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シネマクルーズの第5回と第6回の舞台は南仏プロバンスです。
前編後編2回に分けての放送は、フランス第3の商業都市であり、
フランス最古の港町=マルセイユから始まります。

           
マルセイユの港に浮かぶ牢獄のある小さな島=イフ島・・。
文豪アレクサンドル・デュマの長編小説「モンテクリスト伯」の主人公=エドモン・ダンテスが
政治犯として投獄され・・そして脱獄する舞台となった牢獄があるのがイフ島です。
(17世紀までは実際の牢獄だったそうです)
「モンテクリスト伯」は、日本では「岩窟王」の名で知られています。

         

イタリア・ローマのチベタベキアの港を出た豪華客船「ぱしふぃっくびいなす」は、
ミストラルと呼ばれる地中海を渡る乾いた風に導かれるように、
2003年陽春の頃マルセイユの港にやってきました。

「ぱしふぃっくびいなす」のマルセイユ入港の様子は、
丘の上に建つノートルダム・ド・ラ・ギャルド教会から撮影しました。
見下ろすマルセイユの港町も美しかったですが、
船から見るマルセイユの風景もさぞすばらしいものだろうと想像できます。
     
ゆっくりと時間をかけてまず遠くから、そして徐々に近づきながら訪問地を
眺める・・たぶん街のざわめきに混じってその土地の匂いも漂ってくる・・。
これが、船旅ならではの醍醐味のひとつなのでしょう。
     

            

マルセイユ名物=ベルジュ河岸の朝市は、17世紀ルイ14世の頃に始まったと言われています。
獲れたての魚介類を中心に賑わう朝市には、一流レストランのシェフたちもやってきます。

                         
マルセイユの港町が舞台になった映画には、
ジョン・フランケンハイマー監督の「フレンチ・コネクション2」、
リュック・ベッソン監督の「タクシー」などがあります。

シネマクルーズの第5回=南仏プロバンス前編では、
映画「マルセイユの恋」のロバート・ゲディアン監督にインタビューしました。
「マルセイユの恋」は、港町に暮らす人々の何気ない日常を描いた人間ドラマです。

ゲディアン監督は、今と言う時代の代弁者として映画を撮る・・
ということをテーマにしているそうです。

ギリシャ支配、ローマ支配などを経て様々な風習や文化がもたらされたマルセイユでは、
混在することを前提に人々が暮らし、その混在が日々のさりげないドラマをつくリあげている・・。
それがマルセイユのおもしろいところなんだ・・と監督は熱く語ってくれました。
また、マルセイユの言葉には独特の訛りがあり、その訛りをうまくセリフに取り入れることに
よって港町の独自性を表現しているそうです。

            

よく耳にする南フランス・プロバンスという名前ですが、
地図上に明確に記された「プロバンス」という場所があるわけではなく、
豊かな自然と穏やかな気候、そして現存する美しい建造物に囲まれた地域を示す言葉です。
つまり「プロバンス地方」という言い方が最適です。
その語源は「プロビンキア・ロマーノ」=「ローマの植民地」と言われています。
           
              
               
世界中にプロバンス・ブームを起こすきっかけとなったイギリスの作家=ピーター・メイルの著書
「南仏プロバンスの12ヶ月」(1989年著)の中にこんな記述があります・・
「プロバンスで私たちは、日や週単位ではなく、季節でものを考えることを覚えた」。


         

マルセイユの北30キロほどのところにあるプロバンスを代表する街のひとつ
=エクス・アン・プロバンス・・。
南アルプスからの豊かな湧き水に恵まれ、街中いたるところに、
瀟洒な噴水がつくられています。
古くからエクス・アン・プロバンスは「水の都」と呼ばれ、
「太陽の布」と言われる「プロバンス・プリント」でも有名です。




エクス・アン・プロバンスの中心通り=ミラボー通りは、
樹齢500年を超える木々に囲まれた美しい大通りです。
パリ・シャンゼリゼ通りのお手本になったと伝えられています。

また、ミラボー通りのカフェ=レ・ドゥ・ギャルソンは、
画家ポール・セザンヌと小説「居酒屋」で有名な作家エミール・ゾラが、
若き日熱く芸術論を交わしたカフェとして知られています。


