日光街道「日本橋〜越谷宿」
2005/6/12


コースグラフ(カシミール3D&GPSデータで作成)

梅雨の中休み。
梅雨入りをしたとたんに晴天ですね。

今日は、いよいよ「日光街道」のスタートとしましょう。
地元の町から東京まではお決まりの「輪行」で、日本橋口で自転車を組み立て国道原点へ向かいます。

日本橋

何度、訪れたことでしょうか?

目的地が違うため毎回異なった風景に見えます。

三越デパートを過ぎてすぐに右の路地に入ります。

旧街道沿いには、馬の代わりに車が止まっていました。

駐車。。。なるほど。

上の写真の通りにあるホテルの植え込みで見つけました。

旧日光街道の道標です。

ここから、すぐに小伝馬町牢屋敷跡があるのですが、本日はコースに不安があるため次回見ることにしましょう。

この不安が的中してしまった。

浅草橋の運河で見かけた「屋形船」です。

これからが、主役の季節ですね。

浅草のシンボルと言えば「浅草寺 雷門」「仲見世通り」ですが、最近ではこのビルの屋上に鎮座するモニュメントのほうが有名に。。。

巷では、○○○ビルとも。。。失礼!!

このモニュメントは、金色に輝く雲をモチーフにしたものでした。

墨田川「水上バス」乗り場から東武の電車を望むことが出来ます。

ここからは、隅田川沿いに進みますが、どこまで行っても「泪橋」の交差点に到着しません。

不安的中です。

間違えた場所まで戻りましょう。

たどり着いた「泪橋」の交差点を過ぎると、営団。。。訂正「東京メトロ」の南千住駅が見えてきました。

さて、ここを潜ると「小塚原刑場跡」に到着です。

しかし、ここは自転車、リヤカーは通ることが出来ません。

歩道橋を行きましょう。。。リヤカーは???

南千住駅前の路地を入ると、首切り地蔵が鎮座している「延命寺」に到着。

隣の「回向院」には、吉田松陰、ねずみ小僧次郎吉などのお墓がありました。

ビルの谷間に埋もれるように葬られていました。

隅田川に架かる「大橋」を渡るといよいよ「千住宿」です。

松尾芭蕉の「奥の細道」もここからスタートします。

旅に果て夢は。。。まで、芭蕉は歩き続けます。

大橋を渡るとすぐに「足立市場」です。

市場脇に芭蕉のモニュメント置かれていました。

「草加宿」に向けて「やっちゃ場」通りを進みます。

やっちゃ場通り。

今でも、軒先に屋号がかけられていました。

いよいよ、「千住宿」です。

品川、板橋、新宿とともに江戸四宿場に数えられ、当時の賑わいが今でも残っています。

ここから、当時の風情が多く残る宿場町通りを進みます。

この道路幅がなんともいえません!!

綺麗に保存された「横田家」です。

近くには、味で評判の「槍かけだんご かどや」さんがありましたが、行列が。。。

購入は断念!!

「宿場町通り」が荒川にぶつかるところに、名倉医院の素敵な建物を見ることができますが、今日は日曜日でした。

門は閉ざされ。。。残念!

荒川を渡り旧道を進むと、Y字路に道標が。。。

右 旧日光街道。

今、来た道です。

左 東武鉄道線路跡。。。

なるほど、確かに真っ直ぐな道が続いています。

いつまで、鉄道が通っていたのでしょうか?

交通量の多い、旧4号国道を進むといよいよ「草加宿」の分岐に到着します。

右が旧国道、左が旧日光街道です。

宿内で見かけた古い建物です。

古い建物の少ない日光街道では貴重な存在ですね。

大切に保存してほしいものです。

草加といえば、そうです煎餅です。

この町の塩煎餅は日本一です。

で、煎餅発祥の碑を一枚。

日光街道「草加宿」の松並木を進みます。

自転車を押しながら綺麗に整備された松並木公園を進みます。

ここで、また道を間違えてしまいました。

地元で間違えるとは。。。残念!!

気を取り直して、日光街道で埼玉県内に唯一存在する「蒲生の一里塚」を訪れます。

越谷宿の分岐に到着。

右が旧国道、左が旧日光街道です。

日光街道はこの形態の分岐が多いですね。

都市計画が進む「越谷宿」に残る貴重な宿場風景です。

「塗師屋」は、昔漆を扱っていた店です。

この、金物屋さんは現役です。

この、風景はずっと残したい絵です。
さて、時刻は午後一時を少し回ったところですが、今日はここで止めておきましょう。
自宅に戻り冷えたビールでも。。。ここから、数分ですから。

次回は、「越谷宿」の続きから。。。では!!

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