おたがいさま
乾の言動を正しく理解できる人間って、この世に何人いるんだろうか。
『。君、人体の不思議に興味がないか?』
『別にないけど』
『そうか』
食堂でカレーを食べてる私の傍にやってきて、人の皿を覗き込んで訊いてきた乾。
カレーと『人体の不思議』に共通点が見いだせなかったが、
あっさりと去っていった乾がカレーの列に並ぶのを見て、たんに何を食べるのか迷っていたのかなと思った。
「違うよ、あれはデートに誘ったんだ
人体の不思議展を一緒に見に行かないかと訊いたんだよ」
それ、訊いてないし。
第一・・・人体の不思議展と聞いてデートを連想する女のコが、この世に何人いると思う?
呆れる私に乾は遠い目をして言った。
「目一杯の勇気を振り絞って訊いたのに・・・へこんだな、あれは」
へこむ前に誘い方が拙くなったか反省しろ、と私は思う。
そんな乾が次に私を誘ったのは、学校から少し離れた場所に建つ空き家だった。
『最近、テニスコートのまわりに猫がウロウロしているだろう?』
『そうそう。子猫じゃないけど、まだ小さいよね』
『俺が調べたところでは、学校近くの空き家に猫が住み着いて増えているみたいだ』
『へぇ。テニスだけじゃ飽き足らず、猫の所在まで調べてるんだ』
『そういうわけじゃないんだが・・・真相を突き止めたいから一緒に行かないか?』
『なんで私?ひとりで行きなよ』
『実は猫が苦手なんだ』
乾は四角いメガネのフレームを押し上げて、若干小さな声で淡々と告白した。
苦手な猫にコートの近くをうろつかれると気になって仕方がないんだと。
あまりに大真面目に頼むから、少し同情した。
そういう理由ならと乾と連れ立ち、学校から僅か80メートルほど離れた空き家に向かった。
道中に何を話したのか、あまり覚えていない。
猫のどこが苦手なわけ?
そんな他愛ない話をしたのだろう。
やっぱり空き家には何匹かの猫が出入りしていて、そこが彼らのねぐらになっていることが分かった。
電信柱の後ろに長身の体を隠した乾が『当たってただろ?』と呟いていたが、だからといってどうしようもない。
結局は何もできずに、そこから一緒に駅まで歩いた。
確か乾がお礼だと言って、自販機のジュースを奢ってくれたっけ。
「あれが最初のデートだったな」
「はぁ!?あれ、デートだったの?」
初耳だった。
トキメキも、甘さも、なにひとつない出来事だったのに。
乾には初デートとしてインプットされているのが不思議でならない。
「なに言ってるんだ。あれからメールもするようになったし」
「あれは乾が『緊急連絡用に男女共、テニス部はメルアドを知っておいた方がいい』って言うから」
「言ったのは君にだけだ」
「だってメールの内容だってフツーだったじゃない」
乾は長い指を眉間にあてて考え込むと、そうだっけと首をかしげた。
『今日は茶トラの猫に接触された。動揺したせいでサーブの精度が三ミリずれ、散々だった
女テニのコたちが餌をやっているだろう?あれ、やめさせてくれ』
『それぐらいで動揺する精神の弱さが問題じゃないの?
あとね、猫に餌をやってるのは海堂君もだからね。注意しなさいよ』
こんな遣り取りを続けて、恋だの愛だのに発展するなど思いもしない。
それなのに乾の頭の中だけでは発展していっていた。
いつのまにか呼ばれる名前が『』から『』に変わっていた。
指摘すると「呼びにくいから」と真顔で言われたが、いまだかつて誰にも呼びにくいと言われたことのない名字だ。
俺のことも名前で呼んでいいからとも言われたのだけど、乾は非常に呼びやすい名前なので変えなかった。
さらっと私の髪をとって、余計なひと言。
『髪、伸びたな。あ、枝毛』
『探すなっ』
そっと人の手首を掴んで、また余計なひと言。
『黒いな』
『外でテニスしてるんだから仕方ないでしょっ』
突然の雨が降れば
『君は天気図を見ないのか?前線が南下していて午後からは雨が降ると分かるだろう』
『予報をテレビで見ることはあっても、天気図まで解読してないから』
『仕方ない。天気図の見方を教えてやるから、俺の傘に入って』
そして延々と傘の裏側に天気図を指で書いて説明を始めた。
突然の雷が鳴れば
『いま帰るのは自殺行為だよ。あ、そこも木に近いから落雷があった場合に半径数メートルは・・・』
『もう何でもいい、雷は嫌いなんだって!』
『仕方ないな。怖くないようにすればいいんだろう?』
そう言って、私の耳を両手で塞ぎ自分の胸に抱き寄せた。
そこで初めて『あれ?』と思った。
ゴロゴロと鳴り響く雷の中で、気付けば私は乾に抱きしめられていたから。
慌てて顔をあげたら、すぐそこに乾の顔があった。
近すぎるだろとツッコミを入れるより先に落ちてきたのは大きな雷で、
思わず目を閉じたら、直ぐに自分のものではない温もりが唇に重なった。
逃げようにもガッチリと両手で耳から頬を固定されてるし、雷は連続で落ちてくるし、雨は激しく降ってくるし。
人がパニックになっているのをいいことに、何度も何度も呼吸困難になりそうなほど唇を重ねてきた乾。
「無理矢理?なんで?の顔を覗き込んで、キスしていいかと目で訊いたんだけど
そしたら君が瞳を閉じたから、いいんだなと思って」
「目で訊くな!!言葉で訊かないと通じてないっ」
怒る私に、乾は肩をすくめて笑う。
「まぁ、いいじゃないか。結局は、こうなったんだし」
そう言って、私の薬指に納まったばかりの指輪に唇を寄せる。
全く知らないうちに初めてデートに誘われてから、はや七年。
ネクタイを締めた乾はそれなりに格好いい男になった。
しかし性格がそうそう変わるはずもなく、今でも私を驚かせる。
勝手に結婚を決めたという。
私に相談もなく、両方の両親にまで話が通っていた。
文句を言えば「俺との結婚が嫌なのか?君はとっくに了承してると思ってたけど」と拗ねる。
そういう問題じゃないと怒れば「短気は体に良くないよ」と言われて脱力してしまった。
もう好きにすればいい。
ずっと前から乾はそういう人なんだから。いいかげん、諦めよう。
想像していたよりはセンスの良い婚約指輪が乾の首にまわした指に輝く。
「ね、ずっと前から思っていたんだけど」
「なに?」
鼻先が触れあう距離で、乾が真剣に囁いた。
「君が鈍感過ぎると思うんだ」
鈍感ですって?
反論したかったけど、優しいキスに塞がれてしまった。
おたがいさま
2008/09/18
疲れると甘くなる
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