新宿魔界学園第四話『外道塾』

 

真海学園の屋上は昼休みに解放されている。ベンチが設置されており、天気のいい日は昼休みに生徒たちが弁当を広げにやってくることがある。

その中で白金虎一は屋上の隅っこで弁当を広げていた。大きめのタッパにおじやが詰まっており、梅干の瓶や、デザートにバナナがあった。白金はむさぼるように食べていた。まるでゴリラのような食欲であった。

彼の食事は毎日こうであった。毎朝10キロは走り、腕立て伏せ百回、スクワットを百回、悪天候の日だろうが、続けていた。小学生の頃からずっとであった。彼は背が低かった。だからこそ筋肉をつけることに必死になっていた。もちろん小学生から10キロは走らなかった。もっとも小学生にしては尋常ではないトレーニングの数であった。

おじやは消化によく、梅干も栄養があってバランスがよい。すべて自分で作っていた。白金は毎日屋上で一人で食べていた。周りの生徒は白金を恐れていた。鍛えぬいた、苛め抜いた黄金の肉体は普通の生徒たちを畏怖させていた。それは野生のゴリラが繋がれずに町を俳諧しているようなものに近かった。

そのゴリラに一人の男子生徒が声をかけてきた。

「白金くーん!!一緒にお昼しよう!!」

それは能天気とも思える軽い声であった。白金は目をちらりと動かすと、そこには土黄龍治が唐草の風呂敷包みを持っていた。

「何の用だ?」

白金はぶっきらぼうに聞いた。

「白金君とご飯を食べたいんだ」

そういって龍治は風呂敷包みを開くと、中からは立派な三段重ねの重箱が出てきた。ふたを開くと卵焼きだの、ひじきだの、鶉の卵の甘辛煮だの、油揚げだのがたくさん入っていた。二段目には洋食でコロッケだの、ハンバーグステーキだの、野菜サラダが並んでおり、三段目はおにぎりと稲荷寿司がぎっしり詰まっていた。

「……これ全部お前が食べるのか?」

「うん!!これくらいで腹八分目なんだ。白金君に較べたら少ないと思うよ」

龍治はちらりとタッパを見た。確実に五人分はありそうな量であった。常人なら半分も食べれば吐き気を覚えるだろうが、白金は平気で食べている。

「すごい食欲だよね。さすが真海四天王は胃袋からして普通の人と違うよね」

龍治の口調は怖いもの知らずであった。幼稚園児がプロレスラーや相撲取りを見て、無邪気に言いたい放題言っている感じであった。白金も龍治の行為が子供じみていることを感じ取っているが、無下に断るのも悪いので、一緒に食事をとることにした。

「もう、土黄君て怖いもの知らずだよね。まあ、そこが土黄君のいいところかな?」

龍治の後ろには同級生の幸徳秋保が立っていた。彼女も弁当だが、かなり小さい。人差し指と親指で輪を作ったような小ささだった。女の子らしくて可愛らしいピンク色のデザインであった。彼女は今朝会ったが、普通の態度であった。昨日は佐原森に乱暴されそうになったが、小角月子先生に助けられたという。救えなかったことを龍治は謝ったが、秋保は気にしてないよと慰めてくれた。ただ最後に余計なことを言ってしまい、龍治は暗くなった。

「月子先生ってああ見えて強いんだよ。不良を五人相手にしても慌てることがないの。土黄君が弱くても気にすることはないよ」

この言葉は龍治の心を突き刺さった。清美も自分は強いから、龍治に強くなる必要はないと言われた。男なのに女性に守られるというのは気分が悪い。なんとなく居心地の悪いものを感じた。

