凪
ぴたりと、風が止んだ。
テッドは顔を上げた。今まで彼の髪や服を撫でていた風が不意に止んだ。着岸しているため畳んでいる帆を風が叩く音すら消えてしまった。
その唐突さにテッドは左右を見渡す。
特に風を遮るようなものはなにもない。なんなんだ、と思っているとふと止んだ風の代わりのようにくすりと笑う声が背後に聞こえた。
「・・・・・・お前」
溜息をつきながら振り返ると、案の定、軍主であり、この船の船長でもあるセトが小さく笑いながらテッドを見ていた。
「なに笑ってんだ」
「ごめん」
テッドを見て笑っていたことを隠そうともせずに彼は軽く謝罪した。
少し離れた場所からゆっくりと近づいてくる。
テッドも彼から目線を外して、甲板の手すりに身を凭れさせた。ちょうど海の中に太陽がゆっくりと沈んでいくところだ。穏やかな海がゆっくりとゆっくりと青から朱色へと変化していく。
「・・・・・・綺麗だね」
ぽつりとセトの言葉が聞こえて、彼が隣に並んだことを知った。
テッドは特に答えを返さず、そのままじっと太陽を見ている。
「・・・・・・怒ってる、テッド?」
セトが小さく問いかける。彼の言葉になにも答えを返さなかったからだろうか。そんな殊勝なことをまさかセトから聞かれるとは思ってもみなかったから驚きにテッドはひとつまばたいてから口を開いた。
「別に」
「怒らないでよ」
「怒ってねぇって」
「まぁそれならいいけど」
ちらりと横を見ると、彼もまたテッドに倣って両腕を手すりについて海を眺めていた。
そのまま二人は海に落ちる太陽を見ていた。
「・・・・・・さっき」
セトがふと思い出したように口を開いた。
「さっき笑ったのは、君の動きがおかしかったんだ」
「人のこと馬鹿にする話題なら蒸し返すなよ」
「馬鹿にしてるんじゃないよ、そうじゃなくてさ・・・・・・テッドはやっぱり陸の人なんだなって思っただけ」
「陸の人?」
わけのわからない呼称に、テッドは眉を顰める。どんな顔して言っているのかと隣を窺うと、セトは相変わらず太陽の方へと顔を向けたまま小さく口元に笑みを浮かべていた。
「こうやって風がいきなり止まることは、よくあることなんだよ」
「へぇ?」
「凪って言ってね。夕方や朝に突然風が止まる。それは海や海辺に住んでいる人たちには常識だよ。でもテッドは驚いていたみたいだったから」
だから陸の人、か。
ようやくテッドは得心した。
まぁ、目の前の軍主はどう考えても海に属する人間だ。それに比べれば、明らかに自分は陸の人だろう。
「・・・・・・なんで風が止まるんだ?」
「んー・・・」
セトは考えるように小さく首を傾げた。
「テッドは陸と海とどっちがあたたかくなりやすいか知ってる?」
問いに問いを返された。
「知らねぇけど・・・・・・陸じゃねぇの、なんとなく」
水と土と、どちらか冷たいかといえば当然水の方が冷たい気がした。だからそう答えるとまたセトが笑う声がくすりと聞こえた。
「違うのかよ」
「正解。だけど、冷めにくいのは海の方なんだよ。熱しやすく冷めやすいのが陸で、熱しにくく冷めにくいのが海」
「・・・・・・ふーん」
少し意外だった。思わずテッドは手すりから身を起こしてセトへと体を向ける。だがセトはそれに気がつくことなく―――あるいは、気がついていても頓着することなく海へと目を向けたまま話を続ける。
「昼間陸で暖められた空気は上昇して、海からの冷たい空気が陸に流れ込む。夜は逆に海の上の空気が暖かいから上昇して、陸からの風になる。夕方と明け方は、ちょうど陸と海の温度の境目がなくなるから―――」
「風が止むってわけか」
「ん」
テッドの理解の早さを喜んだのか、セトの笑みが深くなる。
