草にも木にも花が咲くけれど、樹木の花と草の花を見るとき、なにか基本的に違った感覚が働くように思える。樹木には草にない重みを感じるが、そのことだけでなく、花を見るとき、目を上げるか、下げるかの違いが原因しているのかもしれない。草の花は、間近にあって挨拶してくれる親しい存在である。樹木の花は仰がねば見えないし、手も届かぬところに咲く。樹木の花を見上げるとき、届かぬものへの憧れのようなものを感じることがある。木の花としては珍しい紫色の桐の花もそのような花の一つである。
桐は、日本人にとって特別なものであった。鳳凰と桐と竹の文様は、嵯峨天皇が812年に黄櫨染(こうろせん)の御袍(ぎょほう)に使われ、その後も桐文様は皇室でもずっと使われてきたが、足利尊氏が後醍醐天皇に許可されて桐文を使うようになり、また織田、豊臣もこれを使っている。桐文には葉の上におかれた花序のつぼみの数によって、五三、五七、九七などがある(北村四郎選集氈@保育社)。明治時代には、天皇が任命した官吏、すなわち勅任官の大礼服の上着に五七の桐が用いられ、現代では、政府のいろいろな行事の折に、文様として五七の桐が使われている(首相官邸のホームページ)。日本国のパスポートの顔写真の近くには、小さく五七の桐が印刷されている。桐はなにげなく、桜とともに、日本のシンボル植物になっているのである。
桐をなぜ日本人が特別に好むようになったかは興味がある。紫は日本人が高貴に感じる色であり、枝を広げ、初夏に紫の花を一杯につけた桐の木は、古代より日本人の心をとらえてきた。そういう背景があって、さらに、梧桐に宿り、竹の実を食べるという鳳凰に関する中国古代の伝説が伝来した。そして、鳳凰、竹、桐が組み合わせて、初期の桐の文様が創作された。しかし実際には中国の故事にある鳳凰の宿る梧桐とは青桐のことであって、桐ではないというのが定説であり、鳳凰と桐を組み合わせた文様は、古代日本での取り違えによって生じた創作と思われる。
枕草子には「桐の木の花、紫に咲きたるは、なおをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木(ことぎ)どもとひとしう言うべきにもあらず。唐土にことことしき名つきたる鳥(鳳凰のこと)の、選(え)りてこれにのみ居るらむ、いみじう心異(こころこと)なり。まいて、琴に作りて、さまざまなる音(ね)のいでくるなどは、をかしなど、世の常に言うべくやはある、いみじうこそめでたけれ。」とある。このころ、すでに桐材から琴を作っていたということはおもしろい。万葉集には、大伴旅人が藤原房前に送った琴に添えた歌があるが、この琴は梧桐、すなわち青桐でつくられたとある。これも実際は青桐ではなくて桐であったという解釈もあるようである(万葉植物事典 北隆館、週刊朝日百科「世界の植物」朝日新聞社)。桐材は古くから現在にいたるまで建築、家具などの優秀な素材である。
文学の中で、桐に因んで一番に思い浮かぶのは、源氏物語の最初に現れる光源氏の母、桐壺の更衣。身分はさほど高くないが、時の帝(桐壺帝)に寵愛されたため、女御たちに妬まれ、早世した美女である。庭に桐が植えられている桐壺とよばれた淑景舎(しげいしゃ)を控え場所としていたため、桐壺の更衣とよばれたわけで、直接桐の木や花と関係があるわけではないけれど、桐の花は、この女性の雰囲気をよく表していると思う。これは、藤壷(飛香舎 ひぎょうしゃ)の庭の藤の花と対照的である。藤の花もまた高貴な紫であるが、桐の紫とはまったく雰囲気が異なっているように思う。飛香舎に住む藤壷の女御は、桐壺帝に愛されて中宮(藤壷中宮)となる一方、光源氏に慕われて不義の子(後に冷泉帝)を産む。藤の花のように華やかな女性であるが、罪の意識にさいなまれる悲劇の中宮でもある。
