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シネマクルーズ第7回の舞台はモロッコです。
モロッコは、マグレブ=陽の沈むところ・・と称されます。
アフリカ大陸の西の端に位置することから、このように呼ばれるようになりました。

6世紀に現在のサウジアラビアで生まれたイスラム教は、
7世紀にはアフリカ大陸の西の端モロッコまで広がっていきました。
モロッコはイスラム教国です。

イスラム教徒には、守らなければならない五つの戒律があります。

信仰の告白
一日五回の礼拝
イスラム暦九月の断食
貧しい者への施し=喜捨
そして、メッカへの巡礼です。

モロッコの経済の中心はカサブランカです。
カサブランカとは、スペイン語で「白い家」という意味です。
街は、カスバ=城壁に囲まれた砦(旧市街)と
アールデコの建物が美しい新市街に分かれます。







カサブランカのランドマークとしてそびえるハッサン2世モスク・・。
1980年、前国王ハッサン2世はこう宣言します。

「私は、イスラム世界の西の端にモスクを望む。
その大いなる建造物を、北アフリカの象徴とするのだ。」

       


その宣言に呼応するかのように国民が立ち上がり、寄付を募り、全モロッコから2500人を超える職人が集結し、
1993年世界一の高さを誇るミナレットを擁する巨大なモスクが完成しました。
モスクの内外をあわせると、10万人を超える人々が一同に礼拝することができるそうです。




          

カサブランカを舞台にした名画といえば1942年制作のアメリカ映画「カサブランカ」です。
アメリカ人が最も好む映画といわれ、いまでも人気投票では常にトップにランクされます。

主演は、ハードボイルドの名優=ハンフリー・ボガート・・。
このよく耳にする「ハードボイルド」という言葉にはおもしろい由来があります。

元来の意味は Hard Boiled・・かたく茹でたゆで卵のことです。
そこから転じて「白い殻の堅物」・・つまり軍隊での新兵に厳しくあたる上官をあらわす言葉となり
そこからさらに「自らに厳しい掟を科し、その掟を貫き、一見冷徹だがその芯の部分に優しさや
人間味を持った男」を表現する言葉となったといわれています。
映画「カサブランカ」でのハンフリー・ボガート扮するリックはまさにハードボイルドそのものです。


リックの元恋人=イルザを演じるのはイングリッド・バーグマンです。
第二次世界大戦の混沌渦巻くカサブランカで劇的な再会を果たしたリックとイルザ・・。
そのときイルザはすでにレジスタンスの指導者と結婚していて、リックとの再会に戸惑います。
イルザは、知的で冷静な夫には「尊敬」という愛を・・、
アウトローなハードボイルドガイ=リックには「男」への愛を禁じえません。
混沌のカサブランカを脱出するための通行証は二枚・・
ふたりの男とひとりの女が、たった二枚の通行証をめぐって繰り広げるドラマです。


この映画からは、様々な名台詞が生まれています。
最も有名な台詞は、リックの・・
「昨日のこと? そんな昔のことは覚えちゃいない。
 明日のこと? そんな先のことはわからない。」・・です。

また、イルザが再会したリックに向かって言う台詞は意味深です。
「愛し合っているときも知らない人だった。あの頃の思い出を残すほうがいい。」

二枚の通行証をイルザと夫に譲りリックがつぶやく台詞は、これぞハードボイルドです。
「狂った世界を黙って見ていられない。俺には君と幸せだったパリでの思い出がある。」



さらに極めつけは、リックがイルザに向かって言う「君の瞳に乾杯」ではないでしょうか。
英語では Here’s looking at you,kid. とだけ言っている台詞を、
ものの見事に意訳した翻訳の傑作といえると思います。





     

カサブランカからマラケシュへ向かう途中には、
北アフリカの先住民=ベルベル人の暮らしが
垣間見ることができます。
ベルベル人は、「自由に生きることを標榜する
誇り高き人々」と称されます。
その姿は、実に悠然としています。


  









      

マラケシュは、サハラ砂漠を行く隊商のオアシスとして栄えてきた街です。
スーク=市場、城門、そして美しいモスクが印象的なまさにオアシスです。

               








マラケシュを舞台にした名画といえば、ヒッチコック監督の「知りすぎていた男」です。
家族旅行でマラケシュを訪れたアメリカ人のドクターとその家族が遭遇する様々な事件・・。
異文化を背景に、ヒッチコック一流のサスペンスが展開します。



ドクターのワイフ役で出演している歌手=ドリス・デイの挿入歌「ケ・セラ・セラ」が、
この映画ではとても象徴的に使われています。
歌詞の一部・・The future is not ours to see・・(私たちには未来を知る由がない・・)が、
予測不可能なストーリー展開を暗示しています。






マラケシュの中心=ジャマ・エル・フナ広場・・。
ここでは、1年365日一日も休むことなくお祭り騒ぎが繰り広げられています。
元々ここは公開処刑場でした。



かつて、砂漠を超えてやってくる旅人が最初に足を踏み入れるのがこの広場です。
彼らは、この広場で行われる公開処刑を否が応でも目の当たりにすることになります。
マラケシュは、初めての訪問者である旅人たちに公開処刑を見せ付けることによって、
この街が秩序のない無法地帯ではないことを示したのでしょう。
厳しいルールに守られた、由緒正しいオアシスであることを明示したのでしょう。

