山中鹿之助 首塚(福山市鞆の浦)

備後の鞆の浦は、古代より瀬戸内の良港として栄えた。

山中鹿之助の首実検がこの地で行われ、首塚がある。



天正4年(1576年)、義昭は備後の鞆に移り、毛利輝元の庇護を受け、亡命政権を樹立。
この地は、1336年(建武3年)2月29日,九州へ向かって落ち延びる途上、
足利尊氏が光厳上皇より新田義貞追討の院宣を受けた場所であった。


そのことが、1336年(建武3年)5月25日湊川の戦いの勝利へとつながった。




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兵庫県佐用町上月城   山中鹿之助追頌之碑

備中高梁 山中鹿之助の墓



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作成者 藤本典夫