あの日、あの時。
ありえない。絶対、無理!
何度、思ったことだろう。
それでも、ちゃんと足が氷帝のベンチに向かっているのだから泣けてくる。
背中に熱い視線を感じるのは気のせいなんかじゃない。
意地悪な乾クン、面白がりの菊丸クン、優しい顔して腹黒い不二クンが私を見ているのだろう。
グッと握った右手には、手塚クンの予備メガネ。
試合中の破損に備えて、彼がいつもロッカーに入れているモノだ。
『手塚クン、あの・・・予備のメガネを貸してもらえる?』
『突然、なんだ?』
『えっと。乾クンがメガネを壊してしまって・・・手塚クンに借りてきてって。』
『乾が?度が全く違うぞ?確か、アイツは乱視も入っているんじゃ・・・』
『そ、そうなんだけど。な、ないよりはマシだからって。』
乾クン、スゴイ。
手塚クンの質問は彼が予想したとおりのもの。
暗記させられた答えをぎこちなく答えると、手塚クンは素直に予備のメガネを出してきた。
『こんなことまで頼まれてはマネージャーも大変だろう?』
『い、いいのよ。たいしたことじゃないし、』
『そうか?いつも、すまないな。』
手塚クン、なんて好い人なの!ゴメンナサイ!
心の中で土下座すると部室を飛び出した。
外では期待顔の三人組が待っていた。
『ヤッター!手に入れたんだ!』
『さすが、部長の信頼厚いマネージャーだな。俺が言っても手塚は絶対に信用しないだろう。』
『これで手塚のメガネは手に入った。次は、忍足だね。』
最後にニッコリと微笑んだ不二クン。
ホント、嬉しそうで嫌になる。
あの日、あの時。
彼らに誘われて、うっかり仲間に加わったゲームが今更ながら悔やまれた。
『ハイ、負けたのはね。』
『ひ・・酷いよ。菊丸クンはともかく。不二クンと乾クンのずる賢さに勝てるはずがないじゃない!』
『酷いのはだよ。誰が、ずる賢いだって?ずる、は不要。賢い奴が勝つんだよ。』
『乾の言う通りだよ。さて、じゃあ・・・罰ゲームはね。』
『罰ゲームですって?なに、それ!』
『あれ、に言ってなかったっけ?でも、決まりだもんね!罰はねぇ・・・』
菊丸クンから屈託なく言い渡された罰ゲーム、それは。
『手塚のメガネと忍足のメガネを交換してくる』
無理だって言った。
そりゃ必死で抵抗したし、最後は泣き真似までしてみたが、
菊丸クンはともかく・・・乾クンと不二クンには通用しなかった。
『だって、どう考えても無理でしょう?
忍足君と話したのなんて、何かの試合の時に挨拶したぐらいよ?
第一、青学のマネージャーが氷帝に乗り込んでいくのなんて不可能でしょ!』
『その点は考えてるよ。心配しなくても、今週末に氷帝の何人かと外で試合する約束をしているんだ。』
『何それ?私は聞いてないし、手塚クンだって何も言ってなかったよ。』
『だから非公式っていうか、遊びみたいなもんだよ。外でって、言っただろ?』
コイツら・・・と、ムカムカした。
計画は既に出来ていて、それを実行するのが『私』だということ。
完全にハメラレタのだと気づいても、口達者な三人に押し切られては断わりきれなかった。
だって断わったら、
『代わりに一ヶ月間、毎日三人分の手作り弁当を作ってきてもらうからね』とか言うんだもん!
手塚クンのメガネを手に入れた後、雲隠れした乾クンの用意周到さに呆れつつ部活を終えた。
呆れた事に、この後更に氷帝の人たちとテニスをするという。
馬鹿がつくほどテニス好きで、タフな彼ら。
私はマネージャー業を終わらせた後、
手塚クンのメガネを握り締めて指定されたクラブハウスに駆けつけたというわけだ。
そして、今に至る。
忍足君が一人になるのを狙っていた。
うまいこと、汗でも拭うためにメガネを外してベンチにでも置いてくれないだろうか?
