浅茅と茅花

日本文学のなかによく現われる荒れ地のイネ科植物に、ススキ、オギとチガヤがある。どれも荒れ地に生えるごく普通の植物であるが、風土になじみ、ときにはなつかしい風景を作り出す。ススキやオギについてはまた別の機会に書いてみたいが、ここではチガヤについて気がついたことを述べることにする。

「ちがや」は「ち」とも云い、「茅」と書く。古典文学の中では、「浅茅(あさぢ)」という語も使われる。例えば「印南野(いなみの)の浅茅押しなべさ寝る夜(よ)のけ長くしあれば家し偲はゆ」(山部赤人 万葉集);「家にして吾は恋ひなむ印南野の浅茅が上に照りし月夜(つくよ)を」(よみ人しらず 万葉集)。「浅茅」は広辞苑によれば、「まばらに生えたチガヤ、または丈の低いチガヤ」と説明されているが、いろいろ読んでみると、浅茅はチガヤの文学的な表現と考えていいように思う。

源氏物語の「桐壺」の巻には、帝が寵愛した桐壺更衣が亡くなったあと、桐壺の母が、帝から遣わされた靱負の命婦の訪問を受け、命婦の歌「鈴蟲の聲のかぎりを盡(つく)してもながき夜あかずふる涙かな」に答えた歌「いとどしく蟲の音(ね)しげき浅茅生(あさぢふ)に露おきそふる雲のうえ人」がある。浅茅生の宿で桐壺を偲び、泣き悲しむ様子が鮮明に表れている。蟲の音は命婦や桐壺の母のなげきの声であり、露は涙である。帝は、月の面白い夜も桐壺が忘れられず、その母を思いやって、「雲のうへも涙にくるる秋の月いかでかすむらん浅茅生のやど」とよむ。

前回も引用したが、源氏物語の「蓬生(よもぎふ)」の巻には、末摘花の邸宅の荒れ果てた庭の状態が「かかるままに、浅茅は、庭の面(おも)も見えず、しげき蓬(よもぎ)は軒を争ひて生(お)ひのぼる」と描写されている。ヨモギとともに、チガヤのようなイネ科雑草が密に生い茂っている情景である。浅茅という語には、孤独で寂しい響きがある。「蓬生」と似た情景は、後代になって、雨月物語の一章、「浅茅が宿」(上田秋成)に現われる。

下総の国真間の里(現在の市川市真間)に住む勝四郎という男は農業を厭うて、先祖から受け継いだ田畑を売った金で絹を買い、妻の宮木(みやぎ)の反対を押し切って、絹を高値で売るために京に向かう。京にて金儲けをするが、帰途木曽山中で盗賊に金品を残りなく奪われ、また関東は享徳(15世紀中頃)の戦乱(南総里見八犬伝でもこの乱が物語の背景になっている)の最中(さなか)で関を通ることができず、やむを得ず上方へ引き返す。勝四郎は、近江の国で病気になり、癒えたのちも京や近江で過ごすうちに、7年がたち、ふと妻が恋しくなり、戦火に荒れ果てた真間の里へと戻ってきた。そして人の気配のない浅茅が原の中に、一軒家を見つける。雷にくだかれた松の木をみて、そこは紛れもないわが家であることを知る。そしてそこに妻の宮木が夫の帰りを待っていた。愛する妻のそばに熟睡し、そして明け方目覚めたとき、勝四郎が見たものは・・・・。「浅茅が宿」は貞操な妻の寂しく、悲しい物語である。

明るいチガヤに話を転じよう。チガヤのことをツバナということがある。子供の頃、父に教えられて、春、ツバナの茎を開いて、まだ外に出ていない穂を抜き取って、口に入れて噛んだことがある。うす甘い味だったと思うが、正確には憶えていない。大人になってからは試したことはない。ツバナを食べることは万葉の昔から行われていたようで、紀女郎(きののいらつめ)が大伴家持に送った歌に「戯奴(わけ)がためわが手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥えませ」(あなたのために春の野に出て手も休めずに抜いたつばなです。どうぞ食べて太って下さいな)という歌がある。家持の返歌は「わが君に戯奴は恋ふらし賜りたる茅花を食(は)めどいや痩せに痩す」(私、あなた様に恋しているらしいのです。戴いたつばなを食べても痩せるばかり)。恋とダイエットの相乗効果。

チガヤは種子とともに長い地下茎を形成して増え、チガヤの草原をつくる。チガヤは地上50〜70センチほどの花軸に、円錐花序をつける。絹毛は、小穂の基盤から生じ、12ミリメートルほどの長さになる。この毛を利用して、種子が風にのって飛散してゆく。

チガヤと言えば、秋の浅茅が原よりも、白い穂が風に波打って光る春のチガヤの草原や丘の方が明るくていい。金子みすずの童謡「つばな」からは、そんな春のチガヤの様子が想像される。「つうばな、つばな、白い、白いつばな。  夕日の土手で、つばなを抜けば、ぬいちゃいやいや、かぶりをふるよ。  つうばな、つばな、白い白いつばな。  日ぐれの風に、飛ばそよ、飛ばそ、日ぐれの空の、白い雲になれ。」

チガヤ (Imperata cylindrica (L.) P. Beauv.)は、旧世界の熱帯および温帯に広く分布し、また北米にも帰化している。見てきた通り、日本にも古くから存在し、秋の浅茅生の原や、春のつばなの丘のように、わが国の原風景を形造ってきた植物の一つである。チガヤは繁殖の旺盛な植物だから、絶滅危惧種になるようなことはないとしても、近頃、チガヤと同じような環境で育つ帰化植物、メリケンカルカヤが猛烈な勢いで勢力を拡大しつつあり、チガヤとの陣取りが始まりそうな気がする。どうもメリケンカルカヤの勢いが強過ぎて、手のつけようがなさそうだが、ここは是非、チガヤにがんばってもらいたいものである。
(2008.2.13)

つばな

白い、白いつばな (2008.6.9 添付)

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