6.屋台キチ批評
大新町の古老は屋台キチについてこう言った。「あれはバカじゃ」と言い切った。
「世の中には蛙の面に水で抜け目無く金儲けばかりしている奴もいる。そういう
ものと屋台キチはぜんぜん違う。「あれはバカじゃ」
これは口にするかどうかは別にして屋台キチみんなが心の内奥にもっている気持
だという。つまり屋台キチにとって「神様」とはまさに「屋台」のことであり、どちらか
というと人間くさいものである。
5.屋台は神様
日枝神社の祭礼委員会の席上で「オリャこの神様(日枝神社)にゃ悪いけども、神
社と屋台をはかりにかけたら屋台のほうが可愛いからな」と放言して一座の人々
を唖然とさせた屋台キチがいたそうである。
そして野辺送りの棺が通り過ぎていった後の安川通りには、「提灯屋のおっ様は
ほんね幸せなひとやな」という巷の声だけが残ったという。
棺の屋根の上に輝く黄金色の鳳凰も、四隅に下げた瓔珞も、本物の屋台そっくり。
その中へ長瀬のおっ様の亡骸を入れて、ゆらゆらと安川通りを東に大雄寺への坂
を上って行った
「オリが死んだら棺は屋台にしてくれ」という生前の長瀬清藏の冗談とも正気とも
とれない口約束を、下二之町の友人川上吉右衛門と片原町の八賀保太郎・楠悦
二・中野新平らが守って急遽屋台型の棺を作り、清藏の亡骸をいれ、前代未聞の
「屋台葬」となった。
4.屋台葬
崑崗台の「提灯屋のおっ様」といわれた人、笛の名手でもあった人が山王祭の前
夜祭囃子の練習中に脳溢血で倒れ、しばらく昏睡状態が続いた後、山王祭の祭
囃子が聞こえてくる夜、静かに息を引き取った。
ある人物について面白い話がある。彼は、龍神台のカラクリ人形の美少女が忘れ
られず、下呂へ養子に行ったのだが帰ってきてしまったというのである。「美少女
唐子への恋」はともかく彼が少年の頃から手がけてきたカラクリの魅力にとりつか
れていることだけは確かなようである。
3.龍神台カラクリ
龍神台のからくり「竹生島」は二十八本の綱で操られる。これは十数人の人形方
と謡方によって構成されている。こういうカラクリ技術は祭の前の練習だけで維持
できるはずはなく、祭以外のときでも毎日何回か練習する。あまりにも長い無報酬
の作業であるが「神様の教えだから」といわれ何代も続いている。
谷鉄にはこの種の話はいくらでもある。この谷鉄のような並外れた愛台心はしば
しば高山祭に騒ぎを巻き起こし、こういうときは喧嘩の終わるまで屋台の進行は
止まったまま。しかし、それが祭の楽しみにもなっていた。屋台キチのいない高山
祭なんて、おそらく気の抜けたビールのようなものだったにちがいない。
東京から来た文化財調査団の人々は、ただあきれ果て恐縮してその場を早々に
立ち去り、やがて宿に引き上げてから「これは屋台より人間のほうが先に文化財
だ」と言ったとか。
しかもその後の谷鉄のセリフがふるっている。「金具というものが、手でさわってい
いか悪いかもわからぬような者が、文化財保護委員とはしゃらくさい。われたちの
出る幕じゃない。帰れ、帰れ!」さらに「祭でもないのに屋台を引き出させて、いった
いわれたちはこの神様の屋台をなんと心得とるのか!この際はっきり言っておくが、
この屋台ってものはなあ、国のものでもないし、天皇陛下のものでもない。ましてや
観光課のものでもない。麒麟台はオリたちのものだ!」。
とそんな時、調査団の一人が何気なく屋台の金具に手を触れた。びっくりした谷鉄
は顔を真っ赤にし、「何するんじゃい」と言っていきなり調査員を突き飛ばした。県・
市の役人達はびっくりし、しばらく口もきけなかった。
昭和30年頃民俗文化財に指定されるかどうかを調査するため、文部省の調査団一
行が高山に来たときの事、指定されるかどうかの運命がかかっているので県・市の
役人達は必要以上に気づかいしていた。しかし、谷鉄はこんなときでさえ、わが愛す
る麒麟台にいたずらされないよう特に厳重な警戒にあたっていた。
2.谷鉄。
上一之町麒麟台組「谷松之助」通称谷鉄。安川通りで黒砂糖の鉄砲飴の商い。
山王祭の総指揮をとる「宮本」の旗印は、厚い布地に大きな金箔で「須督祭事※先
例(すべからくさいじをとくすることはせんれいによるべし)」と書いてある。徹底的な保
守派である。だからこそあんな古式ゆかしい祭が今まで残ったのである。
高山新報。一つの投書(明治44年4月15日付け)
「電話開設により、近く電柱工事を始めると聞くが、これによって屋台曳行は不可能
となる。文明のベルを鳴らすために、屋台曳行が出来なくなる。そんなことなら電話な
んかいらないから、いっそのことやめてしまえ」
「日枝会議ではお旅所の地所を郵便局に譲渡することを拒否したそうだが、お旅
所のごときは年一回の祭礼より必要の無いもの、郵便局は日夜必要の役所、そこ
に気づかぬ川西の連中や日枝会議のわからずや委員にもいやはや困ったものだ」
「やくたいもない、神様の家を売って郵便局に---。「たわけたことを申すな」[そんな
ものおりゃ承知せんぞ」と。という祭や屋台について頑迷なまでの一徹な屋台キチ
はそういったとか。
高山新報。一つの投書(明治43年4月5日付け)。
屋台キチ紳士録
1.祭事は先例によるべし
屋台狂の不思議
豪商達の富と、裏返せば農民の汗と血を吸い取った豪商達の富と権威の象徴でもある屋台
に、なんで貧乏人がとびついて、かくも熱狂的に支持し、あの厄介なしろもの(屋台)を、今日
まで長年にわたって維持運営してきたのかということである。屋台は、その創建当時におい
て、旦那衆の意図が何であったにしろ、屋台組がそれを受け止めた時点からは、もう別な「生
き物」に変わっていったのである。