そんなことも考えたが、黙って取れば泥棒だ。(手塚クンに対しては詐欺だが)
策略家の乾クンは『取り替え方はが考えるんだよ?』と何もアドバイスをくれなかった。
完全に遊ばれてるというか、面白がられてる。
色々と考え迷った挙句、正面から行くことにした。
例え数秒であっても交換すればいいのだ。
非常に恥ずかしく情けない事態だけれど、忍足君にお願いするしかないと腹をくくった。
こっちは乾クン、海堂クン、不二クン、菊丸クン。
向こうは宍戸君、鳳君、向日君、そして・・忍足君。
ひと通りの乱打やミニゲームが行われた後の休憩時間に、
私は鬼のような三人に背中を押されて氷帝側のベンチに向かっていた。
片手にメガネ。それを、そっとポケットに仕舞う。
もう片方の手には、手土産として渡された乾特製ドリンク入り水筒を持って。
「あ、あの・・・これ、良かったら。」
水筒を差し出せば、目を丸くした氷帝のメンバー達。
けれど直ぐに表情をゆるめ「ありがとう」と水筒を受け取った。
「それ・・言いにくいんですけど、乾クン特製のドリンクなんです。
ご存知かは知りませんが、彼のドリンク・・・効果は素晴らしいですが味は最低です。」
「あっ、知ってる!昔、六角の佐伯に聞いたぜ!」
「ああ、俺も聞いたことがある。岳人、お前・・・ひとまず飲んでみ。」
向日君の言葉を受けた忍足君が、ゆったりとした関西弁で話す。
ドキッとした。
忍足君の声・・・すごくイイ声。
手塚クンや乾クンの声を聞きなれている私でも、ドキリとしてしまう低くて柔らかな男の人の声だった。
「なんで俺なんだよ!侑士が飲めよ!」
「俺なぁ、おふくろから知らん人に貰った物を容易く口にしたらあかんって、きつぅ言われて育ったんや。」
「はぁ?乾は知ってるだろ?」
「あんまり深くは知らんな。ヨシ、じゃあ・・・鳳に毒味を」
「いやっ、その。」
「コラッ、忍足!チョタは育ちがいいんだから、んなもん口にして倒れたらどうするんだよ!」
四人がドリンクの毒味で揉めているのを横目に、いつメガネの事を切り出そうかと胃が縮む思いをしていた私。
じゃあ、彼女に毒味してもらおうか?という言葉を理解するのに時間がかかってしまった。
「はぁ?」
「いや。お嬢さんなら、乾のドリンクも飲んだ経験あるやろ?
君の反応見てから、俺らも飲んでみようかな・・・って。なんや、直ぐに断わるのも悪いしな。
ちょっと、その最低とかいう飲み物に興味もあるし。」
忍足君が私を見上げる。
彼のメガネは丸メガネなんだ、とか。鼻筋が通って綺麗な顔だな、とか。
やや現実逃避した事を思ったが、興味津々の氷帝サンたちに見つめられ仕方なく水筒を手に取った。
カップに注ぐと、みょうにトロみのあるドリンクが流れ出てきた。
なんとなく甘い香りがしてフルーツ入りの予感を感じさせたが・・・色がビミョーだ。
思わず青学側のベンチを振り返ると、自信たっぷりの乾クンが頷いていた。
飲むわよ。飲めばいいんでしょ。
飲んだら言うわよ!このメガネと交換してくださいって!
せーの。
ぐびっと、一口飲んだ。甘い、と思ったのは一瞬だった。
後から襲いくる強烈な苦味・・・これは、なに!?
口元を押さえて蹲る。
「ちょっ、ジブン、大丈夫か?おい、」
慌てた声の忍足君が私の脇に膝をついて背中を叩いてくれる。
苦い、気持ち悪い。けれど、今しかない!
込み上げてきそうな吐き気に涙ぐみながらも、思わず忍足君の腕を掴んだ。
「お・忍足・・くん・・・」
「どうした?ホント、悪い、こんなに恐ろしい飲み物とも知らず。岳人、水や!水!」
「お願いが、」
「な、なんや?」
「メガネを、」
「メガネ?」
「このメガネと・・・取り替えて、」
忍足君の目が真ん丸になっているのを見つめながら、私は手塚クンのメガネを差し出した。
後に彼は、この日の事を思い出しては笑う。
何回思い出しても笑えるのだと言う。
「俺な。ずっと前に試合会場での事を見かけてから・・可愛いなぁって思ってた。
そしたら、あの日は思いがけずにが現れて、めちゃラッキーと思うてたら・・・乾のドリンクやろ?
お前、目に涙ためたうえに頬を染めて俺の腕をつかむから、もう心臓バクバクして期待しまっくてたのに。
口を開いたと思うたら『このメガネと取り替えて』やもんな。何事かと思うたで。」
「仕方ないでしょう?とても普通に交換をお願いできる状況じゃなかったのよ。
にしても、あっさりと手塚クンのメガネをしてくれたじゃない?」
「やって、いまわの際みたいにお願いされたら、するしかないやろ?
それやのに、お前。俺の顔見て、思いっきり笑うたな。」
「だって、恐ろしく似合ってなかった。銀行員に扮した詐欺師みたいだったのよ。」
手塚クンの神経質そうなメガネをかけた姿、あれは笑えた。
「なんや。やって、また笑う。」
「だって、」
「まっ、ええか。」
「そうね、」
自然に伸びてきた侑士の手に肩を引き寄せられ、ふんわりと腕の中に抱きしめられた。
こうやって二人で過ごす時間があるのも、あの日あの時があるから。
いまだに同窓会で会う彼らは『俺たちに感謝しろよ』などと、ふざけて言うけど。
まあ、ちょっぴりは感謝しています。
あの罰ゲームから、私たちの恋が始まったのだから。
「あの日、あの時。」
2006.06.21
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