(1)なんといっても八幡神社の境内下から大鳥居までの参道で曳き揃えられることです。参道の両側
に土産物店や民芸店が並び、祭気分をいやがうえにも盛り上げてくれます。色々な催しがあります
がこの曳き揃えを見るだけで高山祭の真髄を味わえることと思います。
屋台彫刻
| 屋台名 |
彫物名 |
作者名 |
制作年代(和暦) |
西暦 |
| 鳳凰台(八幡) |
谷越獅子 |
谷口与鹿 |
安政二年 |
1855 |
| 鳩峯車 |
双竜 |
江黒尚古 |
文久元年 |
1861 |
| 豊明台 |
白彫獅子 |
村山民次郎 |
明治三十二年 |
1899 |
| 神楽台(八幡) |
狂獅子 |
浅井一之 |
明治三十七年 |
1904 |
(3)見て楽しいばかりでなく、“八幡祭”の屋台は歴史的にも貴重な存在なのです。江戸時代初期に作
られ現在にいたるまで営々と守り、受け継がれてきた動く“国の重要有形民族文化財”なのです。
特に、秋の屋台は春・秋を通じ創建年代の古いものが多く、そういう視点から見られるとより一層
味わい深いものとなるでしょう。例えば仙人台の唐破風屋根、今では他の全ての屋台が切破風
屋根に変わっているなかでこの屋台だけはは古い形を残しています。
(2)全ての屋台が絢爛豪華で息を呑む美しさに驚かされることでしょう。
屋台組は『下二之町上組』 台紋は『鳩』
構造:切破風屋根・三輪外御所車
延亨四年(1747年)以前創建
見送り幕、胴掛け幕は綴錦織の高価なもので
これだけ贅沢な幕をしかも四方に掛けている屋
台は他にない。前面の雲龍と明人遊苑図の胴
幕がエキゾチック。中国人を描いた見返り幕は、
傑作の誉れ高い。最古の屋台のひとつ。
屋台組は『下一之町上組』 台紋は『綾』
構造:切破風屋根・四輪内板車
創建年代不詳。文化八年(1811年)現台形
からくり人形は、三十六条の手綱で操り、綾渡
りと呼ばれる極めて精緻巧妙なものである。鳥
居型の出入り口や、下段の上部が中段の役割
をするなど、文化年間以来小修理しか行われて
いないため、台形に古趣を豊に残した屋台であ
る。8名の綱方が36条の綱をみごとに操る、布袋
と唐子の離れからくり奉納で名高い屋台。最も古
い屋台の一つとされ趣のあるたたずまいが魅力。
屋台組は『下一之町中組』 台紋は『鳳凰』
構造:切破風屋根・四輪内板車
創建年代不詳。享保参年(1719年)曳行記録有
棟飾りとして、台名を象徴する金地の鳳凰が翼を張
っている。中段欄間には四条派風に四季の草花が
描かれている。一見地味に見えるこの屋台は、そ
れだけに文政再興当時の面影をよく残しており、
構築上、最も整備された形態をもつ屋台として聞こ
え、初期の屋台の風格をしのぶ優美な屋台である。
台の上を飾るのは神巧皇后(じんぐうこうごう)と武
内宿禰(たけのうちすくね)。武具をまとった神宮皇
后と赤ん坊を抱く武内宿禰。神巧皇后は天皇の妃
として戦いに同行し、新羅などを討伐したという武
勲が伝えられる人物。武内宿禰は5代24年間にわ
たって大和朝廷に仕え、神巧皇后に従って出陣し
たという伝説から、今も皇后のそばに仕えています。
江戸の趣を残す貴重な屋台。
屋台組は『下一之町下組』 台紋は『御所車』
構造:切破風屋根・三輪外御所車
文化年間文政台組と分離文政元年(1818年)創建
高山で最初の三輪屋台として創設。三輪のうち外
二輪は高山屋台中最大で直径は1.56m。屋台飾
りには両端に八幡、春日大神を表す金幣束を立て
る。中段は幕を張らず御殿風の吹き抜けで楽人が
見えるようにしている。直径1.56mの大きな車台
を持つ御所車(大八車)。台囃子「大八」はこの組
の作として知られている。
屋台組は『八幡町・桜町』 台紋は『宮』
構造:屋根無・太鼓昇動・三輪外御所車
宝永五年(1708年)金森重勝の大太鼓を乗せ
創建。 金森重勝寄進の大太鼓は音響遠近に
轟いた。祭礼に際しては侍烏帽子、素襖姿の
5人の楽人をのせ、獅子舞を付随させる。棟
飾りの鳳凰と天照・八幡・春日の三神を表した
金幣束が独特。屋台行列の先頭を飾る屋台。
大太鼓の周りに楽人が乗り、神楽の演奏に合
わせて獅子が舞う。獅子舞を従え伝統の装束
をつけた曳子が曳く。
屋台組は『下三之町下組』 台紋は『亀』
構造:切破風屋根・四輪内板車
創建年代未詳文政11・12年(1828・1829年)改造
屋根飾りとして雌雄の大亀一対と台名に由来する
大宝珠三個を飾っている。中段と屋根飾りに金銀
の宝珠が飾られている。ケヤキ一枚板の台輪は
高山の屋台中で最も美しいものといわれる。名前
は昔、宝珠を飾ったことからきています。亀屋台と
も呼ばれるように、棟飾りの雌雄の大亀が圧巻。
