childhood's end -金魚-


ぱしゃり、と水の跳ねた音がした。
セトは立ち止まって周りをきょろきょろと見渡す。ラズリルは港町だ。だから水音などめずらしくもなんともない。だけど今、セトが聞いた水の音は聞きなれた波の音ではなかったような気がする。
それにここは海から少し離れた街の中だ。周囲は石畳と建物と、人の喧騒の中にあって、海の音は少し遠い。
「どうしたんだ?」
尚もきょろきょろしていると、後ろから声をかけられた。
はっとして振り向くと、そこには見慣れた――――テッドの姿がある。
「おにいさん」
「なにやってんだ、お前?なんか探してんのか?」
いつものようにテッドの左手がさらりとセトの頭を撫でた。それは彼の挨拶のようなものだった。いつもテッドと会うと、いちばん最初に頭を撫でられる。それがセトには嬉しい。
「ん・・・・・・音、したよ」
「音?」
「水の音」
「水?波の音じゃねぇ・・・・・・んだな」
テッドはセトのことを頭ごなしに否定することはない。波の音じゃないのかと言おうとしたのだろう彼は、セトが僅かに首を傾げたのを見て言葉を変えたのだ。
ぱちりとセトはまばたきをしてから頷いた。
「ん」
「水っつったってなぁ・・・・・・この辺、井戸はねぇよな?」
「ん、ない」
だからこそセトもなんの水の音か気になっているのだ。
あたりを見回していたセトの目が、ふと見慣れないものを見つけた。
小さな屋台ができている。それは先週まではなかったものだ。セトと同時にテッドもそれを見つけたようだった。「ああ」と頷いた彼が手を差し出す。
セトは彼の手をじっと見つめる。
この手はなんだろう?なにをすればいいのだろう?
少し考えたけれどテッドの求めるものの答えはわからなくて、結局セトは声に出して彼に尋ねた。
「手?」
「おう」
「どうするの?」
テッドは苦笑したようだった。
まだ彼が自分に求めるものはわからないことが多い。これがお屋敷のお手伝いの人だったり庭師の人だったり―――スノウだったりしたら、大体はなにが欲しいのか、なにを自分に求めているのかはわかるのだけれど。
いちばんわかりたいと思った人のことがわからない。
それが少し寂しくて、セトは目尻を下げた。
「・・・・・・わからないよ」
言ってしまってからはっと我に返る。わからない、なんて、口にしてはいけないことだ。怒られる、と肩を反射的に肩を竦める。
だがテッドは小さく溜息をつくだけだった。
「おにいさん?」
「あのな。前から言ってるだろ?俺にそんなびくびくすんな」
「ちがうよ!おにいさんのこと、怖いんじゃない」
怖くなんかない。怖いんじゃないとわかってほしくてセトが勢いよく首を横に振ると、テッドは小さく笑った。
「わかったわかった。わかったから・・・・・・とにかく手、よこせよ」
また左手を差し出された。セトはじっとテッドの顔を見上げる。彼はもう笑っていない。だけど目が柔らかく眇められていた。
セトは彼の手に自分の小さな手を重ねる。
途端にくんっと手を引かれて、屋台までの僅かな距離を手をつないで歩いた。
「いらっしゃい!」
屋台に近づくと、テッドよりも年上に見える男が笑顔で二人を迎えた。屋台の大きな桶には水が湛えられて、その中には――――
「ぅわぁ・・・・・・」
黒と赤の小さな魚がいっぱいに泳いでいた。
「なるほど。金魚すくいか」
「これ、この魚、きんぎょっていうの?」
「ああ、お前、見たことないのか?」
「この辺の人たちはあんまり知らないようで、商売もさっぱりだよ」
「ああ・・・・・・まぁ、海じゃ見ないしな」
テッドが屋台の人と話している間にも、セトはその桶から目を離すことができないでいた。今まで見たことがある魚の中にも色鮮やかなものはたくさんいた。だけど今見ているのは、そのどれとも違う。今まで見たどの魚よりもそれは柔らかく水を泳いでいる。
「まぁ、ここは船の乗り継ぎついでに商売しようと思っただけだからな。明日にはガイエンの方へ行くさ」
「え?」
じいっと見ていたセトは男の言葉に顔を上げた。
テッドがそれに気がつく。
「これが欲しいのか?」
「え?」
問われた言葉に驚いて、セトは目を見開いた。
自分の欲しいもの、なんて、今までなかった。
「・・・・・・僕、これが欲しいの?」
「いや、俺が聞いてるんだけどな」
わからなくて尋ねたら、テッドは苦笑いを浮かべる。
「もっと見たいとか思うんなら、欲しいってことだろ」
「ん・・・・・・?」
首を傾げて考える。赤と黒の小さな魚たち。もう少し見たいけれど―――でも。
ふるると首を横に振った。
「いらないのか?」
「・・・・・・ん」
「そうか。じゃあ、行くぞ」
「ん」
屋台の男は苦笑しながら気が変わったらまた来いよと声をかけてくれた。だからぺこりと頭を下げて礼をするとセトは、店からゆっくりと歩いていった。




