あなたにあげる 〜乾編〜
あ・・・じゃないか。
え?ひょっとして・・・乾クン?
偶然の再会は7年ぶり。
驚いた。まさか、会えると思っていなかったから。
時の悪戯を、喜びと・・・ほんの少し戸惑いで受け止めた。
ああ、よかった。人違いだったら、どうしようかと。久しぶりだね。高校卒業以来かな?
そうね。乾クン、よく私のことなんて覚えてたわね。さすが、データマン。
いや、ま。忘れてないさ。で、仕事?ここの近くかい?
ううん。今日は休みで買い物に出てきたの。初めて入った店なのよ。凄い偶然。
ノーネクタイ、シャツ姿の彼は、近くのビルでシステムエンジニアとして働いているという。
私は二級建築士として設計事務所に勤めている。
本当なら出会えるはずもない私たちが、街角のカフェで偶然会ったのだ。
ちょっと遅くなった昼休みにカフェラテを飲みに来た、という乾クンには時間がなかったようだ。
腕時計を見て、帰らないと・・・と呟く。
その姿をなんとなく寂しい思いで見つめる私。・・・今さらなのに。
苦い気持ちを飲み込んで笑顔を作りながら、偶然の残酷さを思った。
じゃあ、俺はお先に。
元気でね。
あ、うん。元気には自信あるけど。できたら・・・もう一度、会わないか?
え?
せっかくの偶然だし。あ、迷惑なら無理にとは言わないけど。良かったら。どう?
・・・ええ。いいわ。
じゃあ、来週。6月3日。いいかな?金曜の夜。
6月3日?いいの?
ん?何が?
・・・乾クンがいいなら、いいけど。
じゃあ、決まり。7時に、ここで。念のため、携帯の番号を交換しとこう。
分かった。
乾クンは慌しく携帯の番号を口にすると、じゃあ・・・と今度こそカップを片付けて背を向けた。
普通の人より頭一個分飛び出た身長、広い肩幅の彼が颯爽と歩道に出て行く。
私はガラス張りの店の窓から彼の背中を見つめていた。
ふいに彼が振り返る。
私と目が合うと、軽く手をあげた。
ああ、あの仕草。高校時代と変わらない。
私は胸が痛むのを感じながら、あの頃と同じように手を振りかえした。
6月3日。ねぇ、本当にいいの?
その日は。乾クンの誕生日でしょう?
私・・・忘れてないのよ。あなたの誕生日。
乾クンと私は、高校時代のほんの少しの間・・・彼氏と彼女だった。
付き合って・・・といった言葉はお互いなかったと思う。
気の合うクラスメイトから、なんとなく発展したような曖昧な関係だった。
手も繋いだし、一度だけキスもした。
けれど、恋人・・・という感じになる前に別れてしまった。
彼は全国を目指しテニスに打ち込んでいた。
もともと集中すると周囲が見えなくなるタイプの人だった。
研究熱心で、誰よりも努力家だった彼。
恋より何より、テニスだった。
始めは理解しているフリをしていた私だったけど、寂しくて。
ちゃんと『付き合う』といって始めた二人じゃなかったし、
デートもろくにしない、電話もない、会えない、話せないで。
私のほうが参ってしまった。恋を続けることができず、音をあげてしまったのだ。
嫌いで別れたわけじゃない。
本当は引き止めて欲しかったのに、あっさりと承諾した乾クンに随分と傷ついた。
後悔は大きかった・・・でも昔の話。
今も、ふと懐かしく、切なく思い出す人。
6月3日。
高校時代の私には、何より特別だった日。
大人になってからの私には、ほろ苦く彼を思い出す日。
今日は、6月3日。
「おいしい・・・」
「そうだね。良かった、気にいってもらえたみたいで。
女性が喜びそうな所が分からなくてね。苦労した。」
洒落たイタリアンの店。オフィス街の裏通りにあって穴場らしい。
私たちは約束どおり再会したカフェで7時に会い、彼に連れられてここに来た。
「彼女と来ないの?」
「残念ながらいない。会社は、むさくるしい男ばかりだし、仕事は忙しいし、出会いがない。」
「相変わらず忙しいのね。」
「そう。高校時代から変わっちゃいない。」
「・・・・・」
サラダやパスタが大皿でやってきて、小皿に取り分ける食事。
ひとつのお皿のものを乾クンと分けて食べるなんて。
高校時代と変わらない?嘘。あなた、大人の男になった。
端正な顔で、すっきりとカジュアルを着こなして、長く美しい指でパスタを取り分ける。
私のことを『女性』という言葉で表現したでしょう。
それだって、お互いに歳をとった証拠。
「は?金曜の夜に俺と食事なんかして、ヤキモチを妬く彼はいないのかい?」
「そう、ね。男ばかりの職場にいるわりには・・・もてない。今は、フリーよ。」
「今は、か。うちの職場に君みたいな美人がいたら激しい争奪戦が起こると思うんだけどな。」
「乾クン、大人になったわね。お世辞も言えるようになったんだ。」
「酷いな。本気で言ってるのに。」
「顔が笑ってる」
「もともと、こんな顔なんだ。」
「そう?昔は眉間に皺寄せて、難しい顔ばかりしてたけど。」
「そうだったかな」
「そうよ」
7年ぶりの会話。やりとりが、楽しい。
すぐに時間は逆戻り、あの頃みたいに気軽に話せている。
