春から夏にかけて、イネ科の雑草が至る所に目立つようになる。小さいものはスズメノカタビラやスズメノテッポウ、大きなものはヨシやマコモまで、実に様々な種が道端、荒れ地、湿地を覆う。日本古来の種に加えて、牧草や芝草から雑草の仲間入りをしたものも沢山ある。世界的な観点からも、イネ科植物は被子植物の中で最も繁栄している植物群であるようだ。現在は地球上に1万種以上のイネ科植物が生存し、熱帯から温帯まで拡がり、またサバンナやステップのような、広大な草原を作っている。
最初に被子植物が地球上に現われたのは14億年前だったと考えられ、また、単子葉植物と双子葉植物が分かれたのは、被子植物の進化の始めの頃であるとされているが、単子葉植物の1科であるイネ科植物が現われるのはそれよりずっとのちの、6億5千万年から5億年前であったと推定されており、植物の中では非常に進化したものの一つである。このイネ科植物の出現と、それに続く多様化は、はるかのち(20〜30万年前)に生まれてきた人類(ホモ・サピエンス)に多大の恩恵を与えることになった。人類は、おびただしい種類のイネ科植物の中から、食糧、飼料、その他さまざまな用途に役立つ植物を選び出し、作物に育成していった。人類が今日の文化を作り上げることのできた要因はさまざまあるけれども、イネ科植物を利用し得たことは、その大きな要因の一つだったと考えられる。
イネ科植物が人類にとって最も重要なのは、いうまでもなく食糧としての穀物である。イネ科植物は人が栽培した最初の作物であり、現在では世界中の人類が摂取する炭水化物の52パーセントはイネ科の穀物からのものであると推定されている(K.J. Willis and J.C. McElwain "The Evolution of Plants" Oxford University Press 2002より引用)。穀物として利用される植物は、穂にたくさんの花をつけ、それぞれの花が重複受精によって実をつけ、成熟した穀粒になる。穀粒は胚と胚乳から成るが、胚乳は胚よりずっと大きい。胚乳は、食糧として最も重要なデンプン、タンパク質および脂質をバランスよく含む。コムギ、イネおよびトウモロコシは食糧として最も利用され、また、オオムギ、ライムギ、エンバク、ソルガム、キビ、アワ、ヒエ、テフ(エチオピア)も穀物として利用されてきた。マイナーな穀物としては、トウジンビエ、シコクビエ、ワイルドライス、ハトムギなどもある。一部の穀物は、酒や酢の原料としても重要である。
穀物ではないが、サトウキビは人類にとってきわめて重要な作物である。砂糖の原料としてのみならず、近頃は石油の代替エネルギーとして利用する燃料エタノールを生産するための原料としての利用が拡大しつつあり、そのプラスの効果とともに、砂糖の生産力の低下や、果樹や他の作物を栽培していた土地のサトウキビ畑への転用による特定の農作物の不足や価格の高騰などのマイナス面が現実の問題として浮かび上がってきたとも聞く。いずれにせよ、サトウキビの経済的価値はますます上がってゆくであろう。
タケやササもまた、イネ科植物である。われわれは、春の味覚としてモウソウチクの筍を好んで食べる。また、チシマザサ(ネマガリダケ)の筍は実に珍味である。メンマというのは中国のマチク(麻竹)の筍を発酵させたものであり、わが国でもラーメンの具として欠かせないものである。さらに中国では、黒穂菌がついて肥大したマコモの芽、すなわち菰角(こもづの)を食用にする。菰角は、近頃マコモダケとよんで、わが国でも栽培されているようである。このような特殊な食品としてイネ科植物が利用されている例が他にもあるかもしれない。いろいろと知りたいものである。
イネ科植物の一部は牧草として、また芝草として重要な役割を果たしている。牧草としてオーチャードグラス(カモガヤ)、チモシー(オオアワガエリ)、イタリアンライグラス(ネズミムギ)、ケンタッキーブルーグラス(ナガハグサ)、メドウフェスク(ヒロハウシノケグサ)、トールフェスク(オニウシノケグサ)、バヒアグラス(アメリカスズメノヒエ)、スーダングラス、ローズグラスなどなどがつくられ、芝生にはシバやコウライシバなどの芝や、各種の西洋芝(クリーピングベントグラス、コロニアルベントグラス、ケンタッキーブルーグラス、トールフェスク、ペレニアルライグラス)が利用されている。今はほとんどなくなったが、茅葺きの屋根には、ススキやオギ、その他大型のイネ科植物が使われた。タケは建築素材や各種の細工物の素材等、数えきれないほど様々な用途で使用されている。マダケでつくる尺八は自然の素材をそのままのかたちで利用したユニークな楽器で、その音色にも自然を感じることができる。筍の皮はおにぎりや棒寿司を包むのによく使われ、ササの葉は笹団子、笹飴、ちまきなどに利用される。タケやササは中国やわが国の庭園にもよく似合う。ヨシ(アシ)はよしずなどの材料に使われるほか、湖沼の魚類、鳥類、小哺乳類の保護になくてはならない植物である。シナダレスズメガヤは、道路や造成地の土どめに使う。このように考えると、われわれはイネ科植物から絶大な恩恵を得ていることが分かる。
