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飛騨総地図
Photo高山祭

金森時代

  天正十四年(1586)、金森長近は飛騨三万三千石の主として入府し、ここから金森氏六代、107
年の政治が始まる。関が原の戦いでは徳川方について前線で戦い、美濃国上有知(みののくにこ
うずち)一万八千石、河内国金田(かわちのくにかねた・大阪府)三千石が加増されている。

入国した金森長近は、城の建設を天正十六年(1588)から始め、慶長五年(1600)までの13年間で本
丸、、二の丸を完成させ、以後3年かけて三の丸が築かれた。日本国中に五つとない見事な城だと
記録が残っている。

  また、城と同時に城下町の工事も行われている。城を囲むように高台を武家地とし、一段低い
ところを(三町)を町人の町とし、京都になぞらえて東山に寺院群を設けた。農民一揆の対策とし
ては、門徒の多い照蓮寺(現在の高山別院)を高山城と向かい合わせに配置し、人の心を安め、
寺社の再興、宗和流茶道を始め、様々な文化をおこすことも積極的に行った。

  高山における金森氏は六代107年続いたが、元禄五年(1692)7月28日、頼旹(よりとき)の時代
に突然出羽国上の山(でわのくにかみのやま・山形県)に転封となって金森氏による政治は終わった。

  頼旹(よりとき)は上の山に五年間いたが、元禄拾年(1697)、今度は美濃国郡上藩に転封とな
った。頼旹は江戸芝の屋敷でなくなり、孫の頼錦(よりかね)が後を継ぎ、幕府の奏者役(そうじゃ
やく)を命ぜられた。そのため多くの費用を必要としたこともあり、年貢を定免(じょうめん)法から
検見(けみ)取りに改めたため4年半にわたる「宝暦郡上騒動」が起こっている。これで金森の本
家はとりつぶされてしまったが、分家の旗本左京(さきょう)家は3千石のまま越前に領地替えに
なり、現在も越前市に子孫が在住している。

幕府直轄地(天領)時代

  金森氏移封後の飛騨は幕府直轄地となり、代官には関東郡代・伊奈半十郎忠篤が兼任、金沢
藩主前田綱紀(つなのり)が高山城在藩を命ぜられた。

  元禄八年(1695)1月12日、幕府から高山城破却の命令が出され、同年4月22日から取り壊し
を開始、6月18日には全て終えて帰藩した。今は「高山城址」として県史跡に指定され、緑豊な城
山公園になっている。幕府直轄時代は25代、177年続き11代までが代官、12代大原彦四郎か
らは郡代に昇格した。

  明和8年(1771)、大原代官は幕府の命令で飛州全山に官材の元伐(もとぎり)を中止、安永2年
(1773)には飛弾の村々の代表を集め、検地のし直しを言い渡した。飛弾の農民たちは田を少ししか
持っておらず、新しい年貢がさらに厳しくなると越訴(おっそ)、駕籠訴(かごそ)などをして検地中止
を願い出た。ここに明和8年(1771)から寛政元年(1789)までの大原親子2代、18年間にわたる農
民一揆が起きた。

そのなかに主な事件が3つ含まれており、明和、安永、天明騒動となづけられている。明和、安永
騒動では9千人の農民が罰せられ、若き指導者本郷村善九郎ら、多くの農民代表が犠牲になった。
しかし、天明騒動では大原亀五郎郡代の政治不正が問われ、郡代は八丈島へ流罪、農民側の罪
は軽くて済んでいる。

  善政をつくした代官・郡代もいる。7代長谷川忠崇(ただちか)は『飛州志』を著している。第8代
幸田善太夫(こうだぜんだゆう)は飢饉のために馬れいしょ(ジャガイモ)を農民に作らせ、飛騨で
は「善太夫いも」「せんだいも」とも今も呼ぶ。19代大井帯刀(たてわき)は天保飢饉の際に、飛騨
はもちろん出張陣屋(越前本保)領内でも救済措置を講じた。20代豊田藤之進(とよたふじのしん)
は渋草焼を起こし、養蚕を盛んにしている。

  高山盆地の周辺は、北の日本海に流れる宮川、南の太平洋に流れる飛騨川沿いに、まとまった
集落が小さな平地に広がり、支流の谷沿いにも小集落が多く散在している。また、高山盆地から東
に乗鞍岳、焼岳、穂高岳、槍ケ岳、黒部五郎岳、笠ケ岳、南東に御岳、西に白山が遠望できる環境
にある。

歴史街道と河川

  高山市には、東西南北方向に江戸時代の重要歴史街道がある。東に朝日町、髙根町を通る江
戸街道、北に国府町、上宝町を通る越中東・西街道、西に清美町、荘川町を通る郡上(白川)街道、
南に一之宮町、久々野町を通る尾張(益田)街道である。ほかに丹生川町、奥飛騨温泉郷を通る平
湯街道もある。

飛騨高山の歴史

ライン

  また、郊外の旧町村域には、北へ流れる宮川、南へ流れる飛騨川、南西に流れる馬瀬川へと流
れ込む河川沿いにまとまりをしていた。これらの河川沿いに自然と密着した特徴ある農山村文化が
発展をしてきた経緯があり、芸能、民俗、天然記念物、自然山岳景観など見るべきものが多いので
ある。

地勢、気候

参考資料
2006年飛騨高山総合パンフレット
高山市商工観光部観光課

  飛騨の国(ひだのくに)は、東西を険しい山に、南北を厳しい河川峡谷(きょうこく)に囲まれてい
る。盆地といえば高山、国府、古川盆地であり、あとは幾筋も伸びる谷筋沿いに、ポツンポツンと小さ
な平地が広がっている。飛騨は土地のほとんどが山林で、その森林率は92.5%にも及ぶ。世界の平
均が30%台、日本国内の平均が60%台と比べ、際立って森林の面積が多い。

Copyright(c)2007,y.fujii(sasukefujii@hotmail.co.jp) 

http://www7a.biglobe.ne.jp/~fujii/

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