その後、桐は文学に何度も登場し、その数は枚挙にいとまがない。ただし、桐といっても桐を指しているのか、青桐を対象にしているのか、はっきりしない場合がしばしばある。芭蕉の句「わが宿のさびしさおもへ桐一葉」、また有名な句として「桐一葉落ちて天下の秋を知る」の桐は、青桐とも推定されている(牧野富太郎植物記5 あかね書房)。秋になって大きな葉がポロポロ落ちるのは青桐だからという理由である。それでも、桐一葉が青桐でなく、桐の葉であってもおかしくない気がする。「桐一葉落ちて・・・」の方は、漢の書「淮南子(えなんじ)」の説山訓の中の「見一葉落、而知歳之将暮(一葉の落つるを見て、歳のまさに暮れんとするを知る)」に由来する(万葉植物事典 北隆館)とあるから、やはり青桐であろうか。青桐というのは、淡黄色の小さな花が群がって咲き、あまり美しいとは思えない。木肌はぬめっとした緑色で、夏は野球のグローブみたいな大きな葉がこんもり茂って日陰をつくるが、あの大きな鳳凰がばさばさと飛んできて止まる姿を想像すると何かグロテスクなイメージができあがる。青桐 (アオギリ Firmiana simlex (L.) W. F. Wright) はアオギリ科に属し、キリとは縁のない植物である。
ところで、桐の公式の和名はキリ(学名は Paulownia tomentosa (Thunb.) Steud.)であり、 広辞苑には、ゴマノハグサ科の落葉高木(この科唯一の木本)とある。実際多くの植物学の書や図鑑には、キリはゴマノハグサ科の植物となっている。しかし果実の形からノウゼンカズラ科に分類されることもある。一方、近年、遺伝子のDNAの塩基配列に基づいて生物の分類体系を見直そうとする動きが系統分類学者の間で活発になった。被子植物でのこのような分子系統分類は、主としてAngiosperm Phylogeny Group (APG)という国際組織によって推進され、APGによる分類体系は1998年に最初のものが公開され、2003年には改訂されたものがAPG IIとして公開されており、更に現在も研究が進められている(APG An ordinal classification for the families of flowering plants. The Annals of the Missouri Botanical Garden 85: 531-553. 1998; APGII An updated classification of the Angiosperms. Botanical Journal of the Linnean Society 141:399-436. 2003; Soltis, D. E. and Soltis, P. S. The role of phylogenetics in comparative genetics. Plant Physiology 132: 1790-1800, 2003)。このあたらしい技術によって、キリは、系統樹上で、ゴマノハグサ科やノウゼンカズラ科の植物とは異なる独立のクレード(clade 分岐群)に位置付けられ、キリ科 (Paulowniaceae)という新しい科に属することになった (Richard, G. et al. Disintegration of the Scrophulariaceae. American Journal of Botany 88: 348-361, 2001)。
このことを私はひそかに喜んでいる。麗人にも似たあの美しい紫の花を咲かせるキリは、ゴマノハグサ科やノウゼンカズラ科の植物ではなく、キリ科を代表する植物として、最も相応しいと思う。あまりサイエンティフィックな感想とはいえないけれど。
(2007.8.26)
野草好きの人はたくさんいるけれども、オオバコ (Plantago asiatica L.)が特に好きだと言う人は非常に少ないのではないかと思う。牧野富太郎博士は、次のようにオオバコを紹介している。「道端にはえるふつうの雑草オオバコは、東アジア各地にひろく分布している植物で、漢名は車前(しゃぜん)といいます。ふみかためられた地面や道路などにはえる性質があります。中国でいう車前は、つまり車の通るような道にはえているからです。」(牧野富太郎植物記2 (株)あかね書房)。
本当に、今でもアスファルト舗装していない農道には、車の轍の間にびっしりとオオバコが地面を覆っているようなところがある。こういう道には、夏の終り頃から秋にかけて、カゼクサやチカラシバが道の端に沿って群がり生え、くびが緑や茶色のトノサマバッタが足もとからばたばた飛びあがる。子どものころからなじんできた季節の風景である。オオバコの季語は秋、オオバコの花は夏とある(広辞苑)。花は春から秋まで見られるので、季語とは植物側からすれば変なものであるが、オオバコがオオバコらしく繁茂して、大きく見えるのはやはり秋かも知れない。