イネ科は、被子植物の単子葉植物の中で、カヤツリグサ科とともに最も進化した植物であるが、何故かカヤツリグサ科の方は、あまり人類の役にたっていない。古代エジプト人が紙の原料としたパピルス、日本人が蓑笠の材料にしたカサスゲ、通経・促乳のための生薬(三稜)の材料ウキヤガラの塊根、花壇を飾る観賞用のスゲなどしか思いつかない。観賞用としても、竹や笹を入れると、断然イネ科の方が優勢である。カヤツリグサ科で食糧になっているものは、オオクログワイの塊茎ぐらいであろうか。イネ科もカヤツリグサ科もともに一花に一粒の果実がつくのだけれど、カヤツリグサ科の方はなぜ穀物になる種が出てこなかったのであろうか。カヤツリグサやスゲの実がどんな味がするのかさえ、聞いたことがない
こんなことを書いてみたが、イネ科植物の有用性について、私の知るところはごく限られた範囲にしかない。世界の民族がイネ科植物をどのように利用してきたか、もっと沢山知りたいものである。
イネ科作物は、それぞれの国、それぞれの地方において、農村の原風景の主要な要素を構成している。広大な北米のトウモロコシ畑、熱帯のサトウキビ畑は、実際に見たことはないが、想像はできる。ヨーロッパのコムギやライムギ畑は絵や詩歌などによく現われるので、やはり想像に難くない。もちろんわが国では、水田のイネである。公園や庭園の樹木や各種の花を配した風景は、人工的要素と自然的要素が相俟って、われわれの目を楽しませてくれるが、イネが揃った水田は、公園や庭園のような自己主張は全くないけれども、それらに勝るとも劣らぬ美しさがある。みずみずしい早苗が揃う春、青々と茂り、花の香りに満たされた夏、黄金に輝く実りの秋、どの時期もイネは美しい。この美しさは、イネという植物がもつ美しさの他に、稲作の歴史と伝統の深いかかわり合いが作り出したものであろう。
イネ科植物に関して、もう一つ書いておきたいことがある。イネ科植物のうちでも穀物は食糧としての重要さから、作物の育種における最も重要な対象作物であり、育種の基礎としての遺伝学の主要な研究材料にもなった。わけても北米の研究者を中心とするトウモロコシの研究は、植物遺伝学、とくに遺伝子の科学の分野で極めて多くの知見をもたらした。中でもバーバラ・マクリントック博士の「動く遺伝子」の発見は、20世紀の生物学における最大の発見の一つであったと思う。また、木原均博士は、コムギおよび近縁種の細胞遺伝学的分析の結果に基づいて、ゲノムの概念を確立した。イネに関して最近の最も重要なトピックは、わが国のイネゲノムプロジェクトチームによってイネの全ゲノムの塩基配列が明らかにされたことである。これによって、イネ科植物間の遺伝的な関係が明確になり、シロイヌナズナでの成果と相俟って、植物の総合的な遺伝子およびゲノム研究は大きく飛躍することになった。私自身は、ごくわずかにイネ科植物を材料とする研究に携わったことがあるだけだが、イネ科植物におけるこんな研究の歴史を見聞できたことは幸いであった。
(2007.7.2)
アワ (Setaria italica (L.) P. Beauv.) subfamily: Panicoideae; tribe: Paniceae
イネ (Oryza sativa L.) subfamily: Ehrhartoideae; tribe: Oryzeae
エンバク (マカラスムギ; Avena sativa L.) subfamily: Pooideae; tribe: Aveneae
オオムギ (Hordeum vulgare L.) subfamily: Pooideae; tribe: Triticeae
キビ (Panicum miliaceum L.) subfamily: Panicoideae; tribe: Paniceae
コムギ (Triticum aestivum L.) subfamily: Pooideae; tribe: Triticeae
サトウキビ (Saccharum officinarum L.) subfamily : Panicoideae; tribe: Andropogoneae
シコクビエ (Eleusine coracana (L.) Gaertn.) subfamily: Chloridoideae; tribe: Eragrostideae
ソルガム (Sorgham bicolor (L.) Moench) subfamily: Panicoideae; tribe: Andropogoneae
チシマザサ (Sasa kurilensis (Rupr.) Makino & Shibata) subfamily: Bambusoideae; tribe: Bambuseae
