本物に出会うよろこびを貴方も!

   「原笙会(はらしょうかい)」という名前は、創設者・原笙子が敗戦後の中国大連で、ソビエト(当時)の軍人とその家族に日曜ごとに舞楽を見せていた時、上手に舞えた時に拍手と共に贈られた「ハラショウ!(素晴らしい!)オーチンハラショウ!(とても素晴らしい!)というロシヤ語を漢字に当てはめて考えられたものです。

 原笙子が「不良少女とよばれて」(ちくま文庫)に書き記した人生の折り返し点を迎えたのは、本物の舞楽との出会いがあったからです。昭和29年、元宮内庁楽師・豊昇三先生とめぐり会い、それまでに習った民間に伝わる舞楽を白紙に戻し、本物の舞楽を基本から習いなおしました。21歳の時でした。

 本物の持つ力は素晴らしく、舞楽の習得と合わせて、先生の人徳の感化を受け、本物の人生を生きる力を与えられました。気が付くと原笙子に、不良少女とよばれた日があったとは誰も想像出来ない、明るい人生が訪れていました。

 当時の民間舞楽界では、舞楽は男性の芸能と思われていました。が、平安初期までは男性の雅楽寮に対置して、内教房という女人による歌舞いで仕える部署が存在していたため、宮内庁楽師の先生方は何の偏見、差別なく、左舞・右舞合わせて26曲を伝授して下さいました。

 昭和32年、原笙子と父・石葭城が始めた女人舞楽ですが、現在の会員のレベルは目をみはるものがあります。

 女文字といわれたかな文字を使って名作「源氏物語」を著したのが紫式部。奥深い内容を、易しい文章で表すように、女人の舞楽 原笙会では、誰もが楽しみながら、本物の舞楽を覚えることができます。

 この素晴らしい文化遺産の舞楽を、女性の力を結集し、全国に支部を作りたいと発願しました。小学生が、瞳を輝かせ、手に汗をかいて、月3回の稽古日を待ち兼ねて来ています。高校、大学で入会した人も、社会人となってライフワークとして取り組んでいます。子育てを終えた世代は、伝統芸能を伝承しつつ、再びの輝きの時間を愉しんでいます。

 学級崩壊の悲しいニュースを見ると「ここに、学校では教えてもらえない、もうひとつの教育の場がある!」と心の中で声を挙げています。

 自らも本物の芸を習得するよろこびを味わいつつ、特別な環境にある人たちの芸能と思われている舞楽を、女性のパワーで、民間に種を蒔き、花を咲かせ、実らせたいという会の願いに賛同して下さる人はいらっしゃませんか。

 指導者派遣も可能です。泊りがけで、習得できる用意もできました。

 支部を作り、心の栄養・女人の舞楽の普及に手を貸して下さる方のご照会をお待ちします。

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