『美冬さん大奮闘』

 

桧神美冬。彼女は四谷見附にある剣術道場「臥龍館」の一人娘である。女性ながら剣の腕は一流で、門下生の信頼も厚い。男より女にもてるタイプであった。

彼女は自分の剣の腕に自信を持っており、女性扱いされることを最も嫌っている。しかし、彼女の心境は夜の雲のように移ろいやすく、形を保ってはいなかったのだ。

 

 

「なんとか私に女らしさを教えてはもらえぬだろうか?」

ここは龍泉寺の中。あいかわらずぼろぼろだがここに住む龍閃組の面々が日々掃除を欠かさないので、埃っぽさは無縁である。今寺には4人の女性が座っていた。

ひとりはこの場の中心である美冬。

もうひとりは町医者の娘、美里藍。

隠れキリシタンの少女、ほのか。

そして織部神社の巫女、織部葛乃の4人であった。美冬以外の3人は目を丸くしていた。

「おいおい美冬。あんた頭を打ってこんなになっちまったのかい?」

葛乃は人差し指で頭を指し、くるくると回した。つまり気が触れたのかということだ。

「気など触れていない。前からそう思っていたことだ」

美冬の表情は真剣そのもの。けらけら笑いながらからかっていた葛乃もそれを見て自粛する。

「ですが、美冬さん。どうして女らしくなりたいと?誰かに言われたのですか?」

藍の問いに美冬は首を振る。

「誰かに言われたわけではない。むしろ生まれてくる子供のために女らしくなりたいと思っただけだ」

「そうなのですか。美冬さんのおなかに新しい命が宿ったのですね。神に代わり祝福の祈りを・・・」

「いや、やや子を宿してなどいない。結婚し、子供を産んだ後のことを考えてのことだ」

ほのかの早とちりを訂正する美冬。それを見て葛乃は笑いをかみ殺していた。

「それは女らしさより、母親らしさを求めるべきでは・・・。とはいえ、家事ができなくては母親が務まりません。私たちでよければ協力いたしましょう」

ほのかはぽんと胸を叩いた。

こうして美冬に家事を教えることになるのだが、さてはて。

 

 

「まずは料理を作りましょう」

ほのかが龍泉寺の台所を借りて、手ほどきしている。彼女は江戸に住む隠れキリシタンのために食事を作ることもある。まな板の上には練馬大根が一本乗っかっていた。

「今日は大根の煮物を作りましょう。大根の皮はかつら剥きにします。皮は捨てずにとっておきましょう。蓬莱寺さんたちの酒の肴にできますから。あと葉も食べられますので捨てないように」

美冬は包丁を握り、大根をにらみつける。生まれて初めて包丁を握っているので、手の平は汗で濡れていた。食事はすべて女中が作ってくれたので、美冬は作ったことがない。

そういえば昔父親に「お前は台所に立つな」といわれたことがあった。幼い頃の記憶だが、あれはなぜだろうか?

「きぇぇぇぇ!!」

美冬は奇声を上げると大根を一刀両断した。最初はかつら剥きに専念していたのだが目が怪しくなった。そしてたまっていたものが一気に噴出し、今の結果となったのである。

「うぅぅ、細かい作業は苦手なのだ・・・」

そういえばあの時も切れて台所をめちゃくちゃにしたことを思い出した。居合の練習なら平気なのに。

「それなら美冬さん。大根を居合の修行のつもりで切ってはいかがでしょう?」

「なんだと?」

ほのかの提案に美冬が目を丸くする。

「料理を作ろうと思うから神経を使うのです。なら、修行のためと思えば気が楽になるのではないでしょうか?」

ほのかの言葉には一理ある。美冬はためしにいつもの修行の要領で試してみた。

台所は静寂に包まれた。寺の外では八百屋が野菜を売り歩く声や、馬の蹄の音しか聴こえなかった。

しゅん!!