「お前、本当は欲しかったんじゃないのか?」
暫く歩いてからテッドがぽつりとセトに尋ねた。
セトが見上げると、テッドは前を向きながらもどこか苦い表情をしている。どうして彼がそんな顔になるのかわからないと思いながらもセトはまた首を横に振った。
「欲しいんじゃないよ」
こちらを見ないテッドに、声に出してもセトは答える。
「欲しいのに我慢してたり、とか、しないか?」
「しないよ」
続く問いには即答する。
するとテッドがようやくセトを見下ろした。
「本当か?」
「ん」
・・・・・・少し。
ほんの少しだけ、もうちょっとあの魚を見たいと思ったけれど。それでも欲しいなんて思ったわけではないからセトはこくんと頷いた。
我慢なんてしない。
「欲しいとか、思わないからだいじょうぶ」
テッドを安心させたくてそう言ったのだが、何故だかテッドは眉を寄せて怒ったような表情になってしまった。どうして、と考える間もなく頭をぐりぐりと押えられた。
「あのな」
「・・・・・・ん?」
「欲しいとか思わないわけねぇだろ。そんなとこまで我慢してんなよ。ガキの頃なんて、なんでも欲しいと思って当り前だろ」
「あたりま、え?」
こてんと首を傾げる。
テッドが盛大に溜息を零した。
「・・・・・・セト」
不意にテッドは片膝をついて子供と同じ目線になった。突然同じ高さになった茶色の目にセトはぱちぱちとまばたきをした。
「ん」
「お前、なにか欲しいと思ったことはあるのか」
「あるよ」
頷くと、テッドがほっとしたように肩から力を抜いた。
「そうか・・・・・・なにが欲しいんだ?言ってみろよ」
セトは少し戸惑う。欲しいことを言うことなどないから、どう言えばいいのかわからない。考えてもわからなくて、結局そのまま口に出した。
「手」
「へ?」
ぽかんとしたテッドにセトはおずおずと右手を差し出す。
「手、つないでほしい・・・・・・」
「・・・・・・」
途端にテッドが厳しい表情になった。
ダメだったのか、と思って出した右手を下げかける。と、前触れもなくテッドがセトの右手をつかんだ。そのまま立ち上がる。
「おにいさん?」
「・・・・・・行くぞ」
ぶっきらぼうに言って、彼は歩き出した。その手に引っ張られるまま、セトも歩き出す。
「・・・・・・さっき、お店まで手繋いだの、嬉しかった」
そのまま無言でいることがなんとなくイヤで、セトは喋りだす。
「だからまた繋ぎたかったんだけ、ど・・・・・・おにいさん、イヤだった?」
先程の怒ったような口調とずんずんと歩いていってしまう彼に少し不安に思う。だからそう問いかけたのだが、テッドは答えることもなく突然ぴたりと立ち止まった。
「お前な」
やがて降ってきた言葉はやはり怒りが滲んでいた。ごめんなさい、と言おうとして彼相手にはそれも簡単に言えないことを思い出して結局セトは黙り込んだ。
だが、テッドはセトの想像したこととは違うことで怒っていた。
「そんなこと、今更言うな」
「え」
「左手だったら、繋ぎたいと思えば勝手に繋いでいい」
セトは繋いでいる手を見て、テッドを見上げた。相変わらずテッドはこちらを見ていないが、かわりに彼の手がぎゅっと一度力を込めてセトの手を握った。
「・・・・・・ほんと?」
セトの問いかけにも、彼は「ああ」と答えた。
嬉しくなってセトもぎゅっと彼の手を握った。それにテッドもまたぎゅっと力を込める。その小さな力のやり取りが嬉しくて楽しくて、セトは結局テッドの借家に着くまでずっと彼の手を離さずいた。



夏の終わりに書いた気が・・・・・・します。(うろおぼえ) 夏っぽいものーっと思って、確か・・・・・・。
でも結局全然夏っぽくありませんでした。