「誓い」〜番外編〜 『A sweet lover〜手塚side』
『おはよう』
『おはよう。え?それ・・どうしたんだ?』
キムラの問いに手塚は眉間の皺を深くして、そっと赤く腫れた自分の頬に触れた。
クラブ内のカフェでコーヒーを飲みながら、聞き出し上手のキムラは涙を流して笑っていた。
『笑いすぎだ』
『いや、だって。世界広しと言えど、手塚の頬を張り倒すのは彼女だけだろうね。』
『まったく。力加減もせずに、なにを考えているんだか。』
『理由は聞いたのかい?』
『分からん。すぐにソファから蹴り落とされたうえに、が寝室にこもってしまった。今朝も部屋から出てこなかった。』
『ふーん。で、何をしたのさ?手塚のことだから適当に話を聞き流して聞かなかったとかじゃないの?
女は、そういうの凄く怒るんだよね。』
自分にも覚えがあることに苦笑しながら、カップに口をつけたキムラに手塚が言った。
『何も。抱こうとしただけだ。』
ブッ。
コーヒーが気管に入りキムラがむせ始める。
手塚は溜息をつきながら、バシバシとキムラの背中を叩いてやった。
事の発端は借りてきたDVDにあった。
見たくもないディズニーアニメを観賞するに付き合ったのも愛があるゆえの手塚だった。
アニメは子供が見るものだと、硬い頭の手塚は思い込んでいるから興味がない。
暇なので、隣に座る恋人の表情を見て楽しんでいた。
主人公が笑えば共に笑い、ピンチになれば眉をしかめ、泣けば一緒に涙を流す。
くるくる変わるの表情を見ているほうが余程楽しかった。
とても可愛らしく思えて、そっと手を伸ばし肩を抱いた。
は映画に夢中で手塚の行動になど反応を示さない。
それをいいことに頬に触れ、髪に触れ、耳元に口づけた頃には、すっかり『その気』になっていた手塚だった。
彼女が渡米してきて一週間。
結婚の了解も得ているし、まさか結婚式初夜まで待つ必要もないだろう。
勝手にゴーサインを出した手塚は、やや強引にの唇を奪いソファーに押し倒した。
その途端、バチンと耳元で音がして星が飛んだ。
「なに考えてるの!エッチ!ヘンタイ!」
とんでもない罵声を浴びせられたうえに、足で蹴られてソファから落とされた。
唖然とした手塚がハッと気づいたときには、逃げたが寝室のドアを閉めてしまうところだった。
結婚を前提に暮らし始めているのに「ヘンタイ」は、ないだろう?
ジンジンと痛む頬をおさえながら呆然と立ち尽くした手塚だった。
結局、昨夜は大きな体をソファに横たえて寝たので調子が悪い。
おまけに不貞腐れた顔のは朝も口をきかない。
気のせいか、いつもよりショッパイ厚焼き玉子を食べてから家を出てきた手塚だった。
計画されたメニューをこなし汗を流した後、新しくスポンサーになってくれそうな企業との会食があったが
向こうの都合で簡単な挨拶で終わった。
テニスの才能を得た代わりにか社交性の乏しい手塚は喜んで早々に帰宅することにした。
キムラが『チャンスだったのに。あんなんでスポンサーについてくれるのかな』とブツブツ言っているのも気にせず、
さっさと車に乗り込んだ手塚は『良かったな。早く家に帰ろう』と告げてキムラにヒンシュクをかった。
結局はマンションの前まで送ってもらい『まっ、頑張れよ』などと、キムラの含みのある励ましを受けて車を降りた。
朝の不機嫌なには夕飯もいらないと告げたし、帰りは遅くなると思っているだろう。
向こうを出る前に電話をしても良かったのだが、そういうマメさが欠落している手塚は『まぁ、いいか』と帰ってきたのだ。
マンションの鍵を開けて中に入ったが、の出てくる気配がしない。
不思議に思いつつ奥のリビングに行くと明かりはついているものの彼女の姿がなかった。
まだ拗ねているのか?とも、思った。
だが、シン・・・とした部屋に鼓動が徐々に騒ぐのを感じている。
あの日、洗面所で血の気を失って倒れていたの姿が頭を掠める。
もしかして?そう思ってしまったら体中の血が下がっていくのを感じた。
「ッ!」
台所、バルコニーと探し、次には寝室のドアを開けキチンと畳まれたパジャマを確認した。
彼女が荷物置きに使っている部屋にもいない。
残るは洗面所とバスしかない。
不安げに刻む鼓動を抑えながら手塚は奥の洗面所に向かった。
少しドアが開いて明かりが漏れている。
その光景に、あの日が重なって心臓が止まりそうになった。
思わずドアノブを掴んで飛び込みそうになった時、中からの声が聞こえてきて手が止まった。
「やっぱり・・・ヒドイ、」
小さな声は震えて、その後に嗚咽が続いた。
驚いた。彼女が声を出して泣くなんて・・・初めてかもしれない。
彼女は、どんな時にも凛とした強さがあった。
何度も泣き顔は見たけれど、ただ静かに涙を流すのがだった。
そっとドアを開いて中を覗いた。
は洗面所の鏡の前で、ブラウスの胸元を開き両手で顔を覆って泣いていた。
鏡に映る彼女の薄い胸には、生々しくピンクに膨らんだメスの後が真っ直ぐに伸びている。
