときたら『好き』も言わないうちに『嫌い』を5回も言った。」
「えっと・・」
「もう一度、念押ししとくけど。俺のカノジョは、君だ。
アルコールの力を借りてでも、やっと両想いになったと思ったらコレだ。
分かってなかったのなら、分かってないと言ってくれないと。」
話しているうちに乾は段々と不機嫌になっていた。
説教臭くなりメガネの奥の瞳が怒ってる。
反対に私は鼻をグスグズ言わせながらも、ちょっと嬉しくなって口元が緩んできた。
「でも、乾もハッキリ言わなかったし」
「ずっとキスしたかったって言っただろ?
そしたら君が恥ずかしそうに笑って俯いたから、こっちは了解を得たんだと思ってたんだ。
ちょっと・・・、なに笑ってるんだ?俺は何だか腹が立ってきた。」
「指輪・・・いつくれるの?」
「教えない。なんだか立ち直れない気分だ。」
「乾のケチ。」
「俺の夢を壊した罪は重い。」
私の体を放して、今度は乾がブツブツ言いながら先に歩き出す。
慌てて私は後を追い乾の顔を覗き込んだ。
「ゴメン。」
「もういいよ。」
「嫌いは・・・撤回する。」
「ふーん。」
「嫌いの反対・・・だから。」
足を止めた乾が横目でチラッと私を見た。
変わらずに不機嫌な顔。けれど、その唇からは甘い言葉が落ちてくる。
「なら『好き』だって、6回は言ってくれ。」
夢を壊した代償か。
好きだと言って
2007.03.06
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