印象派の画家ポール・セザンヌはエクス・アン・プロバンスの出身です。
街外れにはセザンヌのアトリエが残され、セザンヌが好んでよく描いた
サント・ビクトワールの山を望む風景も当時のまま残されています。
 
             

エクス・アン・プロバンスには、セザンヌの生家も残されています。
終生エクス・アン・プロバンスを愛したセザンヌは、
晩年知人に宛てた手紙にこんな言葉を記しています。
「ここに生まれたならすべてよし、ほかに付け加えることなどないのだ」。

      

             
アルルは、ローマ支配の時代の面影を色濃く残す街です。
2000年前に建てられたフランス最大(2万人収容)の円形闘技場では、
今も夏のあいだ闘牛が催されます。

アルルの街外れの風車小屋に暮らし、
戯曲「アルルの女」の原作者であるアルフォンヌ・ドーテも
プロバンスに魅せられたひとりです。
著書「風車小屋便り」(1866年)にこんな言葉を残しています。
「プロバンスのこの美しい風景は、
すべてただひたすら光だけで生きている」。


             
アルルは、炎の画家=ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに縁の深い街でもあります。
1888年2月、パリでの生活に疲れ果てたゴッホはアルルに移り住みます。
アルルに安らぎを覚えたゴッホは、意欲的に数々の名作をここで描きます。
しかし、ゴッホの心の平穏は長く続かず、同年アルルの精神病院に収容されます。
自らの耳を切り落とすという悲劇もアルルで起こりました。
現在、街外れの公園に、片方の耳のないゴッホの像が置かれています。



         


南仏プロバンス前編の最後に訪れたのは、
切り立った断崖の上に築かれた城砦都市=レ・ボー・ド・プロバンスです。
11世紀に「鷲の一族」と恐れられた「ボー一族」がつくりあげた難攻不落の城砦都市です。
「ボー一族」は、自らを「東方の三賢者」の子孫であると宣言し、13世紀には
遠くイタリアまで軍事遠征をおこなったと伝えられる勇猛果敢な一族として
その名を歴史に刻んでいます。
この日、現地観光局の好意で、「ボー一族」の武勇伝が再現されました。

この様子は地元新聞に紹介されました。

         
            
南仏プロバンスの撮影取材の間、私たちは何度か地元の新聞やテレビ局の取材を受けました。
プロバンスには、パリにはないフランスの心地よいローカリティを感じました。
           







地中海に面した小さな街=ラ・シオタ・・。
この街は映画が生まれた場所として知られています。
現在は、TGVが高速で走り抜けるラ・シオタの駅。
世界で初めての動く映像は、この駅で撮影されました。

ラ・シオタの街で、写真機などの製造販売を生業としていた
兄弟=オーギュスト・リュミエールとルイ・リュミエール・・。
彼らが撮影した「ラ・シオタ駅に入る汽車」の映像が、
1895年12月にパリで有料上映されました。
これが、世界最初の映画上映とされています。
ラ・シオタの街には、リュミエール兄弟の業績を称え、リュミエールの名前を
冠した映画館が残っています。


南仏プロバンスの後編では、映画の生みの親=リュミエール兄弟の
弟=ルイ・リュミエールのひ孫=トラリュウ・リュミエールさんにインタビューしました。
トラリュウ・リュミエールさんは、ラ・シオタの街で眼科の開業医をしています。
リュミエールというのはフランス語で「光」を意味する・・だから映画の発明者には
ぴったりの名前である・・。
また、なぜラ・シオタ駅での撮影を思いついたのかについては、たまたま兄弟の
妹が汽車に乗って帰省してくる風景を撮りたかったから・・。
などおもしろい映画誕生のエピソードを聞かせてもらいました。

            

ラ・シオタには、世界最古の映画館と言われる「エデン・シアター」があります。
リュミエール兄弟の「ラ・シオタ駅に入る汽車」もここで上演されました。
実際には、パリで上演されるより以前に、ここエデン・シアターで上映されたことがあるそうです。

