バイトを終え、外に出たら小雨が降っていた。
あたりは既に暗く、街灯の光りに雨がキラキラと輝いて落ちる。
これぐらいの雨なら駅まで走れば大丈夫かな。
そう思って足を踏み出した時、隣から大きな傘が差しかけられた。
暗い路地に立つ人を見上げる。
声など出るはずもなかった。
どうせ失うのなら
一年ぶりに会う手塚君は少しだけ髪が伸びていたけど、雰囲気は変わらない。
連れてこられたカフェも、あの頃と変わらない。
デリカシーのない人ねと恨み言をいいたい気もしたけれど、隠した喜びのほうが大きかった。
「元気そう。」
「ああ。」
相変わらず言葉の少ない彼。
こんなに無口な人と、一時とはいえ付き合っていたのだから信じられない。
よく考えれば『好きだ』とか『付き合ってくれ』とか、分かるような言葉で想いを告げられた事はなかった。
週に一度、同じ図書委員として貸し出しカウンターに30分ほど座っていた私たち。
日付の判を押したり、貸し出し業務をするのが私の係り。
私の隣で本を整理する係りの手塚君は、気づけば返却された本を読みふけっているような人だった。
『手塚君、それ借りる?手続きしようか?』
『ん?ああ、頼む。』
『それ続編もあるよ。』
『・・・どこに?』
『そこ、新刊案内のとこ。』
『ありがとう。』
面白い人だった。
周囲の男子にはない落ち着きは、とても高校生とは思えない。
それでいてテニスは全国に名が知られるほどに強い有名人。
だからといって浮かれてる風でもないし、淡々としている。
綺麗な顔をした人だと思っていた。
無口だけど、それが嫌だと思ったこともなかった。
週に一度の委員会の仕事が、とても待ち遠しかった。
ああ、あの日も雨だったな。
『、濡れるぞ。』
『手塚君?』
傘を持たない私が昇降口を飛び出そうとした時、後ろから声をかけてくれたのが彼だった。
思い出して、ついメニューを見ながら口元が緩んでしまった。
目の前の手塚君が『どうした?』と目で問ってくる。
「ちょっと思い出し笑い。」
「何を?」
「手塚君て、雨男なんだろうなぁって。」
意味が分からないだろうなと思ったのに、手塚君は『ああ』と納得したような顔をしてから首を横に振った。
「俺じゃない。お前が雨女なんだろう。」
お前と言われて、鼓動が跳ねた。
そんな呼び方をされたのは、いつ以来だろう。
二人が肩を寄せ合い笑っていた頃、あれ以来。今ごろ、どうしてと胸の辺りが痛む。
「どうして会いに来たの?」 今さら、何を?
「・・・俺は」
言いかけたところでウェイターさんが注文を取りに来た。
私たちはぎこちなく視線を逸らし、それぞれが温かい飲み物を注文する。
向かい合った二人用の席は小さくて、恋人同士には幸せな距離でも別れた恋人同士には不似合いだと思った。
テーブルの下で手塚君の長い足にぶつからないよう注意するのが今の私。
付き合っている頃は膝と膝を重ねるようにして温もりを感じたのに。
邪魔が入って言いかけた言葉が繋げられない手塚君は窓の外に視線をやった。
窓には雨垂れが落ち、滲んだ街の明かりが綺麗に映っている。
「雨が降ると・・・」
「え?」
ぼんやり窓の外を眺めているようだった手塚君が唐突に言う。
「いつも思い出していた。」
何をとは訊かなかった。それは、私も同じだったから。
「初めて二人で帰った日、あの日も雨だった。」
「そう・・ね。」
「お前と俺では身長差がありすぎて、一つの傘ではお前が濡れてしまった。」
「うん。」
雨でけむった白い帰り道。
手塚君は濡れてしまう私の肩を抱き寄せて『すまない。寒いだろう?』と言った。
あれから私たちの関係は変わった。ちゃんとした言葉はなくても、私たちの間には通じる気持ちがあったから。
「お前が体育館の裏で泣いていた日も雨が降っていた。」
「手塚君・・・」
「知っていたんだ。お前が、俺のせいで泣いていたことを。」
「それは手塚君のせいじゃなくて、」
「うまく守ってやることができなかった。
お前の様子がおかしいと思いながら、自分のことで精一杯だった。」
仕方なかった。
手塚君は自らの腕に不安を抱えながらテニス部を率いて全国大会を目指している時だった。
付き合いを隠そうとしない手塚君に、彼を慕う女のコ達の気持ちが私に向かうのは当然のことだったの。
なんの取り得もないくせに。
手塚君の足手まといなんじゃないの?
