弦一郎の恋 〜「ずっと傍にいて」続編〜
弦一郎の様子に変化を感じたのは、この春だった。
ある朝、部室に入ってきた弦一郎のブレザーからボタンが一つ消えていた。
何事もキチンとしていないと気にいらない弦一郎だから目についた。
「弦一郎。ボタンが取れているぞ。」
「ああ。朝の電車で他校の生徒に引っかかってしまい取れてしまったんだ。」
「相手は女だろう?」
「ん?よく分かったな。N高の女子だったようだが。」
人間に引っかかるといえば、女性の長い髪が絡んだ確率が高いだろう?
弦一郎の事だ。自分のボタンを引きちぎって差し出したであろう事は想像できた。
「気をつけろよ。お前は、お前が思っている以上に人気があるらしいからな。
ファンの女子に抱きつかれて鼻の下を伸ばしてなどいたら、」
「くだらん。つまらない事を言ってないでサッサと行くぞ、蓮二。」
前半は冗談でもないのだが。
女性関係に疎い弦一郎では、からかい甲斐もないことだ。
そう苦笑して弦一郎についてコートに向かった。
その数日後からだ。
弦一郎の様子が段々と変わっていった。
相変わらずコートに立てば鬼神の如くであったが、普段の素である弦一郎に変化が見えた。
「柳、どう思う?最近、どうも真田が落ち着かないように思わないか?」
「さすが部長殿。で、どこらへんに変化を感じたのか教えてもらおうかな。」
「昨日、真田と呼んでも気づかないほど物思いにふけっていた。今まで、そんなことは一度もなかった。」
「ほぅ。興味深いな。」
「朝錬の時間を変更しようかと話した時、これといった理由もなく嫌がったのも真田だ。」
「ふむ、確かに。何かを主張する時は、必ずその理由を述べるのが弦一郎だ。」
「極めつけは、」
「ふむ。」
「人に名前を聞くには・・どうすればいいのかと柳生に聞いていた。」
「なんだそれは?」
「当然、柳生も訳が分からないから丁寧に聞き出していたが。どうも、女のコの名前を聞きだす方法だったらしい。」
「柳生も口が軽いな。いや、仁王の盗み聞きか?」
指摘すると、幸村は嬉しそうに肩をすくめた。
弦一郎の事だ。
あまり詮索されず口の堅い柳生を選んだのは正解だが、裏にいる仁王のことまでは考えつかなかったに違いない。
が、これで答えが出た。
弦一郎も恋をしたか。
見てのとおり、弦一郎は頑固だ。
下手に口を出すと拗れてしまうこともある。
幸村と二人『この大事な時期に弦一郎が恋におぼれて調子を崩さなければ良いが』と心配しつつ、
経過を黙って見守る事にした。
俺たちが弦一郎の変化に気づいてから一月以上がたった。
弦一郎が恋をした相手に対し部員達の間で色々と憶測が飛びかう中、当の本人は噂になっているのにも気づかない。
学内で誰かを意識している様子はない。
部活は暗くなるまであるし、その後は真っ直ぐ家に帰っているようだ。
誰かと待ち合わせをしているふうでもないし、連絡を取り合っている様子もない。
柳生からの情報では弦一郎が相手の名前を知りたがっていた。
それらを総合的に判断して、相手は他校の生徒。
それも出会うとしたら通学途中しかない。
そこでピンときた。
真田のブレザーのボタンに髪をからませてしまったというN高の女子。
これがアヤシイ、と。
部活の後、一年生達がコート整備をしているのを監督している弦一郎が遠くの夕日を見つめていた。
弦一郎にしては珍しく、ただぼんやりと。
レギュラージャージを靡かせて腕を組んで立つ姿に弦一郎の恋を思う。
「真田は、また物思いか?」
「うむ。片想いは辛いだろう。
恋をすると美しい夕日にも胸が痛むものだ。」
「へぇ、そうなんだ。
でもね、柳は片想いと決めているようだけど分からないよ?」
「どう見ても付き合ってはいないだろう?」
「それはそうだけど。相手のコの気持ちは分からないだろ。」
幸村は心底楽しそうだ。
そのうち真田の後を探偵よろしく尾行するのではないかと思う。
全国大会に向けての地方予選は既に始まっていた。
俺たちの心配は杞憂に終わり、弦一郎はいつにも増して集中した圧倒的強さを見せる。
テニスはテニス。恋は恋。
さすが頼りになる副部長だと胸を撫で下ろした。
が、その後からだ。
弦一郎の様子がおかしくなった。
「珍しいね。真田が朝練に遅れてくるなんて。」
「すまない。」
一言だけで、黙々と着替え始める背中に俺たちは目配せをする。
幸村は溜息をつくと真田の隣にあるロッカーを開けながら、さりげなく切り出した。
「ね、真田。何か悩んでる事があれば相談に乗るよ?