刃筋は見えなかった。しかし、大根は一瞬で分解された。

「すごい、すごいです美冬さん!!」

ほのかはきゃっきゃと喜んだ。美冬も達成感で胸がいっぱいになった。

「でもこれって剣術の修行じゃないか?」

葛乃のつっこみに、美冬は「あ」とつぶやくしかなかった。

(切った大根は夕餉においしくいただきました)

 

 

「次は掃除だよ。この境内全部をきれいに掃いてもらおうか」

ここは梅田村にある織部神社。葛乃と美冬は巫女服に着替えていた。美冬の手には箒が一本握られている。

「よし、いくぞ!!」

美冬は一斉に掃除を始めた。

「ふっふっふ。これで楽ができた」

「あの葛乃さん。単に掃除をサボりたいから、ここに連れてきたのでは・・・」

藍がつっこんだ。

「まあね。それに美冬は自分の道場をよく掃除しているよ。自分が使う道場を大切にしているんだよアイツは」

葛乃は真剣なまなざしで掃除をしている美冬を見て、言った。

しかし、掃除は段々エスカレートしていった。周りに砂埃が舞い上がり、視界が悪くなった。そして竜巻が発生し、近くの木々や神社の装飾品が飛んでいくのである。

「美冬!!やめ、やめぇぇぇ!!」

葛乃が止めさせた。美冬が動きを止めると、彼女は経つ真貴の中心でぐったりと大の字で横たわっていた。

「す、すまん・・・。興が乗りすぎた・・・」

掃除に夢中になりすぎる。美冬らしいといえばそうだが、葛乃は目の前の惨状を見てぐったりときた。なにしろ美冬の破壊活動のせいで周りは前よりひどく散らかっていたのである。

「わっ、私も手伝いますから。気を落とさないで葛乃さん」

「ありがとう、美里。あんたはいい子だね」

落ち込む葛乃に藍は優しく肩を置くのであった。

 

 

「さて次は洗濯です。こうやって揉んで綺麗にするんですよ」

ここは長屋。ほのかがよく来る場所だ。彼女は奉仕のために訪れる。以前はある屋敷に仕えており、度々ここに来ていた。ほのかが龍閃組に入った後もかわりはない。

「うむ、洗濯は初めてだ。いつもは門下生たちがしてくれるからな・・・」

美冬は懸命に洗濯を始める。慣れないのか、彼女が1着洗濯している間に、ほのかは五着の洗濯を終えているのだ。

さすがに焦る美冬。そして段々熱中し始めた彼女はまたやってしまった。

豪快に着物を破ってしまったのである。しかも厚手のものを。素手で破れるレベルではなかった。

「おいおい、人の着物を破りやがって!!しかも、女のクセによく破けるもんだ!!」

着物の持ち主がクレームをつける。自分の物を台無しにされた怒りと、女性のクセになんで破けたんだという驚きが混じっていた。

「ははっ、ははははは・・・」

美冬はうつろな笑い声を上げ、ふらふらになりながら歩いて帰った。その後姿をほのかは黙ってみているしかなかった。

 

 

美冬は龍泉寺に戻っていた。時刻はすでに日が暮れかけていた。真っ赤な太陽があと数分で下がっていこうとしていた。

「私は女らしくできないのか・・・」

美冬は幼少時のことを思い出す。自分の母親は幼い頃に亡くした。父親は母親に心底惚れており、後妻を娶ることはなかった。もし再婚して男の子が生まれれば美冬の居場所はなくなる。父親はそれを恐れ、男手ひとつで彼女を育て上げたのだ。

剣術の修行は厳しかったが、辛いとは思わなかった。父親と門下生たちとの修行の日々は楽しかった。

ただ時々街を歩くと、自分と同じ年頃の娘達が綺麗な着物とかんざしで着飾り、芝居などの話で花を咲かせているのを見て、自分はいったいなんなのだろうと思い耽ることがあった。

