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信じて生きよう イメージ

 私たちは苦しい時や辛い時、それぞれが神の姿をイメージして救いを求めて祈る。しかし常にどこかで恐れや不安、悲しみがつきまとっている。くり返し自分の弱さに悩み、自分の罪に苦しむという現実がある。私たちが生み出す、あいまいで不完全な神のイメージ程度では私たちは救われないのだ。
 神がおられるなら、そしてその神がすべての親であるなら、我が子が自分の存在も知らずに苦しんでいるのを放っておくことがあろうか。神が真の親であり、窓の外から部屋の中にいる我が子が泣いているのを見たなら、当然のように部屋に入り、自分の姿を見せ、その口で語りかけ、その手で抱きしめる。この神の姿、神の言葉、その手こそがイエスだ。本来はすがたを見ることも、声を聞くこともかなわない究極の方である創造主が、私たちの部屋である現実の世界に来てくださった。
 そして闇におびえ、悲しみの中にある私のところに歩み寄り、手を握り“もう大丈夫!私を信じなさい!”と語りかけてくださった。“私を見た者は、父を見たのだ”そしてイエスは直接“私を信じてくれ”と語りかけてくれた。
 私は、そして教会はそれを信じ、同じように語りかける。“この方を信じて一緒に生きよう!と。”
 
 
心騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがもいることになる。
 わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
ヨハネによる福音書
14章1節〜6節