ほら、よく言うだろ。三人寄れば文殊の知恵ってね。」
「いや、なにも・・」
瞬時に断わろうとした弦一郎に俺も重々しく頷いてやった。
弦一郎を挟んで俺と幸村。
何があろうと聞きだしてやる気マンマンの幸村を牽制しつつ静かに弦一郎の言葉を待った。
しばし逡巡した弦一郎が重い口を開く。
俺たちは酷く真剣に弦一郎の恋を聞いた。
「ヨシ、分かった。真田は彼女を見つけるまで朝練は来なくていい。」
「なっ、それは駄目だ。こんなことでテニスをおろそかにしては他の者にしめしがつかん。」
「うるさい。部長命令だ!とにかく探し出してフラれて来い!」
「ふられて・・・とは、やはりそうなのか?俺は嫌われてしまったのか?」
「そんなの彼女に聞かないと分からないよ。」
「だが、今お前はフラれて来いと」
「真田らしくない、細かい事は気にせず行って来いってこと!」
幸村はとんでもない励まし方をしているが、彼女に会って確かめるのは必要なことだと俺も思う。
ここは俺も人肌脱ごう。
今まで彼女と会っていた電車の時間。
N高の始業時間との兼ね合いも考えて、前後何本かの電車をピックアップする。
彼女が乗っていた車両からホームに出る階段の位置を推測して乗車駅を予想しよう。
弦一郎は俺たちのお節介に戸惑いつつも、最後は「すまないな」と、はにかんだ。
俺たちは世にも不思議なものを見たような気持ちになったものだ。
その日は朝から小雨が降っていた。
朝練は中止。
それでも俺たちは首尾を確認するべく、弦一郎を部室で待っていた。
なのに弦一郎が登校してこない。
予感を感じながら、俺たちはギリギリまで部室で待ってから教室に入った。
ああ、落ち着かない。
弦一郎が授業に遅刻してくるなど有り得ない話だ。
今ごろ幸村もイライラしているに違いないと思いつつ、うわの空で授業を受けてしまった。
一時間目が終わると同時に廊下へ出た。
そこで幸村と鉢合わをせして、お互いが苦笑しつつ弦一郎の教室に向かう。
「落ち込んでいたらカラオケにでも行こう。唄えば気が楽になるだろう?」
「それより幸村が全力で試合をしてやった方が憂さ晴らしになるんじゃないか?」
「でも雨だよ?それに真田と全力で戦ったら次の試合にひびくよ。」
「うむ。マイッタな、」
コソコソと話しながら、上階まで階段を二段飛ばしで駆け上がった。
角を曲がって直ぐが弦一郎の教室。
二人で息を整えてから「せーの」で、教室を覗いた。
「真田」
「弦一郎」
同時に呼べば、ノートを仕舞っていた真田が顔をあげて「ああ、」と笑った。
その瞬間に分かってしまった、俺たちは見当違いな心配をしていたのだと。
弦一郎がとても穏やかに微笑んでいたから。
体育祭に弦一郎の彼女に会った。
部員一丸となって「会わせてくれ!」と懇願した結果だ。
が、思ったよりあっさりと了承した弦一郎に拍子抜けもした。
彼女に会って分かった。
弦一郎は彼女を隠すつもりなど更々ないのだ。
というよりむしろ、美しく清楚な恋人を俺たちに見せびらかしたかったに違いない。
恋人を自らの体で庇うようにして歩く弦一郎の背中を見送って幸村がポツリと言った。
「なんか、恋したくなってきた。」
「幸村は選り好みしなければ簡単だろう?」
「違うよ、柳。俺が好きになって、相手にも俺を好きになって欲しい。そんな恋だよ。」
「なるほど。」
弦一郎は強くなった。
皇帝と呼ばれても恥じない強さで立海を全国へ導いていく。
恋は、いいものだな。
そんなことを思う今日この頃だ。
弦一郎の恋 〜ずっと傍にいて 続編〜
柳・幸村奮闘記
2006.07.28
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