「ところで真海四天王とはなんだ?」

白金が質問してきた。本人は言葉の意味が理解できてない様子であった。

「もちろん白金君の二つ名だよ。白金君から他の三人のことを聞きたいんだよ」

龍治が言うと、後ろから秋保がちょんちょんと肩を指で突いた。

「土黄君。真海四天王の名は、周りの人が勝手につけた名前なの。つけられた本人は知らないと思うよ」

のっけから躓いた。龍治の頭はくらくらしてきた。白金はすばやく飯を食べ終わった。

「真海四天王はともかく、俺に用事があるのは確かだろう。何を聞きたいんだ」

龍治は飯を口の中につめていた。

「月子先生に言われたんだ。月子先生がある武術を教えるには、真海四天王、白金君たちと戦って勝たないといけないんだ。だから白金君に他の人の話を聞きたかったんだ」

「……話を聞くと、俺とも戦うのだろう?敵になる俺に話を聞いてどうするんだ」

白金が突っ込んだ。

「そもそも俺と戦えなんて月子先生も無茶なことを言うな」

龍治は頭を抱えて悩んでいた。いずれ戦う白金に相談したことが間違いだと気づいたようだ。

「どうしよう。じゃあ、誰に白金君のことを聞けばいいのかな」

龍治は言った。彼の口調からして白金とどう戦えば勝てるのか?それを悩んでいる様子であった。そもそも彼と戦って勝つつもりでいるから、龍治は只者ではなかった。

「月子先生は誰と戦えと言ったんだ?」

白金が質問した。龍治はポケットから白い紙切れを取り出した。どうやら月子が書いたメモのようであった。

「三年生で柔道部の玄水(げんすい)たけよしと読むのかな?後は一年生で相撲部の朱野省平(あけの・しょうへい)と、三年生の剣道部の蒼樹風香って人だね。そして白金君と戦って勝てと言われたんだ」

「四人全員にか?」

「うん。四人全員」

白金の問いに龍治はあっけらかんとした表情で答えた。

「まずは玄水という人と戦えと指示されたんだ。次は朱野さんで、三番目が白金君なんだ。最後に蒼樹さんと戦っておしまいだそうだよ」

龍治の口調は軽いものであった。まるで幼稚園児が母親に言われて約束事を守るような感じであった。状況をよく把握せず、ただ母親の指示を忠実に守ろうとしているようであった。

「玄水か。そいつはとても手ごわいぞ。なにしろ柔道の達人だからな」

白金の口調は重かった。

「柔道って投げ技が主だよね」

龍治が言った。日本の柔道は1882年、講道館の嘉納治五郎によって創設された。

龍治は投げ技が主といったが、その他にも固技がある。

講道館柔道で認められる投げ技は六七本ある。その中で手技は十五本ある。背負い投げや一本背負い投げはこの中に入る。次に腰技が十一本ある。足技は二十一本。真捨身技は五本。巴投げはこの分野に入る。最後に横捨身技が十五本である。

固技は二十九本ある。抑込技が七本。締技が十二本。関節技が十本ある。胴締めや足絡みは禁止技である。

柔術を治五郎が誰でも使いやすくしたのが、柔道である。柔良く剛を制す。心身の力を効率よく使う、新時代の技術は明治から平成に至る現代でも通用している。

治五郎は東京高等師範学校長時代に、体操科を設置し、青少年の身体を通しての教育のために体育指導養成をはかった。このことから彼は日本体育の父とも呼ばれている。学校と柔道は切っても切れない関係があるのだ。

