私は長年にわたり、トマトにモザイク病を引き起こすトマトモザイクウイルス(ToMV)と、トマトに近縁の植物からトマトに導入されたToMVに対する抵抗性遺伝子の研究を行ってきた。私の最もなじみの深かった植物なので、このノートはトマトから始めることにする。
トマトは中南米のメキシコ、チリ、ペルーなどアンデス地方が原産地で、トマトの近縁種もこれらの国に分布している。トマトが栽培されたのは、メキシコと考えられている。食用のトマトはメキシコから16世紀前半にイタリーに入り、ヨーロッパで広く栽培されるようになった。北米では、トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson) (1743-1809)が、アメリカ合衆国第3代大統領になる以前から、バージニア州モンティセローの自宅の菜園にさまざまな野菜とともにトマトを作ったことを記録している。この時代には、トマトは有毒植物と考えられていたが、ジェファーソンは食べられることを知って、菜園に植えていたのであろう。
リンネ(Linné)(1707-1778)は、トマトをナス属(Solanum)に分類し、Solanum Lycopersiconと命名したが、イギリスの植物学者フィリップ・ミラー (Philip Miller)(1691-1771)は、トマト属(Lycopersicon)を立て、トマトをLycopersicon esculentum Mill.と命名した。Lycopersiconはオオカミの桃、esculentumは食べられる意味である。Millerはトマトが食べられる果実であることを強調したかったのかもしれない。
わが国のトマトに関する最も古い記録は、貝原益軒の「大和本草」(1708)に記載されたものとされているが、北村四郎博士は、自著の中で、1668年に狩野探幽によって「草木花写生」の中にトマトが画かれていることを指摘している。その絵を見ると、果実は赤いが、日本カボチャをさらに平べったくしたような形であり、あまり食欲をさそうようなものではなさそうである。この頃のトマトは観賞用であって、貝原益軒も狩野探幽もトマトの味は知らなかったと思う。面白いことに、アメリカの園芸学者、L.H.ベイリー(1858-1954)は、自著の中で、フランスの植物学者J.P.ドゥ トゥルヌフォール(J.P.de Tournefort) が1700年に出版した「植物学原論(Institutiones Rei Herbariae)」の中に画かれたトマトの図を紹介しており、これもまた、ひだの深い平べったいトマトである。こんな形なら、たしかに「狼の桃」というにふさわしい。ベイリーは、このようなトマトはいまアメリカ合衆国ではめったにお目にかかれないが、50年ほど前にはよく栽培されていたと述べている。ベイリーの原著は1933年に出版されたものだから、それより50年前といえば1883年、すなわち明治16年である。日本ではトマトは明治初年に開拓使によって最輸入されたので、明治10年代にはトマトは日本にもあったはずであるが、食物としてまだほとんど普及していなかった時代のことである。日本で一般にトマトが食べられるようになったのは、大正末期以後のことだそうである。他の果物や果菜と比べると、トマトが食品として扱われたのは非常に遅かったが、形や色もさることながら、あの味は、甘いとか、辛いとか、にがいとか、すっぱいとか、単純に言い表せるものではない異様な味だから、人々があの味に慣れるまで、ずいぶん長くかかったのではないかと思う。慣れてしまえば、今度は逆に病みつきになり、今では、生食はもちろん、煮たり、ボイルしたり、ソースにしたり、ジュースにしぼったり、全人類のほとんどが、トマトをごく当たり前のように食べている。近頃の生食用のトマトは、丸くて、見た目も味も上品であるが、昔の野性味のあるトマト特有のにおいや味をなつかしむ人もいる。
トマト(L. esculentum)は5つの変種に分けられる。通常のトマト(var. esculentum)の他に、ケラシフォルメ(var. cerasimorme、チェリートマト)、パイリフォルメ(var. pyriforme、ペアトマト)、グランディフォリウム(var. grandifolium)、およびヴァリディウム(var. validium)である。これらの変種はほとんど栽培型であるが、ケラシフォルメは、野生型と栽培型がある。栽培型はおなじみのチェリートマトであるが、野生型は、さらに小さな、2センチ前後の小さな実をつける。これが、現在の栽培トマトの原型であろうと考えられている。現在は、大きさや形の異なる様々なトマトが育成されている。トマト属植物のうち、L.pimpinelliforium (カラントトマト)という種は、実は小さいが、通常のトマトと非常によく似ており、果実は通常のトマトと同様、熟すると赤くなる。野生型と栽培型があるが、栽培型のものからはミニトマトとして優良な品種が作られている。L. pimpinellifoliumは、L. esculentumとの交雑でよく結実するので、通常のトマトの育種に役立っている。このほか、L.cheesmanii、L. parviflorum、L.chmielewskii、L. hirsutum、L. pennellii、L. chilenseおよびL. peruvianumなどの野生種があり、成熟した果実は、L. cheesmaniiは黄色であるが、他の種では緑のままである。これらの種と通常のトマトとの交雑は、難易はあるがいずれも不可能ではなく、トマトの育種において、果実の質、病害虫耐性などの有用形質をトマトに付与するために貴重な遺伝資源である。
冒頭に述べたように、私はかつて、トマトモザイクウイルス(ToMV)に対するトマトの抵抗性遺伝子の働きについて研究をしていた。その遺伝子というのはTm-1、Tm-2、Tm-2aという3種で、Tm-1は野生種L. hirsutumから、Tm-2とTm-2aはL. peruvianumから交雑によって栽培トマトに導入されたものである。ウイルスによるモザイク病のみならず、トマトは様々な病気に罹る。葉かび病、萎ちょう病、斑点病その他種々のカビによる病気やネコブセンチュウによる根こぶ病などがある。トマトにこれらの病気に対する抵抗性を与えるために、育種家達は、トマトにL. pimpinelliforium、L.peruvianum、L. hirsutum などの野生種からの抵抗性遺伝子をトマトに導入することを試みてきた。また、L.cheesmaniiは塩耐性や高固形成分などの形質を与える遺伝子のトマトへの導入に利用され、また、L.chmielewskiiも高固形成分遺伝子の供給源である。現在栽培されているトマト品種のほとんどは、多かれ少なかれ、これらの野生種からの遺伝子を保有している。もちろん、交雑によって抵抗性遺伝子だけを入れる訳でなく、野生種から沢山のDNAがもち込まれる。このDNAには、栽培種にとっては有害な外来遺伝子が含まれている可能性がある。育種の過程で、野生種からのDNAはなるべく取り除いて行くが、野生種から導入された遺伝子の周辺部分は、多かれ少なかれ野生種由来のものである。つまり、端的に言えば、現在われわれが食べているトマトのほとんどは、昔の純粋なL. esculentumではなく、L. esculentumのDNAに野生種のDNAが混ざった雑種である。なお、土壌から根を通じての病気の感染を防ぐために、それらの病気に抵抗性のある台木に苗を接ぎ木する。これらの台木用の品種が有する病害抵抗性遺伝子の少なくとも一部は野生種由来のものである。われわれが良質のトマトが食べることができるのは、L. esculentumの中のいろいろなタイプどうしの交雑や選抜によって食品としてのL. esculentum本来の特性が最大限に引き出された結果であるが、一見役に立たないようにみえる野生種もまた様々な遺伝子の供給源として、大いに役立っているのである。
参考文献
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