テフ (Eragrostis tef (Zuccagni) Trotter) subfamily: Chloridoideae; tribe: Eragrostideae
トウジンビエ(パールミレット) (Pennisetum glaucum (L.) R. Br.) subfamily: Panicoideae tribe: Paniceae
トウモロコシ (Zea mays L.) subfamily: Panicoideae; tribe: Andropogoneae
ハトムギ (Coix lacryma-jobi L. var. ma-yuen (Rom. Caill.) Stapf) subfamily: Panicoideae; tribe: Andropogoneae
ヒエ (Echinochloa esculenta (A. Braun) H. Scholz) subfamily: Panicoideae; tribe: Paniceae
マカロニコムギ (Triticum turgidum L. subsp. durum (Desf.) Husn.) subfamily: Pooideae; tribe: Triticeae
マコモ (Zizania latifolia (Griseb.) Turcz. ex Stapf) subfamily: Ehrhartoideae; tribe: Oryzeae
マチク (Dendrocalamus latiflorus Munro) subfamily: Bambusoideae; tribe: Bambuseae
モウソウチク (Phyllostachys edulis (Carriere) J. Houz.) subfamily: Bambusoideae; tribe: Bambuseae
ライムギ (Secale cereale L.) subfamily: Pooideae; tribe: Triticeae
ワイルドライス (Zizania aquatica L. & Zizania palustris L.) subfamily: Ehrhartoideae tribe: Oryzeae
アフリカヒゲシバ(ローズグラス) (Chloris gayana Kunth) subfamily: Chloridoideae; tribe: Cynodonteae
アメリカスズメノヒエ(バヒアグラス) (Paspalum notatum Flüggé) subfamily: Panicoideae tribe: Paniceae
オオアワガエリ(チモシー) (Phleum pratense L.) subfamily: Pooideae; tribe: Aveneae
オニウシノケグサ(トールフェスク) (Festuca arundinacea Schreb.) subfamily: Pooideae; tribe: Poeae
カモガヤ(オーチャードグラス) (Dactylis glomerata L.) subfamily: Pooideae; tribe: Poeae
ギニアキビ(ギニアグラス) (Megathyrsus maximus (Jacq.) B. K. Simon & S. W. L. Jacobs) subfamily: Panicoideae tribe: Paniceae
スーダングラス (Sorghum xdrummondii (Steud.) Millsp. & Chase) subfamily: Panicoideae; tribe: Andropogoneae
ナガハグサ(ケンタッキーブルーグラス) (Poa pratensis L.) subfamily: Pooideae; tribe: Poeae
ネズミムギ(イタリアンライグラス) (Lolium multiflorum Lam.) subfamily: Pooideae; tribe: Poeae
ヒロハウシノケグサ(メドウフェスク) (Festuca pratensis Huds.) subfamily: Pooideae; tribe: Poeae
ホソムギ(ペレニアルライグラス) (Lolium perenne L.) subfamily: Pooideae; tribe: Poeae
オニウシノケグサ(トールフェスク) (Festuca arundinacea Schreb.) subfamily: Pooideae; tribe: Poeae
クリーピングベントグラス (Agrostis stolonifera L.) subfamily: Pooideae tribe: Aveneae
コウライシバ (Zoysia tenuifolia Willd. ex Thiele) subfamily: Chloridoideae; tribe: Cynodonteae