オオバコの種子は、車前子(しゃぜんし)といい、漢方の薬になっている。現在も販売されていて、利尿、下痢止め、咳止め、消炎その他いろいろ効用があるらしい。春は若い葉が食べられるそうで、種子は、薬になることを思えば、オオバコも見捨てたものでないような気がする。それに、子どもの野の遊びに、オオバコの花の茎を使った草ずもうというのがある。根もとから摘んだ2本の茎を交叉させてそれぞれの茎の両端をもって引っ張り合い、真ん中から切れたほうが負けである。別にオオバコでなくてもよいのだが(松葉など)、何故か、草ずもうといえばオオバコを考える。
オオバコの花はなかなか面白い。花茎の先が穂状になり、多数の花が集合している。花を包んでいるのはがくで、花冠はほとんど目立たない申しわけみたいなもの。筒型で先端が4つに分かれている。花は両性花であるが、雌しべの方が先に熟す雌しべ先熟である。雌しべが受粉可能な時期には、雄しべは未熟で、花粉を放出しない。このようにして、オオバコの花は、他の個体からの花粉によって受精するのである。オオバコの花はとても美しいとはいえない。受粉は虫媒でなく、風媒によっている。オオバコの祖先種も虫を惹き付ける花をもっていたのだろう。しかし、進化の果てに、おそらく種子植物の始祖がそうであったような、虫を頼りにしない風媒花をもつ植物となってしまった。
オオバコはまた、自分なりに種子の伝播法を考えている。種子は水に濡れると粘り気が出て靴の裏や車輪などにくっつくという仕掛けである。そして、どこか、道の途中で靴の裏や車輪から離れる。なるほど、オオバコは道端に多いという訳だ。人間様の行動をうまく利用して子孫を伝播させるとは、恐れ入った植物である。オオバコ属の学名Plantagoは、「足の裏」と「運ぶ」を組み合わせたものだそうだ(週刊朝日百科「世界の植物」)。この学名をつけたリンネは、オオバコ属のこの知恵を見抜いていたのであろう。別の見方をすれば、古来より、旅人たちは、長い道のりにオオバコという足跡を残してきたのである。
オオバコはずっとオオバコ科 (Plantaginaceae)の植物として分類されてきた。オオバコ科の植物はみな、花のかたちに共通性をもつが、他の植物の花とはずいぶん違っている。したがって、分類上は、他の植物とは一線を画したかたちになっていた。しかし、最近は遺伝子の塩基配列の比較により、被子植物の新しい分類体系 (APG II [2003] Botanical Journal of the Linnean Society 141, 399-436)が成立し(まだ未完成であるが)、オオバコ科の植物に類縁関係のある植物が分かってきた。最も近縁なのが、ゴマノハグサ科に属していたクワガタソウ属 (Veronica) の植物である (Olmstead et al. [2001] American Journal of Botany 88)。クワガタソウ属の植物といえば、例のイヌノフグリやオオイヌノフグリを思い出す。あのオオバコと花のきれいなオオイヌノフグリとはどう見ても似ていない。やはり花の美しいジギタリスやキンギョソウとも類縁関係がある。そこで、オオバコと、これらの植物を含む一つの科が作られた。Olmsteadら(2001)は、この科にVeronicaceae (クワガタソウ科 ) の科名を与えた。しかし、APG II (2003)では、Veronicaceaeという本来存在しなかった科名でなく、従来から存在したPlantaginaceae(オオバコ科)という科名を採用している。現在は、VeronicaceaeとPlantaginaceaeはシノニムになっているようだ。
そうすると、あの変なオオバコの花も、もともとは、オオイヌノフグリやジギタリスやキンギョソウのように美しい花だったのであろう。いろいろ考えると、オオバコもなかなか味わいの深い植物である。
(2007.10.19)