見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。手塚は思った。
胸の傷のことではない。その傷を辛いと泣いている彼女の姿を盗み見てしまった罪悪感を感じた。
この場を離れようとした時、の足元にいたらしい光が手塚に気づいてしまった。
「にゃあ」と嬉しそうな声をたてると、手塚に向かって突進してくる。
マズイ、と思ったときには遅い。
扉の隙間から飛び出してくると、手塚のズボンに爪を立ててよじ登ってきた。
言葉も出ないは手塚を見て驚愕の表情を見せた後、慌ててブラウスの前をかき合わせると手塚に背中を向けた。
光は手塚の肩までよじ登ると気がすんだのか、トン・・と肩から飛び降りて手塚の足元に体を摺り寄せる。
苦々しい思いで甘える光を見下ろした後、手塚は小さく息を吐いての背中を見つめた。
華奢な肩が震えているのを見て取ると、手塚はに近づいていき背中からそっと彼女の体を抱きしめた。
ビクッと腕の中で震える体が可哀相になる。
怖がらせないように緩く優しく抱きしめて、柔らかな彼女の髪に頬を寄せた。
「、」
「見て・・たのね」
「ああ。・・すまない」
がグッと息を詰めるたのを感じる。
無理に泣き声を飲み込んだのだと分かり、手塚は抱く腕の力を強くした。
「傷など普段見えるものではないだろう?そんなに気にする必要はない。
それに、その傷はお前が頑張った証拠だ。あの手術があったから、はこうして俺の腕の中にいる。
俺にとっては感謝さえ覚える大切な傷跡だ。」
「嘘・・・」
「嘘ではない。お前の胸に残る跡を見るたびに俺は何度でも感謝するだろう。
お前を救ってくれた全てに、お前にも。だから、悲しむことはない。」
前にまわした手塚の手に温かいの手が重ねられた。
俯き加減になった彼女が搾り出すように本当の気持ちを手塚に打ち明けた。
「昨夜・・・国ちゃんに押し倒された時、頭をよぎったの。この傷を見たら国ちゃんはどう思うだろうって。
怖いって思わないかな?気持ち悪いって・・思わないかなって。そしたら・・・私・・・」
「なんだ。それで、俺に平手打ちをくらわせたうえにソファーから蹴り落としたのか?」
「だ、だって。急だったし、パニックになっちゃって、」
「お前、一緒に暮らす、結婚もするっていう時点で考えていなかったのか?俺も男なのだから、当然ベッドも共にするだろう。」
「な・・なんか、国ちゃんって・・そんなことしそうにない気がして油断してたんだもん。」
「お前は俺のことをどういう男だと思っているんだ?呆れたな、」
「ストイックな聖職者っていうか・・・」
クッ。と手塚の笑う気配を背中に感じて、は体を捻って後ろを振り向いた。
「ね、なにを笑ってるの?私は本気で、」
「ああ、そうか。なら、そのイメージを払拭するよう頑張らなくてはな。」
「なに?」
「今から、じっくりと教えようか。」
「ちょっ、ちょっ、国ちゃん?」
泣きはらしたの目元にキスを一つ。
身をかがめて、嫌がるの胸元にキスを一つ。
薄く盛り上がった傷跡に、いたわるように優しく唇を寄せるとがおとなしくなった。
愛している。
囁いて、最後に柔らかな唇にキスを落とすと軽い恋人の体を抱き上げて寝室に運んだ。
翌日。
いつもの如くマンションに手塚を迎えに来たキムラは、リビングで一人バナナと牛乳で朝食を取っている手塚に驚いた。
密かにの作る味噌汁を毎朝楽しみにしているキムラはキョロキョロと彼女の姿を探す。
『ね、手塚。ちゃんは?』
『まだ寝ている』
『え、体調が悪いのか?』
『いや。疲れて起きる気力もないと言っていた。』
『疲れて起きる気力もないって、またどうして?』
勝手しったる手塚の家のコーヒーをカップに注ぎ、心配げな表情のキムラが手塚の前に腰を下ろす。
手塚は無表情でバナナの皮をむくとサラリと言った。
『優しく抱いたつもりだったのだが疲れさせてしまったようだ。』
ブッ。
コーヒーが気管に入りキムラがむせ始める。
『頑張れと言ったのは、お前だぞ』淡々と語る手塚を前にキムラは眩暈を感じた。
それから後。
人間って分からないものだなぁ・・・と、しみじみ思うキムラの前で、今日も手塚はに『愛している』と囁いてキスをしている。
大和撫子のは恥ずかしがっているが、手塚は『油断せずに行こう』の口癖をいう時と同じ顔で真面目に愛を囁いている。
はじめて見た時は卒倒するかと思ったが、ここ最近は少し免疫がついてきた。
しかし、出かける前に手塚が口移しで彼女にクスリを飲ませているのには、見ている自分の方が恥ずかしくて逃げ出した。
アメリカ育ちの自分でもビックリするような甘い恋人だったのだ、あの手塚が。
『手塚、幸せそうだね』
あてられっぱなしのキムラが少々の嫌味もこめて言う。
だが、手塚はホンの少し瞳を和らげ柔らかく言った。
『ああ、幸せだ。』
聞くんじゃなかった。と、キムラは思った。
A sweet lover
2006.04.23
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