なんとなく照れくさくなってテッドもまた海へと視線を逃がした。太陽はその姿をほぼ隠してしまった。海の色が光の名残で金色に輝いている。
綺麗だな、と自然に思えた。
「テッドはやっぱり陸の人だね」
今度のその言葉には、幾分か含みがある。
「そうか?」
憮然を装ってそう返すと、くすくすと、今度こそおもしろそうに彼は笑う。
「そうだよ。無関心になろうと努力してるけど、意外と君、熱くなりやすいでしょ?」
「んなことねぇよ」
「そうかな?でも霧の船で僕の答え聞いただけですぐに外に出る決心つけるくらいだし」
「あれは・・・・・・熟考の上だ」
「そういうことにしてもいいけど」
セトは全然信じていない口調でまた笑った。まぁ、確かに今考えればあの短い時間の中、よくもまぁあっさりとそんな決心したものだと自分でも思ってしまうのだ。
「僕は多分陸の人間にはなれそうにないなぁ」
「・・・・・・そうだな」
熱しやすいセトなど、想像もつかない。
さわりと風が吹き始めた。
セトの言った通り、それは緩やかな陸からの風だった。その風を受けて、夕日で僅かに金色に染まった彼の髪が海へと零れるように流れた。それに視線を奪われた。
「君と僕みたいだね」
まだ笑っているセトに、頷きを返すこともないまま、テッドはただ彼を見ていた。ふとセトが海から視線を外してテッドへと目を向ける。いつもは青い目が、僅かに夕日の赤を残している。
「陸と海の、温度がかみ合わないところって、君と僕みたいだよね」
「・・・・・・そうか?」
今度は辛うじて問いを返すことができた。
「そうだよ・・・・・・僕たち、好きということの温度が違ってるから」
セトは笑みを深める。
「だってテッドはいつまでたってもおまんじゅうのよさを認めてくれないし」
「おい」
まんじゅうか。
ここまできてまんじゅうか。今までの雰囲気とかなんだったんだ。いやこいつに雰囲気とか気にしろという方が間違いなのかそうかそうだなおれが間違ってた。
自問自答というよりは、脳内一人ツッコミ中のテッドを気にすることなく、セトは言葉を続ける。
「逆に僕、まぐろはテッドほど好きというわけではないんだよね・・・・・・ほら、かみ合わない」
「いやかみ合わないとかいう問題じゃねぇだろ」
遠くを眺めてみても、残念ながらもう太陽は姿をすっかり消してしまって、海ばかりが広がっている。
「僕たちがわかりあうためには凪が必要だと思わない?」
「思わない」
「僕は考えたんだ、テッド。僕たちにとって凪とはなにか」
「思わないっつってんのに、相変わらず人の話聞く気ねぇなお前」
もはや色々なものを諦めた気分でテッドはセトの次の言葉を待った。どうせこれを聞き終わるまではここから逃げられないことは経験上知っている。残念なことによく知っている。
「陸と海の温度が同じになるのが凪のとき、ということは」
「ことは?」
「つまり、まぐろとおまんじゅうを合わせたまぐろまんじゅうをつくればいいんじゃないかな!?」
「・・・・・・」
必要以上にきらきらとしているセトに、テッドは深い溜息をついた。確かに自分たちは陸と海かもしれない。まぐろとまんじゅう以前にかみ合わないこの会話がそれを示している。テッドはぽんっとセトの肩をたたいた。
「・・・・・・生臭くなるだけの気がするんで、とにかくなにがなんでもやめてください」
ああ、こいつ相手になりふり構わず敬語が使えるようになるなんて、俺も成長したなぁと。
それこそ凪のように穏やかな心持でテッドは自分で自分を褒めてみた。
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途中まではテッドと4様がラブラブでした。(当社比) 途中からは4様とまんじゅうがラブラブでした。(いつもどおり)