
八幡祭もいよいよ大づめ。各屋台組の責任者がここで年行司に挨拶し、祭行事は一切終了する。
そこを合図に祭囃子はいっせいに「道行き」から千秋楽の歌「高い山から」に変わり、屋台の上に
あふれんばかりの子供たちが声をかぎりに歌いながら、屋台は帰路につく。いわゆる屋台曳き別
れである。「ああ、もうこれで今年の祭もおしまいだ、また冬支度か・・・」そのことは言わず語らず
のうちにみんなの胸の中にあった。誰も彼も涙を浮かべ声を限りに歌い続けるのである。それが
秋の八幡祭のころであった。
飛騨の夏は短い、ついこのあいだ田植えしたばかりだと思っていたのに、盆が終わったと思ったら
もう灘田んぼにも片野田んぼにも、稲穂の波が初秋の風にゆれている。乗鞍岳から忍び寄る飛騨
の秋は、岳から麓の村々へと次第に装いを変えていく。やがて紅葉が桜山八幡の大楓の梢を染め
始める。それこそ八幡祭のうれしい前触れである。晴れた秋空に立った大幟が稲穂の波を渡ってく
る風にはためき、祭囃子が下町の八幡氏子の町々に響きわたる。
そして山王祭が終わるのを待ちかまえたように、、祭の波は高山の町から次第に周辺の村々に拡
がっていく。寒い山国の飛騨では、梅も桜もいっせいに咲きだし、どこまで歩いても、祭囃子とカン
カコカンの神秘な音色に包まれ、飛騨はまさに、春らんまんとなる。
宮川を埋めた雪もお彼岸頃からぼつぼつ融け始め、河原の石も見えてくる。そんな頃、どこからとも
なく祭囃子の稽古が聞こえてくる。静かな早春の町かどで、ふと聞くこの祭囃子ほど春が来たことを
しみじみと感じさせるものはなかった。そして、彼らは特別の感慨を持って「ああ、もう春がきたんだ
な」とつぶやく。いよいよ飛騨の春祭り「山王祭」である。
そして三月、飛騨はまだ雪である。それでも季節はあらそえない。道はぬかり始め、春はもうすぐそこ
まで来ている。高山の陣屋前の初午祭はそんなときである。この初午も二の午、三の午と終わるとも
う彼岸である。
ことし霜月(旧11月)の始め、夜となく昼となく、四日ばかりが程をやみもなくひたふりに降りつ、ひと
つえ(一丈)いつさか(五尺)むさか(六尺)ばかり積りしかば、野山の猪鹿途(みち)をうしなひ、たちすく
みて歩行ず、里のをのこ(男)等はカジキてふものしばりはきて、鉞(まさかり)鑓(やり)やうの物もて、
やすやすと猪鹿をつき伏せたる、其のかず万(まん)をもてかぞふとぞ。”上呂(岐阜県萩原町)の鹿塚
はその供養塔である。
いったいどれだけ降ったら気がすむのか、飛騨の粉雪は降り始めたらそれこそ際限もない。野も山も
すっかり雪に閉ざされ、宮川が埋まって両側の片原町と向町が続いてしまうことも珍しくない。「紙魚
(しみ)のやどり」によると、文化五年(1808)の冬は、交通を閉ざし、高山は文字通りの孤島となった。
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