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高山祭についてTravere’s SiteからこのHPを作成してきましたが、その名のとおり、学術的には
かなり不備であります。もっと掘り下げて探求したいという方は次のHPをご覧になれば満足いただけるのではないかと思い、紹介させて頂きます。
高山祭の起源、高山祭りについて文献を元に詳細に解説 高山祭り

神馬台    享保参年(1718)

行神台    享保年間(1716)頃

仙人台    明和〜安永初期(1772)頃

その他は創建年代未詳

創建年代別

鳩峯車    延亨四年(1747)

大八台    文政元年(1818)

秋・神楽台  宝永五年(1708)

大国台    寛政八年(1796)

石橋台    宝暦(1751)と天明(1781)の説がある

三番叟    宝暦年間(1751〜1764)

春・神楽台  文化元年(1804)

 高山祭が日本三大美祭として喧伝されるのは、動く陽名門といわれる屋台があるためである。
荘厳で華麗、絢爛で豪華、それに幽玄と哀愁がほどほく融合した屋台は伝統美と工芸美が一如
となったものである。

八幡祭屋台構造
屋台名 創建年代 構造 彫刻 見返り幕
神楽台 宝永五年金森重勝の
大太鼓を乗せ創建
嘉永年間新調
文化拾弐年大改造
屋根無
太鼓昇動

三輪外御所車
布袋台 創建年代不詳
文化八年現台形
切破風屋根
四輪内板車
金鳳台 創建年代不詳
享保参年曳行記録有
文化年間休台
文政元年再興
切破風屋根
四輪内板車
大八台 文化年間文政台組
と分離
文政元年創建
切破風屋根
三輪外御所車
「大八」 屋台囃子の名曲。他の多くの屋台組でこれを崩して作曲
鳩峯車 延亨四年以前創建
文政九年休台
天保八年再建
切破風屋根
三輪外御所車
見送幕綴錦織
他三方胴幕綴錦織
大八崩し
神馬台 享保参年高砂
名で曳行
明和六年改造
文化拾参年神馬新調
切破風屋根
四輪内板車
雅楽の越天楽崩し
仙人台 明和〜安永初期創建
文政年間改修
唐破風屋根
四輪内板車
行神台 享保年間湯の花
から分離創建
明治参拾六年休台
昭和弐拾六年再建詳
切破風屋根
四輪内板車
宝珠台 創建年代未詳
文政11・12年改造
切破風屋根
四輪内板車
豊明台 創建年代未詳
明治33・35年改修
切破風屋根
四輪外御所車
鳳凰台 創建年代未詳
文政元年再興
嘉永四〜七年改修
切破風屋根
四輪内板車
谷口与鹿:谷越獅子
浅井一之:谷越獅子 
本見送:鳳凰綴錦織
替見送:龍の墨絵

