彼のハートをゲット
迷うこと三十分。
このままでいれば一時間、二時間でも迷えそうだ。
書店に並ぶのはバレンタインデーに向けた手作りチョコの本。
『ぶきっちょさんでも大丈夫、簡単お菓子作り』か。
『彼のハートをゲット!手作り本命チョコ』か。
私の実力からいくと間違いなく『ぶきちょさんでも大丈夫』を買うべきだ。
分かっているけど、『手作り本命チョコ』のほうが見た目も味も断然に良さそう。
なんてったってチョコで彼のハートをゲットしようっていう心意気が違う。
広げたページを見比べては溜息をつく。
簡単に作れるものは、やはりそれだけのモノのような気がする。
お菓子作りの技術があれば、迷わず『彼のハートをゲット』を買うんだけど。
いや、根性出せば作れるのかな。
本通りにやればできるはず。ただ、書いてあることの意味が分からない。
聞いたこともない材料や用語が並び、その時点で終わっている気がする。
「やっぱ、ぷきっちょかな?」
「それほど不器用でもないでしょう?」
二冊の本を前に呟いたら、思いがけない声が応じてきた。
人が隣に立つ気配にも気づいてなかった私は、あ然と声の主を見上げる。
「観月クン!?」
「はい?」
赤くなって青くなる。
会えて嬉しくて、今は会うとマズい人の出現に頭は大混乱。
わたわたと手を振り、気のきいた誤魔化しもできない私と違って、観月クンは冷静だ。
「見た目は違っても作る手順なんて、そう変わりませんよ」
「そ、そうなんだ」
「まぁ・・どちらの本を選ぶかは誰にあげるかにもよるでしょうけどね」
「ええっ」
しっかりと私が手にした本をチェックしたらしい観月クン。
私、動揺しすぎ。
だって、あげたい人が目の前にいるんだもの。
「ほら。義理でたくさん配るのなら簡単で多く作れるものが良いでしょうし
女のコ同士なら見た目とかでしょう?本命だったら・・・」
本命だったら?ゴクリと息をのんだ。
「やっぱり手の込んだものでしょうね」
ああ、やっぱりそうですか。
やや脱力しかけた私に向かって、観月クンが微笑む。
ゆるくウェーブした髪に彫刻のように整った顔は、まるで天使。
それを友だちに話してみたら、『眼科へ行った方がいいよ』と返されたっけ。
ああ、いつ見ても眩しい笑顔だ。
「で?誰にあげるんです?」
見惚れているところにサラリと聞かれ、顔が引きつるのが分かった。
誰、誰って。そりゃ、観月クンですけど・・
「と、友だち」
「ああ、友チョコですか。女のコって、付き合いが大変ですね」
「そうそう、大変。本命チョコぐらい凝らないと許してもらえなくて」
お愛想笑いで本命チョコの本をふって見せた。
ちゃんと誤魔化せただろうかと内心で焦る私から、観月クンが二冊の本を取り上げた。
慣れた手つきでパラパラと中をめくり、ふんふんと頷くと『ぶきっちょさん』のほうを差し出してくる。
「ブラウニーはどうです?簡単で一度にたくさんできますよ
この写真のようにラッピングに凝ると見た目もいいし」
「ホントだ。ラッピングが可愛いね」
「簡単にできるものでも、こうやって包むと女のコ好みに可愛らしくできますよ」
「私にも作れるかな?」
「大丈夫でしょう。混ぜて焼くだけです」
にこっと観月クンが笑う。
色とりどりの包みとリボンで飾られたブラウニーの作り方を観月クンが解説してくれた。
白く長い指が小さな活字を追う。
耳元で語られる材料の名前。
頬が勝手に熱くなるのに焦りながらも、この時間を持てた幸せにウットリしてしまった。
「どうです、できそうですか?」
「ハイ、先生!、ガンバリマス」
敬礼をして見せたら、観月クンが思わずというふうに声を立てて笑う。
「じゃあ、できたら僕にも味見をさせて下さい」
観月クンが笑顔のままで軽く言った。
さっきまでのノリで「了解しました」と笑ってしまえば、苦もなく観月クンにチョコを渡せただろう。
だけど気持ちをこめたチョコを渡そうと勇気を振り絞って考えていた私は答えに怯んでしまった。
言い淀む私に観月クンの表情が少しだけ曇る。
「冗談ですよ、本気にしないでください。はい、本」
笑顔に戻った観月クンは今にも帰ってしまう雰囲気だ。
じゃあ・・と半分は体を出口に向けてしまった観月クンの袖を私は思わず掴んでしまった。
ひっぱられた袖に目を丸くした観月クンが振り返る。
何か言わなくちゃ。何かと焦った私は、観月クンの黒い瞳に見つめられて物事がうまく考えられなかった。
そんな私が口走ってしまったコトといったら。
「観月クンには、もっとスゴイの作るから」
観月クンの目が見開き、次には柔らかく弓を描く。
私は言ってしまってから『シマッタ』と青くなり、また恥ずかしくなって赤くなる。
「・・・期待しています」
そう言って微笑んだ観月クンは、今度こそ「また明日」と残して去っていった。
結局、私は二冊とも本を買った。
そして、バレンタインデーの日。
緊張のあまりに顔もあげられずに差し出した包みを観月クンは受け取ってくれた。
目の前でリボンをほどき、白い箱を開いた観月クンがフッと口元を緩める。
そのまま柔らかく笑みを作ると、うかがうように首を傾けた。
「これ・・手作り本命チョコに載ってたやつですけど、僕が貰っても?」
問われれば、頷くと決めていた。
「観月クンに作ったの」
これが私の精一杯の努力と告白です。
観月クンが私の作った不格好なチョコに手を伸ばした。
ひと欠片を口に含み、緊張と恥ずかしさで涙ぐむ私に向かって悪戯っぽく笑う。
とっくに僕のハートはゲットされちゃてるんですけどね、って。
彼のハートをゲット
2010/02/22 日記掲載ss
ボツ作品でしたが、皆さんが『もったいない』と言って下さったので・・・
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