不明
史実高山祭 祭の起源 民衆哀歌 飛騨の匠 暴れ神馬
高山の地勢・自然 屋台出現 旦那衆の勃興と崩壊 屋台蔵の技 応龍台消失
高山の町 旦那屋台 屋台王国 近世屋台組事情 大名貸し末裔
年譜 高山の祭 八幡・山王 飛騨の神々 屋台組町内図
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昔から高山は火事の多いところである。四方を山に囲まれた高山の火事はいったん火の手が
あがったらすべてを焼きつくさなくてはおさまらなかった。こういう火災が1,721年から最近まで
の250年間に実に10数回も高山を襲っている。これでは折角作った屋台も消失する。それでも
高山の人は性懲りも無く屋台を造った。さらに防火は屋台ばかりでなく死活の問題であった。
彼らが防火問題に腐心していた文政8、9年頃飄然と姿をあらわしたのが万蔵という風来坊で
あった。この風来坊が漆喰土蔵というものを飛騨で初めて作って見せたのはそれから間もなく
のことであった。厚い観音開きの漆喰の扉が、左右から噛み合うところに薄紙一枚のすきも無
い絶妙さに人々は目を見張った。これなら火事も防げるという確信を飛騨びとが持ったのは当
然であった。

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高山祭の屋台蔵(左の白い建物)に迫る猛煙=
13日午前9時25分、岐阜県高山市上一之町で
(南拡大朗撮影)

高山祭前日、屋台焼失の危機に 土壁阻む

2008年4月14日 中日新聞夕刊


調査結果に元づいて、徹底した温度・湿度の調節装置、熱を出さない特殊蛍光灯、入場者による
炭酸ガスや塵埃防止のための隔離用ガラスなどを使って、屋台蔵と殆どかわらぬ状態の屋台会
館を作ったはずであった。それでも幾度か同様な異変を繰り返し、ようやく最近になってなんとか
安定し、ほっと安堵の胸をなでおろしたというのが実情であった
この屋台会館の技術指導には文部省文化財保護部建築物課が中心になって、名古屋工業大学
教授宮野秋彦、文化財主任調査官宮田原久、文化財調査官平沢重信らがあたった。彼らが数年
にわたり高山の屋台蔵の調査を続けてわかったことは、屋台蔵は煙突のように細く高い特殊な蔵
で、上下で温度や湿度が違うはずなのに、その差がきわめて少ないこと。又蔵内は意外に湿度が
高く、続に「室」の状態にあり、金具や布の保存にはよくないが、屋台本体には最適の条件を備え
ており、日本の蔵の高度な智恵を改めて認めざるを得なかった。
屋台会館が出来、屋台蔵に保存されていた屋台を会館に展示したところ、しばらくして、屋台の
漆、彫刻、布類に次々と起こった不気味な異変である。
その大扉が板戸ですむなら問題はないが、厚い壁と同質のものでなくては用をなさない。問題
はそこにあった。白壁の厚さ35センチから45センチ、高さ6メートルないし7メートル、幅1.6メート
ル前後、その重量何千キロという左右2枚の観音開きの重い扉がたった二つの蝶番で支えられ
ただけで、何百年たっても一分の狂いもなかったというのが屋台蔵の秘密であった。もっともこ
れは左官ばかりでなく秀れた大工と鍛冶屋の三者の絶妙のチームワークの上に成り立つもの
である。その面ではおそろしい仕事であった。
飛騨には勿論江戸万以前から土蔵技術はあり、三方の壁を厚くする事は決して難しいことでは
なかった。問題はいつも扉で、火が入るのも扉であり、外気の乾湿の影響をもろに受けてしまう
のもすべて扉の不完全さであった。特に屋台蔵においてそれが顕著であった。屋台は三階建
てほどもある縦長の車で、その出し入れを自由にするためには、どうしても蔵には三階建てが
一度に開く大扉が必要であった。

それはまず豪商・豪農の土蔵へ広がり、やがて屋台蔵へと拡がっていったのである。江戸方の
真の腕の冴えは、美術的漆喰細工や、防火機能だけでな、く極めてデリケートな温度・湿度・通
風の調節のきく技術、それが江戸方の技術であった。

この風来坊は名を万蔵と呼ぶ江戸前の左官職人であった。飛騨では大工技術は「飛弾の匠と
して天下にその名声は聞こえていたが、左官技術はまことにお粗末なもので、江戸とは大きな
開きがあった。これを契機に高山の左官技術に一大変革が生まれたことはいうまでもない。

屋台蔵の技

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三番そう隣の火事

屋台蔵の救世主 江戸屋万蔵

13日午前8時50分ごろ、岐阜県高山市上一之町の無職白川可代子さん(76)方から出火。木造
2階建て住宅を全焼、隣の洋食店とみそ・しょうゆ店兼住宅の一部も焼いた。火は2軒隣にある春の
高山祭の祭り屋台「三番叟(さんばそう)」(国重要有形民俗文化財)の屋台蔵に迫ったが、厚い土
壁のおかげで屋根を焦がしただけで焼失を免れた。

 高山署は、白川さん方の仏壇のろうそくが倒れたのが原因とみている。現場は観光名所の古い
町並みに近く住宅や店舗が密集。14日開幕した春の高山祭のために多くの観光客が訪れており、
一時騒然となった。

 火はみるみるうちに屋台蔵に迫った。三番叟組の住民が屋台を外に引き出すかどうか検討したが、
扉を開けると空気が流れて火が強まる恐れがあり「蔵の中が一番安全」と判断した。

 蔵の隣家が猛煙に包まれ、組の住民が蔵に入って火が回っていないことを確認するなど緊迫した
状況が続いたが、午後零時半ごろ鎮火した。

 屋台蔵の土壁は厚さ24センチ。高山市の田中彰文化財課長によると1875(明治8)年に、現在の
古い町並み一帯の1400軒を焼いた大火でも、春秋の高山祭の祭り屋台23台の蔵は無事だったと
いい「今回も江戸時代からの伝統的な土蔵のおかげで助かった」と話した。
屋台蔵の調査にあたった学者達が、長い調査を終わって思わずもらした言葉が「屋台よりむしろ
屋台蔵のほうが重要文化財だ」であった。高山の人たちはこの時になって改めて江戸万の仕事
に目を見張ったものである。