屋台考証

ライン

【八幡祭屋台考証】

参考資料 高山祭りHP・高山市教育委員会資料より
山王祭屋台構造特徴
屋台名 役務
神楽台 巨大な太鼓をのせた独特の屋台。いつも先頭を行く祭礼指揮車。始めの頃は白木の枠に太鼓をつって二人でかついだものであった。文化年間四輪の屋台形にし、嘉永七年大改修により現台形になった。嘉永の改修のとき、金具に一坪あたり一匁(四グラム)の純金が使用された。
三番叟 神楽台に続く上一之町の特権組の屋台。機関樋の中を二十五条の細綱で操るからくりがある。当初台銘は「恩雀」、天明年間に翁操りを入れ「翁台」と改名、文化三年に現台銘の三番叟となる。屋台曳行順のくじは、必ず「一番」。神楽台についで他の屋台に先行
麒麟台 最も派手な屋台。名工谷口与鹿の彫物「籠伏の鶏」が自慢の傑作。文化十年、組内に金森家から拝領した麒麟の香炉を保管していたことから「麒麟台」の台銘とした。屋根飾りとして一対の麒麟を乗せ、中段、上段の木鼻の彫刻も麒麟の意匠となっている。下段の唐子群遊彫刻は谷口与鹿の作で神技といわれ屋台彫刻中逸品である。
石橋台 独特の屋根と伊達柱が王朝の雅を漂わせる。当初から長唄の石橋の操り人形があった為台銘もこれに由来する。文久三年大改修したときに、旧台を古川町に譲った。明治25年、風紀上よくないと中止され、昭和59年復活。重厚で調和のとれた屋台
五台山 屋台の王者。文化年間改修時に中国名山の五台山の名を採り改称。朱塗り格子を透かして、回転する御所車が見える。獅子牡丹の刺繍幕は丸山応挙が下絵を書き、下段の飛獅子は幕末の左甚五郎といわれた諏訪の立川和四郎作。見返り幕の雲龍昇天図は明治の帝室技芸員幸野楳嶺(こうのばいれい)の原作で、京都西陣で製作。
鳳凰台 麒麟台と対照的に地味だが豪華な屋台。屋根中央部に赤木白毛の長い鉾を立て、根部に緋羅紗の屋根覆いをまとっている。赤・黒・黄三色の大幕はオランダ古渡りの珍しい毛織といわれる。全体に堅牢、金具も目立たなくして木材の美しさを強調している。狭い道路の通行に備え、上段蛇腹形支輪が伸縮するようになっている。
恵比須台 与鹿の彫刻と純金メッキの金具と長崎まで買いにいった大幕が有名。下段の龍・中段の獅子、手長足長像は谷口与鹿の会心作。金具の鍍金には14Kgの純金が使用されている。見送りは 幡(はた)見送りといわれる形式。鯉の伊達柱は藤原家孝卿の牛車に使用されていたものである。
龍神台 昭和四十三年二代目村山郡鳳により「下段の龍」が作成。三十二条の糸を操って龍神のはなれからくりが演じられる。龍神のからくりは竹生島の龍神にちなんだもの。見送りは試楽祭には望月玉泉筆の雲龍昇天図、本楽祭は久邇宮朝彦親王新書で明治天皇の鳳輦の裂れで表装されたものを用いる 。
崑崗台 鍛冶屋町の暴れ屋台。中国にある金銀の産地崑崗にちなみ「崑崗台」の台銘とした。天保年間(1830〜1844)までは中国の故事による林和靖と唐子のからくり人形があった。棟両端の金幣、屋根上の宝珠は崑崗が中国随一の金銀の 産地であることに由来し、金塊を現している。見送り幕は中国産の刺繍、寿老と鹿である。緋幕は嬶の褌(かかあのふんどし)と悪口もある。
琴高台 名工谷口与鹿はこの組で育つ。文化十二年飛弾の漢学者赤田臥牛が「支那列伝史」から「琴高、赤鯉に座し来る」の故事を引いて「琴高台」と銘名した。鯉魚と波浪を刺繍した大幕を用い、伊達柱は黒塗地に鯉の滝昇りの大金具を打つ。欄間にも与鹿の鯉魚遊泳の彫刻があるなど鯉づくしの意匠となっている。本見送り幕は徳川家十六代家達書の琴高仙人の詩、替え見送り幕はは垣内雲りん(かいとううんりん)の琴高仙人図である。
大国台 寛政十一年鳳凰台組から大国天像を譲り受けて「大国台」と改称。構造上に工夫がこらされ屋根棟と上段の縁が違う動きをして、しなう美しさを出している。大国天の人形はもとは腹中から七福神が舞い出るからくり人形であった。中段欄間の石田春皐作飛龍、下絵の土村英斎作獅子の彫刻が引き立つ。毎年クジによって決められる屋台曳行順で、この屋台の順位が高ければ米価が高く、その反対であれば安いという伝説がある。
青龍台 山王様お膝もとの屋台。嘉永四年改修した頃「青龍台」の台銘とした。国主金森氏が日枝神社を崇敬すること厚く、この屋台が神社膝もとの重要地にあったことなどから金森氏の代行として宮本(みやもと)と呼ばれて家紋梅鉢を使用し祭事を主宰する特権をもっていた。これは明治2年に宮本が輪番制になるまで続いた。台形も三層で天守閣型の屋根(入母屋造)となっており、他の屋台と趣を異にしている。