あの手塚君のカノジョと呼ぶには、あんまりじゃないの。いい気になって。
面と向かって、隠れて、手紙で、メールで、色々な事を言われた。
駅では見たこともない制服を着たコに「手塚君に似合ってないよ」と擦れ違いざまに言われたこともある。
手塚君に不釣合いなことは自分が一番よく分かっていたから、言い返す言葉もなかった。
手塚君には言えない。
苦しくて、辛くて、ただ隠れて泣くしかできなかった。
「俺に余裕ができた時には、お前はひと回りも小さくなって、笑えなくなっていた。」
私は『違う』と言いたくて頭を振った。
もっと言いたいことがあるのに、口を開けば嗚咽が漏れそうで息を止めて耐えるしかない。
手塚君が窓の外を見ているのが救いだ。
「ここで別れを告げた日も・・・雨が降っていたな。」
ごめんなさい。今、やっと分かった気がする。
突然に告げられた別れの理由。
手塚君が教えてくれなかった訳と『すまなかった』の呟き。
あの時の手塚君には、そんな辛い遣り方でしか私を守る方法がなかったのだろう。
とうとう嫌になったのだろうと私は思った。
平凡な私より可愛いコは山ほどいる。
全国大会を制覇した手塚君はマスコミにも追われる『時の人』になっていたし、当然の結果だと私は受け止めた。
涙が零れそうになった時、頼んだカフェオレが運ばれてきた。
ウェイターさんがテーブルにカップを置く間に、髪を直すようなふりで涙を拭う。
しっかりしなきゃ。
手塚君の後悔を消してあげたいと思う。
卒業後、アメリカに渡って一年。その間も苦しんでいたのなら、あまりに可哀相だ。
ごゆっくりという言葉を残して去っていくウェイターさんの背中を見送り、私は笑顔を作った。
「ありがとう、手塚君。もう充分。
それに手塚君が悪いんじゃないの。私は私に自信がなかった。
手塚君が悔んだり、私に悪いと思うようなことじゃない。だから・・・もう忘れて?」
想いを込めて語りかければ、手塚君が真っ直ぐ私を見た。
その瞳に正面から見つめられのたのは随分と昔のこと。
泣き出したくなるような胸の痛みが今も変わらないのは私の気持ち。
あなたが好きよ。
あの頃から、変わらず。いいえ、それ以上にかもしれない。
失って、もっともっと好きなのを知った。
手塚君は小さく溜息をつくとポケットから何かを出してきた。
大きな手を開けば、硬くなったマメが並ぶ掌の真ん中にメッキの剥げかけた金色のボタンがあった。
直ぐに何のボタンか理解した。
理解したら、もう気持ちを耐える事ができない。
「忘れてという相手に渡すものではないと思うが・・・俺の気持ちだ。
馬鹿な男だと思うだろうが、お前を忘れた日など一日もない。
どうせ失うのなら・・・本当の気持ちぐらいは告げて失いたかった。」
手塚君の顔、もっとちゃんと見たいのに良く見えない。
卒業式に貰えるはずだった第二ボタンが手塚君の制服から無くなっているのを見た時、本当に諦めたはずの恋だった。
失くしたはずの物が、彼の手のひらに乗せられて差し出されている。
私の手はボタンに伸びていた。
頭で考えるより、心が彼のボタンを欲しがっている。
指先がボタンに触れた瞬間、コツンと音をたてボタンがテーブルに落ちた。
欲しかったボタンを手にはできなくて、代わりに懐かしい感触が私の手を包んでいる。
こみあげる声と涙を抑えることもできず顔をあげれば手塚君が言った。
「ずっと、好きなんだ。」
過去形ではない初めての告白。
テーブルの下、私たちの膝はいつの間にか重なっている。
外は、やっぱり雨だった。
どうせ失うのなら
手塚国光お誕生日SS
2007.09.23
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