お客は旦那衆に招かれた小作人や出入衆である。旦那衆の経済面のつながりの人々を招い
て祭酒やご馳走を振舞うのである。この気楽座敷の酒はだいたい一人青首徳利一本(二合)、
肴一皿と決まっていたという。肴はわらびの煮付にコモ豆腐、たけのこ、赤くずし(かまぼこ)、こ
れにお赤飯の五品で、どの旦那衆のもてなしも判で押したように同じだった。上三之町の加賀
屋長兵衛の気楽屋敷は裏庭の土蔵の傍らにあって出入りの者は、年貢納めの時やなにかで
高山へ来た時はいつもここで休めるようになっていた。又、大新町の谷屋では箱枕五〇個がい
つも準備されていたということである。そして、祭の時は入れ替わり立ち替わり二、三百人がく
るそうである。ところで気になるのは「一人青首徳利一本」であるが一旦外に出てもう一回戻っ
てくればそれで又一本ついたというから世話のない話である。
語源はよくわからないが、おそらく「どさくさまぎれの客」とでもいうような意味であろう。つまり
招かれざる客である。しかしこの客も決して無断で上がりこんだのではなくそこを通りかかった
ら、まあまあ、今日はめでたい祭りだ。なにはなくても祭酒を一杯やってくれ、と無理やり引っ張
りこまれたというのである。これが長い間高山祭の楽しみの一つになっていた。
気楽座敷の客
片野村に近い石光山にあった山城が落城して(1181)廃墟になっていたものを草刈にいった
片野の百姓がその城址に取り残されていた山王様を見つけて、馬に積んで持ち帰り鉦や太
鼓を叩いてお祭をした。それが山王祭の始まりで「カンカコカン」はそれ以来の鉦だという。
獅子舞
さて祭り当日の大梃子のいでたちは---昭和初期の五台山の大梃子。ウスネズミ唐桟(とうざん)
のサラサ地に獅子頭の定紋を刺繍した上着、黒ラシャ地の陣羽織を着用し、下は紺の木綿地に
ショウブ模様を染め出したカルサンをはいて、黒革塗の笠を被り、履物はワラジばき、これが当日
五台山の大将大梃子出陣のいでたちである。
高山の旧三町は低い屋根が両側からせまる狭い道である。屋台はこれにあわせてつくってあ
るので、この古めかしい家並みを進む時一番調和のとれた、いかにも高山の屋台らしさを見せ
る。しかし、道が狭いだけに屋台の巡行には熟練した大梃子の技術が必要だった。大梃子と
は祭当日屋台巡行の権限を負わされた、いわば屋台曳きの大将である。
片野のカンカコカン
龍神台の大梃子だった人の話によると、一番むずかしい難所は上三之町の「大文」のところで
、屋台が通れば両側に数センチほどしか余裕がない。しかも屋台は前進するとき左右に三十
センチぐらい揺れる。ここを屋台にあてずに通り過ぎるということはなかなかむずかしいが、また
そこが大梃子の腕の見せどころでもあった。
祭に集まった群衆をかきわけ「へんぺやまむしゃ おーらんか」と掛声をかけ、まるで現代の
まむしや狼がこの群衆の中にいるかのように、威勢のいい獅子は時々祭りに集まった女子
供をおどかしヒャーと悲鳴をあげさせ前進する。これが高山祭の獅子舞である。獅子舞の曲
は「そーれ」の掛声の後「おひ ひりほほほ ひーひ ひーひり---」と続き二人一組の獅子
舞は高く低く荒々しく、そしてある時はすばやい動きで人々を魅了するものである。
闘鶏楽
舞楽の一つ。平板な鉦を叩く音が「カンカコカン」と聞こえる。片野の山王祭ではこの闘鶏楽
を祭の囃子として使った。高山祭ではクリーム地に赤と紺で鳳凰を染め抜いた衣装に、頭に
は山鳥の羽か一文字笠をつけ、白足袋に草履履きといういでたちの集団が、太い豪快な麻
縄で肩からつった鉦を打ちながら「ヨーオ」「サーイ」の掛声 を合間にいれる。
どしゃまくりの客
祭あれこれ
ターカイ(高い)ヤーマーカーラー(山から)
タニソーコミーレヱバヨー(谷底みればよ)
ウーリヤ ナスビノ(瓜やなすびの)ハナザーカリー(花ざかり)
アーレモヨーイ(あれもよい) ヨイヨイヨイ
コーレモヨーイ ヨイヨイヨイ
長い厳しい飛騨の冬を知らないものに、山王祭のうれしさはわからない、祭囃子の稽古の音
が聞こえてくる、「ああ、もう春が来たんだな」とつぶやく四月十四・十五日に山王祭が始まり、
屋台曳き別れの歌「高い山」を声を限りに歌いながら、「ああ、これで今年の祭もおしまいだ、
また冬支度か---」そのことは言わず語らずのうちにみんなの胸の中にあり、だれも彼もが涙
を浮かべ声を限りに歌い続ける十月九・十日の秋の八幡祭で、高山の春・夏・秋は終わり、ま
たあの厳しい凍てつく冬へ向かっていくのです。
最後に各屋台組の責任者が年行司に挨拶をし、祭行司は一切終了する。そこを合図に祭囃
子はいっせいに「道行き」から千秋楽の歌「高い山」に変わり、屋台の上にあふれんばかりの
子供たちが声をかぎりに歌いながら、屋台は帰路につく。いわゆる「屋台曳き別れ」である。
又、高山祭には祭礼当日「陣屋見参」といって屋台が郡代のいる陣屋前を通る大切な行事が
ある。郡代は御簾(みす)を張った物見の中で見物し、酒肴をさげわたす。
大梃子(おおでこ)
その後には絢爛たる屋台と祭囃子が続く。屋台前後には裃姿に威儀を正した氏子が厳かに
警護して祭行列が続く。そして最後に白馬にまたがり赤い大日傘をさしかけた宮司、それに祭
礼委員の面々の総勢六百余人のおおがかりなものである。
これら絢を凝らした祭行列が山王・八幡神社から出立し、終日市内を巡行、祭囃子とカンカコ
カンの音が周囲の山々にこだまする。
“へんぺやまむしゃ おーらんか へんぺやまむしゃ おーらんか”という「まむしとり」の曲目
を歌う獅子舞、平板な鉦をたたく音がカンカコカンと聞こえる闘鶏楽の舞楽「カンカコカン」を叩
きながら「ヨーオ」「サーイ」の掛声を合間に入れ、クリーム地に赤と紺で鳳凰を染め抜いた衣
装に、頭には山鳥の羽か一文字笠をつけ、白足袋に草履ばきといういでたちの集団が太い豪
快な麻縄で肩からつった鉦を叩きながら続く。
高山祭とはいかなるものであったか