しかし柔道には当て身技、相手を殴る技はない。龍治の頭の中には柔道のルールは完全に覚えていた。

「玄水はただの柔道じゃない」

白金は言った。

「あいつの強さは本来学校の部活などで測られるものじゃない。あいつが柔道部にいるのは、自分の体の中に住む獣を押さえ込めるためのものだ」

「ケダモノ?」

「ああ。獣だ。腕力自体は俺より劣るだろう。しかし、武道家としては超一流と呼んでもいい。喧嘩をやらせたら俺でも油断すれば負けるかもしれない」

白金の口調には冗談は混じってなかった。玄水という人間は白金をうならせるほどの実力があるらしい。

「聞いたことがあるよ。確か一年生の頃他校の人と喧嘩したんだよね。五人ほど囲まれて。それで勝っちゃったけど、先生たちに柔道部に入れられたんだよね」

秋保が横から挟んだ。

「入れられた?」

「うん。玄水先輩が喧嘩をしたら柔道部が迷惑するでしょう。もっとも玄水先輩は喧嘩しても捕まらないように逃げているらしいけど」

余程血の気が盛んな人なんだろうなと、龍治は思った。

「でも、一人で五人を相手にしたんでしょう?それなのにどうして?」

「勝った方法に問題があるんだ。そいつは下駄を履いていた。喧嘩になると下駄を脱ぎ、手に持った。そして相手の鼻の下、人中を力いっぱい殴った」

「じんちゅう?」

「人間の急所のひとつさ。ともかく急所を叩かれて気絶した。相手を一撃でしとめれば複数を相手でも勝てるというわけだ」

なんともむちゃくちゃな人であった。それを世間話のように話す白金も裏世界の人間であった。

 

 

真海学園の柔道部の道場は体育館の近くにあった。古ぼけて色あせた畳が敷かれた、道場はすでに腐りつつあった。悪臭と汗の臭いが染み付いた道場では、柔道部員が乱捕りをしていた。部員は10人ほどだ。どれも体格のよい男子生徒が汗を流し、投げ飛ばしていた。

道場の奥で一人の生徒が座っていた。他の部員と同じく道着を着ていたが、下はスパッツを履いていた。長身で足が長い。髪は短く刈っており、肌は日に焼けて黒い。美形と呼ぶにふさわしい顔であった。

腕を頭に回し、あくびをかみ殺していた。その様子はまるで黒豹が眠っているようであった。下手に近づけばかみ殺されるかもしれない。そんな空気をまとっていた。

「たのもー!!」

道場の入り口で声が上がった。声の主は龍治であった。その後ろには秋保と白金が立っていた。彼らは付き添いだろう。乱取りをしている部員たちは龍治を無視して稽古を続けている。

「玄水たけよしさんはどこにいますかー!!」

龍治の言葉に今度は部員たちが動きを止め、龍治を見た。そして彼らは道場の奥で座っている生徒を見た。龍治の彼らの視線を追い、その人物を発見した。それは龍治を気にかけてないのか、眠そうな目をこすっていた。龍治は靴を脱いですたすたと近づいた。

「あなたが、玄水たけよしさんですか?」

龍治が尋ねた。そいつは龍治をちらりと見ただけで、目を閉じた。そして畳の上に寝転んだ。

「ボクはあなたと勝負に来た。あなたを倒さなくちゃいけないんだ」

龍治の言葉に部員たちは真っ青になった。玄水と思しき生徒は目を開けると、起き上がった。まるで山猫のように軽快な動きであった。

「あたしと勝負するだって?アンタ本気なのかい?」

ハスキーな声であった。ドスの効いたセリフで、龍治をにらみつける。龍治は臆することなく言葉をつむぐ。

「そうだよ。ボクはあなたと勝負して勝つんだ。そしてものすごく強い古武術を教えてもらうんだ」

子供みたいな理屈であった。部員たちは龍治がまるで幼稚園児みたいな口調で、玄水に喧嘩を売っているように思えた。悪く言えば頭を打ったのではないかと疑問視するぐらいであった。

玄水は高笑いした。まるで楽しくてたまらないと言うくらいに。

「面白いな。受けてたとう」

玄水は構えた。龍治も構えた。もっとも、玄水のまねをしただけであるが。

「ついでに教えておくよ。あたしの名は玄水武美(たけみ)だ。たけよしじゃない。そして女だ」

玄水武美。彼女との戦いがいよいよ始まったのである。そして、この戦いがのちに龍治の運命を大きく変えたことに、龍治自身は気づいていなかった。

 

続く

戻る

タイトルへ戻る

 

2010年7月9日