しかし、それは無料の実験的な上映であったため、世界初の映画上映は
1895年パリ・・と記録されるにいたったそうです。
1980年後半に高潮の被害にあうなど不運が重なり、衰退の一途をたどったエデン・シアターですが、
現在復活運動が高まり、修復して復興させることが2003年決定したそうです。


              
 
カランクと言われる地中海沿岸の断崖に囲まれた入り江・・。
このカランクの典型的な街=カシス・・。
カシスは、紀元前600年ごろより始まったワインづくりの街です。
中でも有名なワイナリー=クロサント・マドレーヌ・・。
ここは、アラン・ドロンの映画「ボルサリーノ2」で使われました。

オーナーのフランソアさんの話によると、
今でも時々ワインを求めてアラン・ドロンが訪ねてくるそうです。
ブイヤベースには絶対にカシスの白ワイン・・。
オーナーの言葉は自信にあふれていました。


              

フランスを代表する小説家であり映画監督でもある
マルセル・パニョルは、奇しくも映画が誕生した1895年プロバンスの
小さな街=オーバーニュに生まれました。
マルセル・パニョルの自伝小説を映画化した「マルセルの夏」
そして「マルセルの城」・・。
この映画に登場する風景は、すべてオーバーニュの近郊に残っています。



子供の頃のマルセル・パニョルが夏のあいだ過ごした別荘も、
当時のままの姿で残されています。


     

マルセル・パニョルの代表作ともいえる映画=「愛と宿命の泉」は、
「マルセル・パニョルの小さな世界」と名づけられたオーバーニュの街にある記念館に、 
プロバンス独特のサントン人形を使って再現されています。



         

サントン人形は、石灰質の粘土でつくられるプロバンスの手工芸品のひとつです。
全工程が手作業で行われ、独特の風合いを持つ人形です。

      

南仏プロバンスの撮影取材では、いくつかルレ・エ・シャトー・グループの
ホテルを撮影取材しました。
ルレ・エ・シャトー・グループは、歴史的に価値のある建物・・たとえば城や修道院
といった建物を活用し、地元の食材を中心にきめこまやかなサービスを提供する
ことをスタンダード・コンセプトとしています。
また、客室は100室以下と規定しています。
それぞれが独立したオーナーホテルのグループです。
現在世界50カ国に、およそ500ほどのホテルが加盟しているそうです。
ルレ・エ・シャトー・グループが標榜するサービスは、5つの「C」に表わされています。
   
Courtoisie=もてなし
Charme=魅力
Caractere=個性      
Calme=静寂      
Cuisine=ローカリティのある料理







南仏プロバンスにあるルレ・エ・シャトー・グループのホテルのひとつで
映画「仕立て屋の恋」で有名なフランスの名優=ミシェル・ブラン氏と偶然出会いました。
ひとり静かに読書に耽っているミシェル・ブラン氏に思い切って話し掛けてみると、
驚くほど気さくな笑顔が返ってきました。

静かに上質なホテルにこもることが、ミシェル・ブラン氏のリフレッシュであり癒しだそうです。
物静かで知的なミシェル・ブラン氏・・ウイットに富んだユーモアのセンスも持ち合わせていて、
ますますファンになりました。


         

南仏プロバンスの撮影取材の最後に訪れたのはカンヌです。
毎年5月に行われるカンヌ映画祭の時には、世界の一流映画スターや
映画監督が集まるところです。
フランス人はよく ”Joie de Vivre" という言葉を使います。
「ジョワ・ド・ヴィーヴル」=「生きる喜び」です。
陽光あふれるカンヌの街を見ていると、この言葉の大切さが実感できます。


赤い絨毯が敷かれ、カンヌ映画祭のメイン会場となる建物・・。
1959年映画「大人は判ってくれない」で監督賞を受賞したフランソワ・トリュフォーは、
ここでこんな言葉を残しています。
「記者時代にはただ煩わしかった華やかさも、
監督となって受賞者の立場から眺めれば、 この上ない祝福に見えた」。


シネマクルーズ撮影エピソードは次回が最後です。
名画「カサブランカ」の舞台=モロッコ、
そして数々の名画の舞台となったニューヨークでのエピソードです。