真蓮寺
荘厳な山門
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高山別院近辺見取り図
円龍寺
専念寺
耐火建築となった本殿
山門より見た本殿
安川通りから
真宗大谷派高山別院光曜山照蓮寺についてもっと詳細にお知りになりたい方は
高山別院光曜山照蓮寺のホームページをご覧ください
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了泉寺本堂
了泉寺社務所
江名子川側より見た別院 両側に二末寺
史実高山祭
万灯会
12月31日10時頃より別院参道に
たくさんのロウソクが灯る。
別院始め各寺の使用済みのロウソク
を利用して、参拝者に灯りをともしてい
ただくのだが、そこで集まったお賽銭は
災害救援金として被災地に送られる
報恩講
親鸞聖人は、1262(弘長2)年11月28日、
90歳の生涯を閉じられた。聖人の遺徳を
偲び、真宗門徒の最も大切な行事として
毎年勤められるのが報恩講である。
真宗本廟(東本願寺)では11月21日から
28日、高山別院では11月1日から3日、
その期間と前後して、各お寺はもとより
各家庭でも勤められる。
報恩講
当寺光曜山照蓮寺(こうようざんしょうれんじ)は、京都の東本願寺を本山と仰ぐ真宗大谷派の高山
別院である。


その起源は遠く鎌倉時代に遡り、開基は親鸞聖人(しんらんしょうにん)の弟子嘉念坊善俊(かねん
ぼうぜんしゅん)である。

善俊は、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の孫とも皇子ともいい、伊豆の三島で関東より上洛(じょうら
く)途中の親鸞聖人の門弟となったと伝えられる。

当初、善俊は白川郷鳩ヶ谷(はとがや)(大野郡白川村)に、その後、同郷飯島(いいじま)に専修念
仏(せんじゅねんぶつ)の道場を構え、正蓮寺と称した。
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円龍寺
暎芳寺(右側)

真蓮寺

専念寺

高山別院末寺図

高山別院図

江名子川側より見た別院 両側に二末寺

耐火建築となった本殿

山門より見た本殿

安川通りから

荘厳な山門

高山別院行事

高山別院照蓮寺の敷地内というか周りには末寺が五寺あります。数度の火災消失で今でこそ小さく
なった高山別院ですが、隆盛を誇った往時の高山別院がいかに偉大で荘厳であったかを偲ばせます。

万灯会
 17世紀末、金森氏が出羽へ移封され飛騨は天領となったが、寺領は従前のとおり安堵(あんど)
された。しかし、まもなく照蓮寺と末寺に軋轢(あつれき)が生じ、元禄16年(1703)、17世一乗
(いちじょう)は東本願寺に献上した。


以来本山の掛所(かけしょ)「高山御坊」となった。また飛騨人からは「仲間の御坊」と親しまれ崇敬
(そうきょう)されてきた。

明治以降は真宗大谷派高山別院光曜山照蓮寺
と公称している。
称讃寺(左側)

称讃寺(左側)

暎芳寺(右側)

次第相承して室町時代、第9世明教(みょうきょう)の代になり白川郷に真宗門徒が増えると、脅威
(きょうい)を抱いた在地の土豪内ヶ島(うちがしま)氏の焼き討ちに堂は焼失し一時断絶した。

その遺子10世明心(みょうしん)は本願寺8世蓮如上人(れんにょしょうにん)・9世実如上人(じつ
にょしょうにん)に帰依し、永正1年(1504)白川郷中野(大野郡荘川村)に九間四面の本堂を再
建し、光曜山照蓮寺と改称した。

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暎芳寺(右側)
称讃寺(左側)

円龍寺

円龍寺

 天正13年(1585)、金森長近(かなもりながちか)は豊臣秀吉の命を受けて飛騨に侵攻した。
長近は照蓮寺との協調政策をとり、同16年(1588)、13世明了(みょうりょう)(等安)を請じて高
山の現在地に寺地を与え、堂宇を建立した。


以後、照蓮寺は藩主金森家から養子を迎えたり、東本願寺13世宣如上人(せんにょしょうにん)の
六女佐奈姫(さなひめ)の入輿(にゅうよ)もあるなど、触頭(ふれがしら)寺院として末寺70ヶ寺余
を擁する大寺であった。
高山別院・照蓮寺
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了泉寺本堂

了泉寺社務所

照蓮寺は8回に及ぶ火災と再建の歴史をもつ。近年も明治8年(類焼)、昭和22年(類焼)、昭和30
年(放火)と3度焼失している。

焼失の度に飛騨門徒の浄財と労力を結集して木造檜皮葺(ひわだぶき)、20間(36メートル)四面の
本堂と、壮麗な彫刻を施した山門等を再建した。

しかし放火で本堂を焼失したのちは、昭和39年、規模を縮小して耐火建築で建立し、現在に至っている。

称讃寺(左側)

暎芳寺(右側)