         

1990年制作のアメリカ映画「シェルタリング・スカイ」の原作者であるポール・ボウルズは、
晩年日本の雑誌社のインタビューでこんな言葉を残しています。
「私の心が喜ぶのは、アフリカにいるときだけなんだ。アフリカに暮らす人々の考え方が好きなんだ。
未来のことなど考えないほうがいい。未来に影響を与えることなんか誰にもできないんだから・・。」

1910年ニューヨーク生まれのポール・ボウルズは、1999年モロッコで没しました。





    

シネマクルーズの最終回はニューヨークです。
かつてのヨーロッパからの移民と同じ航路を
日本の豪華客船=ぱしふぃっくびいなすがたどります。
自由の女神に迎えられ、船はニューヨークへ入港します。

         








ニューヨークを舞台にした映画は数多く作られています。
その中で、今回のシネマクルーズでは「真夜中のカウボーイ」をまず取り上げました。
1969年制作のこの映画は、アカデミー作品賞に輝き、それまでのアメリカ映画の常識・・
つまり勧善懲悪・ハッピーエンドという殻を打ち破った作品として注目に値します。

          

1994年に催されたアメリカ・クラシック映画祭で再上映された「真夜中のカウボーイ」は
新しい映画ファンからも高い支持を得ました。
この映画祭の席で監督のジョン・シュレシンジャーはこんなふうに語りました。

「あの頃には、いまと違う自由があった。生き方や政治について、人々が声をあげていた。
みんなが何かに反抗していた時代だった。いまの自由とはまったく異質のものだった。」

         


また、主演のダスティン・ホフマンは同じくこの映画祭で
「ヒットを狙った作品ではなかった。いまは儲け主義に走る作品が多すぎる。」と語りました。









            



ニューヨークを舞台にした不滅の名作といえば1961年制作の「ウェストサイド物語」です。
この映画に、録音技師として参加していたナット・ボクサー氏にインタビューしました。
ボクサー氏は、コッポッラ監督の「地獄の黙示録」でアカデミー音響賞、
同じくコッポラ監督の「カンバセーション」ではカンヌで録音賞を獲得しています。

ボクサー氏は「ウェストサイド物語」制作当時を懐かしむかのように、饒舌に話をしてくれました。
できるだけボクサー氏の言葉に忠実に訳すと

「ジョージ・チャキリス・・懐かしいな・・。
彼は役者というよりストリートキッドそのものだったよ。ダンスは最高だったな。
でもわがままで、ダンスをしながら何十メートルも進むシーンでは、
BGMを途切れさせないで欲しいという要望があり、
私たちはスピーカーを見えないところに隠すのに苦労したよ・・。」

ざっとこんな感じでした。


          

この映画の舞台でもあるニューヨークの街の名物=鉄製の非常階段があるアパートメント・ハウス・・。
この非常階段はアイアンキャストと呼ばれ、かつて大火によって多くの犠牲者を出したことの経験から、
一挙に広がった建築スタイルであるといわれています。





   



1994年の名作「レオン」・・その幼い子供=マチルダが住む家として
チェルシー・ホテルの内部が使われました。

チェルシー・ホテルは、マニアックなニューヨークの名物・・数多くの芸術家に慕われたホテルです。
古くは劇作家のアーサー・ミラーやトマス・ウルフなどの常宿で、
アーサー・C・クラークはこのチェルシー・ホテルで「2001年宇宙の旅」を執筆しました。

1980年代絶頂の頃のマドンナもここの常連客でした。
2002年には俳優のイーサン・ホークが初めての監督作品にこのチェルシー・ホテルを選んでいます。
作品名も「チェルシー・ホテル」です。



映画「レオン」のラストシーンでマチルダがレオンの愛した鉢植えを土に還しに行くシーンがあります。
そのシーンで使われたのがノスタルジーあふれる「クイーンズボロー・ブリッジ」です。
マンハッタンとイーストリバーの中洲=ルーズベルト島を結んでいます。




     

長い間ニューヨークのランドマークのひとつであった「プラザ・ホテル」・・。
映画「追憶」や「ホームアローン2」などたくさんの映画の舞台ともなった名門ホテルですが、
最近これを取り壊して住宅用マンションにつくりかえられることが決まりました。

セントラル・パークを中心にアッパーと呼ばれる地域に建つ
「ダコタ・アパートメント・ハウス」・・。
かのジョン・レノンが射殺された場所として有名です。







   
ハーレム地区にある教会では、毎週日曜日ゴスペルを歌い、
黒人社会独特のミサが行われます。

新旧が混在し、それぞれが相乗し合いいい波動を投げかけている街・・。
ニューヨークは、私にとってそんな印象の街です。
何度訪れても新しい発見がある街・・。
ニューヨークは奥深い街です。

私たちがシネマクルーズの撮影取材を行った2003年、
取材対象でもあった偉大な映画人がこの世を去りました。
グレゴリー・ペック、キャサリン・ヘップバーン、
そして「真夜中のカウボーイ」のジョン・シュレシンジャー監督・・。
偉大な先人に敬意を表し、冥福を祈ります。