緋色の胴幕に白毛房が揺れて映える。
旦那屋台
| 豊明台 |
大新町一丁目 |
谷屋九兵衛(谷屋本家) |
| 鳳凰台((八幡) |
大新町一・二・三丁目 |
山下佐助 上木屋甚兵衛 |
| 鳩峰車 |
下二之町上組 |
谷屋平兵衛(谷屋分家) 坂屋清六 |
屋台組の誇りを伝える「台紋」
神楽台は『宮』、布袋台は『綾』、神馬台は『馬』、仙人台は『仙』、行神台は『行』宝珠台は
『亀』、豊明台は『豊』の文字を崩したものです。大八台は『御所車』、鳩峯車は『鳩』、金鳳
台と鳳凰台は『鳳凰』とそれぞれの象徴を形に表したものと思われます。それは昔の人々
の粋でユニークな発想を今に伝える作品です。
各屋台の屋根の模様や、宵祭りにつけられる提灯などにそれぞれの紋がついていますが
これは各屋台の特徴や名称を表したもので、『台紋』と呼ばれています。『台紋』の形は、
屋台の名前、飾り人形、からくりにちなんだものです。
屋台組は『下二之町下組』 台紋は『馬』
構造:切破風屋根・四輪内板車
享保参年(1718年)高砂名で曳行
下段四隅の丸柱は中段に突き抜けて、先端に青
龍刀を付け四神旗をかけている。飾り人形は以前
は高砂の翁と媼の二体であったが、文化九年(18
12)に他組に譲り、現在は跳躍する白馬と二人の
馬丁の人形を飾る。昔は、別名を暴れ馬といい、
祭のときに隣にあった組などとよくけんかをしたと
いう。紫鱗紋織り出しの大幕に刺繍された大般若
面が印象的である。屋台囃子には雅楽の越天楽
を用いる。白馬、烏帽子姿の白丁二人の飾り人形
が乗る。般若の胴幕や青竜刀が異色な雰囲気。
台名は、美しい白馬にちなんでいる。神馬とは神
の使いの馬のことです。その白い神馬に烏帽子
姿の白丁二人が仕え、神馬は前足を蹴上げ、ま
さに屋台から飛び出さんとする様子は躍動感に
溢れています。文献によると、この神馬人形は文
化13年(1816年)に入手とあり、台名もそのとき神
馬台と改名されました。
屋台組は『大新町一・二・三丁目』 台紋は『鳳凰』
構造:切破風屋根・四輪内板車
創建年代未詳。文政元年(1818年)再興
下段にある白彫りの谷越獅子は高山の屋台彫刻
中最大のもので、名工谷口与鹿の下絵をもとに与
鹿とその弟子浅井一之によって彫られたという。
本見送りは柚原双松筆の鳳凰の綴錦織、替え見
送りは西村五雲筆の龍の墨絵で、華麗で均整の
とれた屋台。全屋台中屈指の美しさを誇る台。透
かし金具や玉毛房など、屈指の美しさを誇る。名
工谷口与鹿(よろく)の谷越え獅子は全屋台中最大。
屋台組は『大新町一丁目』 台紋は『豊』
構造:切破風屋根・四輪外御所車
創建年代未詳
屋根飾りの大鳳凰と宝珠、上段の菊花彫刻、
中段の牡丹彫刻・白彫りの十二支の彫刻、下
段の唐獅子、御所車等華麗に装飾された台。
台名は八幡宮の祭神応神天皇の豊明宮に由
来する。まさに屋台芸術の華。大鳳凰に極彩
色の菊花、白彫りの十二支などの装飾に魅了
される。
屋台組は『下三之町上組』 台紋は『仙』
構造:唐破風屋根・四輪内板車
明和〜安永初期(1772年頃)創建
最も古い形を残した屋台といわれる。以前は
他の多くの屋台が唐破風の屋根であったが
切破風に変わりこの屋台だけが唐破風の古
態を残している。屋根飾りには極彩色の剣巻
龍を前後に立てている。以前はからくりをして
いたが明治初期に廃止。極彩色の剣巻龍を
飾る大唐破風の屋根も珍しい。上段では白髭
の仙人人形が、するどい眼光をはなつ。現在
祭神として飾られているのは、険しい眼光と白
い髭が印象的な久米仙人です。久米仙人は
修行によって空中飛行の術を得たとされる伝
説上の人物で、若い娘の白いふくらはぎに見
ほれ、神通力を失い墜落し、俗界に帰すると
いう逸話で知られています。又、後に久米寺
を建立したとも伝えられています。
秋・神楽台 宝永五年(1708)
春・石橋台 宝暦(1751)と天明(1781)の説がある
では、秋の例大祭“八幡祭”の11台の屋台を紹介いたしましょう。
屋台組は『下三之町中組』 台紋は『行』
構造:切破風屋根・四輪内板車
享保年間(1716〜1736年)湯の花から分離創建
祭神として役の行者を祀り、中段高欄は玉垣、
上段高欄は四隅に密教の法具五鈷をさすという
形態になっている。最古の屋台の一つで、栗材
の台車は全屋台中唯一のもの。朱塗りの玉垣
や役(えん)の行者が眼をひく。飾り人形は修験
道の開祖、役の行者。まだこの地が未開発だっ
た頃、一人の行者が役の行者をまつるお堂を建
ててから人家がならぶようになり、祭神としたと
されています。昭和33年(1958年)に人形を解体
すると中から天明2年(1782年)作と書かれた板が
発見され、話題を呼びました。