 それでは屋台はいつごろできたかというと、記録の上では天領となってからの正徳六年・享保
元年(1715)山王祭も八幡祭も行列を整えて、陣屋の前に行き代官に伺候して、氏子に帰り祭を
行っている。このとき以後町衆の祭となったのであろう。

Copyright(c)2007,y.fujii(sasukefujii@hotmail.co.jp) 

http://www7a.biglobe.ne.jp/~fujii/

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史実高山祭
高山の神社・仏閣
江戸時代年号

慶長 1596-1615  元和 1615-1624  寛永 1624-1644  正保 1644-1648
慶安 1648-1652  承応 1652-1655  明暦 1655-1658  万治 1658-1661
寛文 1661-1673  延宝 1673-1681  天和 1681-1684  貞享 1684-1688
元禄 1688-1704  宝永 1704-1711  正徳 1711-1716  享保 1716-1736
元文 1736-1741  寛保 1741-1744  延享 1744-1748  寛延 1748-1751
宝暦 1751-1764  明和 1764-1772  安永 1772-1781  天明 1781-1789
寛政 1789-1801  享和 1801-1804  文化 1804-1818  文政 1818-1830
天保 1830-1844  弘化 1844-1848  嘉永 1848-1854  安政 1854-1860
万延 1860-1861  文久 1861-1864  元治 1864-1865  慶応 1865-1868

 屋台を曳いた記録はその翌々年享保参年(1718)高山陣屋の地役人、上村木曽右衛門が書い
た「高山八幡祭礼行列」があり、それによれば『だし一本、笠鉾七五三、国センヤの二本、屋だい
、高砂・猩々・湯の花・浮嶋太夫夫婦の四台を曳いている』との記述が残っている。

 高山祭の屋台は美しい。何故そのようになったのか。高山の町衆の経済力が東西の文化をよ
く吸収していたこと、従って旧形や伝統にとらわれず、新しいものを求めたこと、また、それに答
えうる、大工、塗師、彫刻師がいたことであり、他の組の屋台より美しくしようと互いに競い合った
からであり、それをなし得る経済力を持っていたことである。