自分は女だ。女は所詮、子供を産むための道具にすぎぬ。平成の世なら男尊女卑で訴えられそうだが、江戸時代では常識であった。

自慢の居合いで相手をへこませた時の敗者の目。

女のクセに。女に負けた。女のクセに、女のクセに。

自分をさげすみ、憎悪する。そんな男たちばかりであった。

ただふたりの男たちは自分を真正面から受け止め、叩きのめした。

その男の名は蓬莱寺京梧と九桐尚雲。自分はふたりにぶつかり、二人に負けた。

その後、彼女は酒に溺れ、鬼道衆に捕まり、何かしらの術を施された。今はなんともない。

自分はいったい何をすればいいのだろう。剣術とて男と女の差は開くばかりだ。どうしたら・・・。

美冬は汗で濡れた着物を脱いでいた。全身真っ裸だ。そこへお約束というか一人の男が闖入した。

「おっ、美冬じゃねぇか。ひさしぶりだな」

「なっ、蓬莱寺!!」

京梧は女性の着替え中にもかかわらず、自然体で挨拶を交わした。京梧の目は美冬の全身を嘗め回した。

「お前の尻は、いい尻だな。丈夫な子が産めそうだぜ」

そういうと美冬はへたりと座り込んだ。京梧も自分の言葉で傷つけてしまったかと心配して近寄ってくる。

「なあ、どうしたんだよ。今日のお前はらしくないぜ?」

「おまえ、おまえはやはり女は子供を産み、家庭を護るべきだと思うのか?」

美冬の突然の言葉にきょとんとしていたが、やがて大笑いした。

「美冬、お前はそんな事を考えていたのか!?だとしたらお前は大馬鹿だぜ!!いいか?俺はお前を一流の剣豪としてみているんだ。剣の強さに男も女も関係ない。お前には十数年間培った居合いの腕があるだろう?自分のものに自信が持てなくて何が剣士だよ。お前は女だけど、剣士でもあるんだぜ?」

京梧のボキャブラリーの少なさにあきれ返ったが、それだけに実直な台詞が心に突き刺さった。

そうだ。自分の剣の腕は自分自身で磨き上げたものだ。それを誇れずして何が剣士だ。そこに男女など関係ない。子供が産まれたらその子に自分が身につけた剣術を教えてやろう。母親として、師匠としてその子が世の中を渡り歩けるように。

「ふっ、キサマに諭されるとはな・・・。私はまだまだ修行不足だ」

「そうかい。それより、お前の胸って洗濯板に近いな」

ピキーン!

理性の箍が外れた音だ。美冬は素っ裸であった。彼女は刀を取り、抜いた。

「ちょっ、ちょっと待て美冬!!」

「・・・辞世の句は何か言ってみろ。それくらいの時間はやるぞ?」

美冬の表情は般若であった。普段は赤い焔のような着物を着ているが、彼女の体からは青白い炎が舞い踊っているように見えた。

「地獄に堕ちろ!!」

美冬は刀を振り回しながら京梧を追いかける。女を斬る刀を持たない京梧は逃げ回るしかなかった。その様子を見る藍たち。

「やっぱり美冬はああでなくっちゃね。無理して女らしくする必要はないさ」

「むしろ、葛乃さんが女らしくしたほうがいい気もしますが・・・。それよりいいんですか?美冬さん裸のままですよ?」

ほのかの苦言に葛乃は笑い飛ばす。

「はっはっは!!走り回れば体も冷えて頭も冷えるさ。藍とほのかなら体張ってでも止めるかもしれないが、今は放置したほうがいい。それに女の着替えを覗いた蓬莱寺に天罰が下ったと考えたほうがいいね」

ほのかと藍は京梧を追い回す美冬を見てハラハラしていた。葛乃はそれを見てけらけら笑っていた。

「止まれ美冬!!見られて減るもんじゃないだろう!!」

「減ってたまるか!!キサマの息の根を止めてやる!!死ねぃ!!」

今日も龍泉寺は平和な日々を過ごしていた。

 

終り



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あとがき

 

美冬が主役のコメディです。

これもまた2時間ちょいで書き上げました。無理して長編を書くより、こっちのほうが性に合っていますね。

 

2009年2月19日