コロニアルベントグラス (Agrostis capillaris L.) subfamily: Pooideae tribe: Aveneae
シバ (Zoysia japonica Steud.) subfamily: Chloridoideae; tribe: Cynodonteae
ナガハグサ(ケンタッキーブルーグラス) (Poa pratensis L.) subfamily: Pooideae; tribe: Poeae
ホソムギ(ペレニアルライグラス) (Lolium perenne L.) subfamily: Pooideae; tribe: Poeae
夕顔といえば、まず頭に浮かぶのは源氏物語の「夕顔」と名付けられた女性である。京都の五条界隈にすむ女性の家を囲む塀にからみつく蔓に咲いた白い花からに因んでいる。夕顔の女はとりたててすぐれたところはないのだが、ほっそりした、可憐でいじらしい女性である。その風情に源氏の心はとらわれてしまう。しかし、夕顔は夕べに開き、朝にはしぼんでしまう一夜の花である。この花と同じように、女は一夜にしてはかなく死んでしまう。ただし夕顔の花は自然にしぼむのだが、夕顔の女は女の姿をした妖怪にとり殺されてしまったのである。
先日、本棚を整理していたところ、若い頃読んだ中河与一の小説「天の夕顔」がでてきた。ちょっと懐かしく、何十年ぶりかに読んで見た。主人公の「わたくし」が、年上の人並みすぐれた美人の人妻に激しい恋をする。男は人妻の面影を絶とうとして若い娘と結婚するが失敗し、さらに人妻が忘れられず、恋慕を断ち切るため飛騨の山中にこもるが、それも無駄に終る。最後の逢引で、人妻から5年待ってといわれたが、約束の日の前日に人妻からの遺書を受取るという筋である。今回読んでみて、多分年のせいと時代のせいで、若いころ読んだときの感動はなく、「天の夕顔」とは何だろうということが、もっぱら気になった。小説の最後に、男は、あの人が嘗て若々しい手で摘んだ夕顔の花を花火として打ち上げることを思いつくことで終わっている。「わたくし」あるいは作者にとって、夕顔は純粋で無垢な美しい女性のイメージの表象なのであろうか。
夕顔は夕方開き、朝にはしぼむはかない花である。この純白で清楚な花をつけるユウガオは、じつはウリ科植物 (Lagenaria siceraria Stand. var. hispida, Hara)で、花と対照的にまるい大きな、がさがさした葉をつける。その実は大きく、重く、とても恰好が好いとはいえない。果肉はかんぴょうの原料である。実の皮はきわめて堅いので、皮を残し、中をくり抜いてふすべ細工がつくられる。されば、清少納言は枕草子の中で述べている。「夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、言ひ続けたるにいとをかしかりぬべき花の姿に、実の有様こそ、くちおしけれ。などて、さほどはた生ひいでけむ。ぬかづき(「ホオズキ」のこと)といふ物のようにだにあれかし。されどなほ夕顔といふ名ばかりは、をかし」。まさに、清少納言は、現代人にも通じるすばらしい自然観察者である。枕草子を読むと、かなり高慢ちきな女性のイメージであるが、夕顔をこのように見る清少納言は、私にとってはアイドル的存在である。
近頃は、ガーデニングブームであり、また自然愛好者が増え、各地で自然観察会が催されている。この傾向がなによっているのかを現代の社会のあまり好ましいとはいえない状況や自然環境の変化への関心などと関連して考察するならば、一文ができるかも知れないけれど、おいそれとはいかない。ただ、すべての人に当てはまるとはいえないが、多くの人には、植物や美しい昆虫、おもしろい生物に潜在的な関心があると思う。それは、昔も今も変わらない。枕草子は、それをよく表している。植物や生物、自然の愛好者は、清少納言と同様、対象物を「いとをかし」と感じることから始まるのではないかと思う。ガーデニングの愛好者は、どの植物が「いとをかし」いか、どういうふうに配置し、四季を通じて咲き分けさせるのか最も「いとをかし」くなるかがわかってくるのだろう。自然観察にいそしむ人は、野にある「いとをかし」い植物を見つける。自然観察に熱中すると、「すさまじ」かった植物もだんだん「いとをかし」くなることもあるだろう。
もちろん、清少納言は、自然観察だけでなく、知識人であるとともに、人間観察にも優れた才能を発揮する。現代社会に呼んでみたい女性である。
最後につけ加えるが、中河与一の「天の夕顔」は、ウリ科のユウガオでなく、ヒルガオ科のユウガオ(正式にはヨルガオ、Ipomoea alba L.)の可能性もある。このヨルガオの方は熱帯アメリカ原産でわが国へは明治時代に渡来したという。こちらは、匂いたつ夜の美女の感じである。私はウリ科のユウガオの方が似合っていると思うが、読者によっては「天の夕顔」をヨルガオにイメージするかも知れない。(2007.7.8)