バレンタインデーキス♪乾編
バレンタインデーキス♪
「ちょっと、その歌。気持ち悪いからやめてよ。」
「酷いな。気持ち悪いは、あんまりじゃないか?」
「とにかくやめて。」
「ねぇ、さん。何か感じてくれた?」
「何も。」
「はぁ・・・俺は報われないなぁ。」
2月14日を前に、乾君は盛んにこの歌を唄う。
遠まわしの催促が通じていないわけではないけれど、
すんなり乗るのも気に食わないから無視してる。
「俺は本気だよ?」
「冗談はそこまでにして。さっさと仕事を済ませましょう。」
時々真顔で囁く彼。
その度に、私の心拍数があがっているのはナイショだ。
周囲からは年下の彼に猛烈アタックをされて、それを軽く交わしているように見えるだろう。
けれど、違う。
本当は私が彼を追いかけている。
彼のことが好きで、好きでたまらない。
でも、知っているの。
彼には可愛い彼女がいること。
偶然、彼が腕を組んで歩いているところを見てしまった。
ああ・・・私はからかわれているのだと。
察してからは、どんなに心が騒いでも、彼の言葉は軽く流すようにした。
チョコぐらい、いくらでもあげるわ。でも、それは義理チョコ。
・・・義理チョコの名を借りた、本気。
それでも、あなたには教えられないから。
10円のチロルチョコに想いだけ、こっそり込めてプレゼントしてあげる。
バレンタインデーの今日も残業。
わざとらしく
『バレンタインデーキス♪』
と鼻歌交じりでキーボードを打つ彼の背中を見つめる。
溜息をつきながらオフィスのコーヒーを入れて、彼のデスクに置いた。
「ああ・・・ありがとう。」
「あとね、これ。義理チョコ。」
宣言して、小さなチロルチョコを親指と人差し指に挟んで見せる。
彼が唖然と見ている前で、そのチロルチョコにチュッとキスをした。
それをそのまま、彼のコーヒーの横に置く。
「はい、どうぞ。 っ!?」
チロルチョコから手を離した瞬間に、乾君に手を掴まれた。
私の手首など楽々まわってしまう長い指で、がっしりと掴まれては逃げられない。
「乾君?」
分厚いガラスの向この瞳は笑っていない。
まっすぐに私を見つめながら、チロルチョコを片手で摘み上げてキスをした。
「間接キスだ。」
「なに・・・子供じみたこと。離して。」
「嫌だ。仁科、悪いけど・・・席を外してくれないかな?」
「へ?あっ、はい。ぼ・・・僕、ちょうど帰るんで。ごゆっくり。」
このオフィスに残っている後輩に声をかけながら、私から視線を外さない彼。
に・・仁科君っ!
助けを求めるかのように、彼を見たけれど。
仁科君は、視線をそらしてそそくさと出て行ってしまった。
二人だけ残されたオフィス。
ブーンと機械音だけが響く空間で、手首をつかまれたまま動けない私。
「ねぇ、さん。そろそろ素直になってくれてもいいんじゃないかな?」
「ふざけないで。私も帰るわ。離してっ」
「さん、心拍数が上がってるね。」
「なっ、何?」
掴んだ手首を持ち上げて、ニヤッと乾君が笑う。
「手首の動脈で脈拍数が分かるんだよ?知ってるでしょう?」
カッと顔に血が昇った。
彼に手を掴まれて、二人きりになって。
さっきから、自分でも分かるくらいドキドキしてる。
それを彼に知られて、どうしようもなく恥ずかしかった。
「もう帰る。乾君も帰りなさいよ。彼女が待っているでしょう。」
やっと目をそらした。
自分のいった言葉に自分で傷つく。バカみたい。
ここまで私を惨めにしなくてもいいでしょう?
泣きたくなるような、やるせなさ。
「心外だな。俺は二股なんかかけないよ?さん一筋。
だから、どこにいっても俺を待っている彼女なんていやしない。」
「嘘。嘘をついてまで、私と遊びたいの?だったらいいわ、好きにしたら?相手してあげる。」
「さん・・・。」
精一杯の強がり。声が震えなくて、よかった。
乾君は口をつぐむ。それから、ひとつ溜息をついた。
「そんな泣きそうな顔で言うなよ。見てるほうが、辛い。なんで、信じない?
俺は君が好きだ。心から君だけだ。他の誰も代わりになれない。君しか見えない。
それなのに、何故っ、俺の言葉を聞かない?」
「私・・・見たのよ。あなたが彼女と歩いてるのを。それで・・・どうやって信じろというの?」
「彼女?それ、いつの話?」
「去年の・・・クリスマスよ。」
「・・・・・誤解だよ。」
誤解?
クリスマスイブに、彼女でもない女の子と腕を組んで歩くの?
そんな話、どんなに人好しの女だって信じられるわけないでしょう?
私は首を振った。
もう一度、手首を離して欲しくて引いたが、彼の手はびくともしない。
本当に泣きたくなってきた。
泣きたくないのに、彼に見せたくないのに、視界が滲んでくる。
ギシッと事務椅子が軋む音がして、目の前が暗くなる。
今まで椅子に座って見上げてきていた乾君が立ち上がって、今度は私を見下ろしていた。
何を?と思った瞬間には、乾君に抱きしめられていた。
「参ったなぁ。あんなところを君に見られているとは思わなかった。声をかけてくれれば紹介したのに。」
「やだっ!離してっ」
「離さない。ちゃんと、話を聞いて。あれはね、いとこ。同い年で仲がいいんだ。
あの日はね、春に結婚する婚約者を紹介するからって、レストランに連れて行かれたんだ。
で、食事だけしたら『お邪魔虫』状態で、イブの街に放り出されて虚しかった。
周囲のカップルを見ながら、ここに君がいたら・・・って泣きたい気持ちだった。」
「嘘・・・よ。」
「なんなら今から電話してあげようか?ちょっと、お喋りだから驚くだろうけど。すぐ、切っていいから。
ちなみに同じ苗字だよ。いとこ、だからね。あっと、春には長坂になるんだったかな?」
「・・・・・・。」
「だから、素直じゃなかったんだ。さん、俺を見ているくせに・・・冷たいから。
さすがの俺も、へこんでた。もう・・・素直になってもいいんじゃないか?」
ポロポロと、私の意思に反して涙が落ちてくる。
乾君は、そっと手首を離して。
その手で、何度も髪を撫でてくれた。優しく、優しく、何度も。
「さんって、泣き虫だったんだね。新しい発見だ。・・・可愛いよ。」
「知らない。乾君のバカ。」
「相変わらず冷たい。でも、好きだよ。」
「ん。」
「短い返事だな。」
頭の上、彼のクスクス笑いが落ちてくる。
彼の胸に頬を寄せて目を閉じた。
乾君の鼓動も・・・速い。
やっと届いた。彼に伸ばしていた、私の手。
背中に添えられていた手が離れていき、何やら気配がして顔を上げると。
乾君がメガネを外してデスクに置くところだった。
初めて見る彼の瞳に。瞬きも忘れて見入っていたら、彼が小さく口づさんだ。
『バレンタインデーキス♪』
歌と一緒に与えられたキス。
それは、彼からのバレンタインデーキス。
「バレンタインデーキス♪ 乾編」
2005.01.27
無駄に長く。無駄に甘い。反省。
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