山王祭屋台構造
屋台名 創建年代 構造 彫刻 見返り幕
神楽台 文化元年
(1804〜1818)
屋根無・太鼓昇動
四輪外御所車
谷口与鹿   :中段巻龍 場ならし
高い山
三番叟 宝暦年間(1751〜1764) 切破風屋根
四輪内板車
「壽」 謡曲「浦島」
麒麟台 創建年代不詳
天明四年火災
文化参年再建
切破風屋根
四輪外板車
谷口与鹿   :下段唐子
中川吉兵衛 :上段牡丹
中国北宋
時代の故事
石橋台 宝暦創建説と
天明創建説あり
切破風屋根
四輪内板車
村山勘四郎 :下段獅子
浅井一之   :中段彫り龍
中川吉兵衛 :牡丹
朝鮮の段通 英執着獅子
(はなぶさ
しゅうちゃくしし)
五台山 創建年代未詳
文化年間改修
天保年間火災消失
天保八年再建
切破風屋根
四輪内御所車
立川和四郎 :飛獅子 雲龍昇天図
(綴錦織)
鳳凰台 創建年代未詳
天保元年改修
天保参年火災消失
天保八年再建
切破風屋根
四輪内板車
恵比須台 創建年代未詳
弘化参年改造
切破風屋根
四輪内板車
谷口与鹿   :下段龍
谷口与鹿   ::中段獅子
谷口与鹿   ::手長足長像
西洋風俗
(綴錦織)
龍神台 創建年代未詳
文化拾弐年改造
切破風屋根
四輪内板車
村山群鳳   :下段の龍
(二代目)
雲龍昇天図
久邇宮朝彦親王新書
陵王崩し
謡曲「竹生島」
崑崗台 創建年代未詳
嘉永弐年大改造
切破風屋根
四輪内板車
寿老と鹿
琴高台 創建年代未詳
天保九年組内居住
谷口与鹿中心改造
切破風屋根
四輪内板車
谷口与鹿   :伊達柱鯉
谷口与鹿   :欄間鯉魚
          遊泳
琴高仙人の詩
琴高仙人図
大国台 寛政八年創建
寛政11年大国台名
弘化元年改修
切破風屋根
四輪内板車
石田春皐  :中段欄間
         飛龍
土村英斎  :下絵獅子
青龍台 創建年代未詳
天保参年火災消失
嘉永四年再建
入母屋造屋根
四輪内板車
八幡祭屋台特徴
屋台名 役務
神楽台 藩主の弟・金森重勝寄進の大太鼓は音響遠近に轟いた。祭礼に際しては先頭を行く祭礼車で、侍烏帽子、素襖姿の5人の楽人をのせ、獅子舞を付随させる。棟飾りの鳳凰と、天照・八幡・春日の三神を表した金幣束が独特。
布袋台 からくり人形は、三十六条の手綱で操り、綾渡りと呼ばれる極めて精緻巧妙なものである。鳥居型の出入り口や、下段の上部が中段の役割をするなど、文化年間以来小修理しか行われていないため、台形に古趣を豊に残した屋台である。明治百年祭全国カラクリコンクールで優勝。
金鳳台 最古の屋台の一つ。棟飾りとして、台名を象徴する金地の鳳凰が翼を張っている。中段欄間には四条派風に四季の草花が描かれている。一見地味に見えるこの屋台は、それだけに文政再興当時のおもかげをよく残しており、構築上、最も整備された形態をもつ屋台として聞こえ初期の屋台の風格をしのぶ優美な屋台である。
大八台 高山で最初の三輪屋台として創設。三輪のうち外二輪は高山屋台中最大で直径は1.56m。屋台飾りには両端に八幡、春日大神を表す金幣束を立てる。中段は幕を張らず御殿風の吹き抜けで楽人が見えるようにしている。祭囃子の名曲「大八崩し」発祥の屋台。
鳩峯山 最古の屋台の一つ。明代の古渡りの幕と御所車風の優雅な旦那屋台。見送り幕、胴掛け幕は綴錦織の高価なものでこれだけ贅沢な幕をしかも四方に掛けている屋台は他にない。
神馬台 下段四隅の丸柱は中段に突き抜けて、先端に青龍刀を付け四神旗をかけている。飾り人形は以前は高砂の翁と媼の二体であったが、文化九年(1812)に他組に譲り、現在は跳躍する白馬と二人の馬丁の人形を飾る。昔は、別名を暴れ馬といい、祭のときに隣にあった組などとよくけんかをしたという。紫鱗紋織り出しの大幕に刺繍された大般若面が印象的である。屋台囃子には雅楽の越天楽を用いる。
仙人台 最も古い形を残した屋台といわれる。以前は他の多くの屋台が唐破風の屋根であったが切破風に変わりこの屋台だけが唐破風の古態を残している。屋根飾りには極彩色の剣巻龍を前後に立てている。以前はからくりをしていたが明治初期に廃止。
行神台 昔は馬捨場だったという下三之町に住みついた役の行者祭神として祀る。中段高欄は玉垣、上段高欄は四隅に密教の法具五鈷をさすという形態になっている。
宝珠台 別名亀屋台とも言い、屋根飾りとして雌雄の大亀一対と台名に由来する大宝珠三個を飾っている。中段と屋根飾りに金銀の宝珠が飾られている。ケヤキ一枚板の台輪は高山の屋台中で最も美しいものといわれる。
豊明台 絢爛華麗な旦那屋台の雄。天保六年三百両もの大金で完成。屋根飾りの大鳳凰と宝珠、上段の菊花彫刻、中段の牡丹彫刻・白彫りの十二支の彫刻、下段の唐獅子、御所車等華麗に装飾された台。台名は八幡宮の祭神応神天皇の豊明宮に由来する。
鳳凰台 嘉永改修で与鹿の谷越獅子と金彫三万坪を施した旦那屋台。下段にある白彫りの谷越獅子は高山の屋台彫刻中最大のもので、名工谷口与鹿の下絵をもとに与鹿とその弟子浅井一之によって彫られたという。本見送りは柚原双松筆の鳳凰の綴錦織、替え見送りは西村五雲筆の龍の墨絵で、華麗で均整のとれた屋台。

【山王祭屋台考証】