乾クンもフリーなんだ。頭を掠める思いは、すぐに封じ込めた。
嘘かもしれない。恋人がいても、もう会うこともない私に話すことじゃないと思ったかもしれない。
第一、彼に恋人がいなかったとして、それがどうしたというのだろう。
分かってる。時間は戻った気がしても、それは錯覚でしかないこと。
時計の針は戻らない。
お互いの近況や仕事のことを話し、後は昔話に花が咲く。
懐かしいクラスメイトたちの今をお互いが披露して笑う。
けれど、ふたりが付き合っていた事については触れない。
苦い、あの別れにも。
最後にデザートとコーヒーが出てきたところで、急に乾クンが質問してきた。
「今日、何の日だか知ってる?」
ハッとして顔をあげた。小さなケーキを食べようとしていたフォークが止まる。
乾クンは、真っ直ぐ私を見ていた。
何ともいえない顔だった。笑ってはいない。無表情でもない。
探るような・・・窺うような瞳に、それは誕生日をさしているのだと知る。
迷った。答えようか、それとも・・・知らないフリをしようか。
本当はカバンの中に、ささやかなプレゼントが入っている。
青いセルで作られたシャレたボールペン。
迷って、悩んで。
それでも、渡せなければ自分で使えばいいと、自分自身に言い訳して買ったもの。
渡せないと半分以上は覚悟しながら買ったものだった。
「あ・・・いや。たいした日ではないんだ。ただ、俺には意味があって」
迷っているうちにできてしまった沈黙に、乾クンの方が耐えられなかったようだ。
少し早口で言いながらコーヒーカップに口をつけた。
彼には意味がある。そうよね、誕生日なんだもの。
「お誕生日おめでとう」
できるだけ自然に、さらっと流すように口にした。
乾クンはコーヒーカップを持ったまま瞳を大きくする。
「覚えてた?」
「ま・・・記憶力はいいの。」
「ありがとう。嬉しいよ。」
彼が心底嬉しそうに微笑む。
ふち無しメガネの奥の瞳が柔らかく細められて優しいから、
なんだか眩しくて彼の顔が見られなくなってしまった。
動揺を悟られないよう下を向き、丁寧にケーキを一口大に切る。
その間も、乾クンがあの眼差しで私を見ているのを感じて顔があげられない。
「俺・・・さっき、俺には意味があるって言ったけど。」
「え?」
「誕生日に会う約束をした意味、は考えてくれた?」
意味の分からない問いかけに顔をあげると、やっぱり優しい瞳の彼が私を見ていた。
「わざわざ、自分の誕生日に会いたいと言った俺の気持ち。」
乾クンの気持ち?
「やっぱり、誕生日には・・・好きな人と会いたいだろ?」
好きな人?・・・それは?
私の頭は、まわらない。
目の前の人がメガネを人差し指で何度も上げるのを見ながら、
緊張している時に彼が見せていた仕草だと余所事のように思った。
「ずっと。ずっと・・・会いたいと思っていた。会いたかったけど、こっぴどく振られた人間だし。
勇気がなくて・・・忙しさに紛れて時間ばかりが過ぎていった。
そりゃ、付き合った人もいた。けど、やっぱり君と比べてしまう。
君に会いたいと。ここ最近は、本気で思ってた。
カフェであった時。生まれてはじめて神様とか運命とかいうものを信じる気になったよ。
このチャンス。絶対に、逃したくないと思った。
できたら、振られなくはないんだけど。まぁ、そんな勝手なことも言えないな。
でも、俺の誕生日と知って来てくれたのなら・・・言わせてもらうよ。」
私は息を呑む。
手にしていたフォークを離し、膝の上で両手を握り締めた。
俺は、君が好きだ。あの頃から、ずっと。
君が好きなんだ。
店の中は、食器の音とおしゃべり、緩やかなBGMでざわめいていたはず。
なのに。このときの私には、乾クンの声以外の音が全く聞こえていなかった。
視界に映るのも彼以外、何も映っていなかった。
背景も、他の客も、すべて消えて。
彼だけが、圧倒的な存在感で私の前にいた。
私は隣の椅子においてあったバッグを手にした。
私が帰ると思ったのか「っ」と乾クンの焦った声がする。
大丈夫だから、と声に出したつもりだったけど声にならなかった。
バッグを開いた私の手にポツリと雫が落ちる。
ああ、と。手の甲で涙を拭ってから、バッグの奥に仕舞った小さな包みを取り出した。
白い包みに、水色のリボン。
それを一度、ぎゅっと胸の前で握り締めてから、乾クンを見た。
乾クンは唖然とした顔で私の顔を見つめている。
7年ぶりに、あなたに渡す誕生日プレゼント。
7年分の私の恋心も一緒に。
「あなたにあげる」
声は震えて掠れてしまった。
差し出した包みに、乾クンの手が伸びてきた。
彼は私の目を見たままで、プレゼントじゃなくて、それを持つ私の手ごと握った。
「ありがとう。・・・一生、離さないよ。大事にする。」
乾クンの声も掠れていた。
7年の時を越え。
今日、私たちは想いを通わせた。
「あなたにあげる 〜乾編〜」
2005.06.03は乾くんのBirthdeay!
はぴば。乾クン。あなたは私にとって、いい男。
テニプリ短編TOPへ戻る