




屋台キチの一人が、神様と屋台を天秤にかけ話題になった。それなら彼らにとって神様とは果たし
て何なのであろうか?それは言うまでもなく屋台自身であり、それは組内衆の守神と答えるであろ
う。だから、彼らは幼児が屋台のなかで小便でもしようものなら大変で、早速禰宜(神官)を呼んで
きてお祓いをする。
ところが今もってわからんことは、その神聖なるべき屋台の部品を、いとも簡単に他所と売り買いし
ていることである。これはいったいどう解釈したらいいのか?
例えば、大国台の守護神の「大国様」はもと上二之町鳳凰台の神様だったが、寛政十年(1798)の
大改造で不要になったというので買い取ったものである。また、下二之町の神馬台はもと高砂台と
いい、高砂人形をシンボルにしていた。それは文化年間(1804〜18)の鳩峯車大改造の時、不要に
なったものを、こともあろうに一番仲の悪いはずの神馬台が買い取ってシンボルにしたのである。ど
ういうつもりなのか辻褄があわない。
このほか、黄鶴台の「鶴亀のカラクリ」は古川町の青竜台に、なかには下二之町の金鳳台のように
神宮皇后のシンボルを十五円で売り払って、その後十五万円で買い戻したという妙な話もある。
屋台の守護神でさえかくの如くだから、ましてや大改修での不要品など推して知るべしで、麒麟台
の車は石橋台が買って現に使用している。いくらかの金になるならどこへでも平気で売買するし交
換もする。そんな風だから、屋台形式にしてもあまりこだわらず、競って大改修をしてきた。
その点いたって開放的である。こうなってくると彼らの考える神様はますますわからなくなる。また
飛騨では各神社ごとに二十年に一度「式年大祭」と呼ぶ珍しい祭をするという。これをみていると飛
騨の神様がどんなものかを想像することが出来る。
まず、到着した神様は祭壇に飾られるが、これが人間様のお客と同じで、格式によって席順が決め
られる。しかもこれらの神様の中には一通りの祭礼は終わったのにその日に帰らない神様がある。
古老の話によると、「親戚の神様は泊まっていかしゃるげな」と言う。なるほどこれも人間様と同じで
ある。もっとも、「神様の親戚」とは何のことかわからないが-----
またこの式年大祭には多く氏子を持つ神社はいずれも数百人もの祭礼行列を整え、まるで大名行
列のように乗り込んでくる神様もあれば、五人、十人、中にはたった一人で「爺さまの背に乗ってご
ざらっしゃる」神様もある。しかも数のうえではこれが一番多い。「あんな神様果たして招待されたか
どうかわかるもんですか----」と言った人があるが、そうだとするとこれは‘どしゃまくり’の客という
ことになる。飛騨では神様にまでどしゃまくりがあるのかとうれしくなってきた。おそらく、阿多野郷
や折敷地あたりの山奥から出かけてきた神様にちがいない。
これらのエピソードのなかからおぼろげながら浮かんでくる「飛騨の神々」は、「人間のやることは
何でもやらっしゃる」ということらしい。そう考えてはじめて理解できる神様である。------というよ
り「飛騨の神様はどうやら人間そのもの」なのかもしれない。
そもそも屋台というものは、祭神のご分霊が氏子内を巡行のため生まれたもので、神様専用の乗
用車だろう。それを飛騨人にかかったら、いつの間にか乗り物そのものが神様になってしまい、果
ては神様と屋台を天秤にかけるものさえ現れる、それが屋台キチの論理である。
矛盾しているようであるが彼らの論理はそれで結構辻褄が合っているから楽しい。即ち、高山祭の
楽しさは、この矛盾と矛盾の激突の中に生まれたものである。しかも異常なほどの頑固さである。こ
ういう飛騨人のかたくなさを知らない者に、高山祭と屋台キチの秘密はおそらく理解できないであろ
う。