東京魔人学園外法帖

 

「ふう、暑いな。こうも暑いと桃が食べたくなるな」

ぼろぼろの胴着を着ている男が、一人山奥に入っていた。

名は緋勇龍斗、武蔵から来た男である。

彼は一人の女性に会いに行っていた。

名前は比良坂。本名かどうかはわからない。わからないがそう呼ばれていた。

彼女は異国風の美しい金髪が腰までたらりと伸びていた。

そよ風にゆられ、なびく様は男の心を離さなかった。

およそ丸1日、緋勇はやっと目的地に辿り着いた。

そこは村であった。名は鬼哭村。鬼が哭く村である。

仰々しい名前であるが、村はいたって平和なものである。

村の周りは下忍が常に見張っており、よそ者は入れない。

無理に入れば命を落とすのである。

緋勇が堂々と門から村に入れるのは、彼がこの村の主、九角天戒と懇意であるに他ならない。

門番は緋勇を遠目で確認すると、

「緋勇さまだ。門を開けろ」

ぎーと門が開き、彼は村の中へ入っていった。

途中ぺこりとお辞儀をする村人がいた。緋勇はこの村では恩人に値する人物なのである。老婦人が川で冷やしたきゅうりや桃を緋勇に手渡した。ありがとうと言いながら、それらにかぶりついた。おいしそうにかじる様を見て老婦人はにっこりと満足げに微笑んだ。

数人の子供らが緋勇の足元に集まり、遊んで遊んでとせがんだ。

手を引っ張られ、難儀しているとそこに一人の男が現れた。紅い髪に立派な着物を着た男である。歳はまだ二十代だが立派にこの村を治めている人物。彼の名は九角天戒であった。

「これこれ、緋勇は私用があってこの村に立ち寄ったのだ。困らせるでない」

「え〜?遊ぼうよ遊ぼうよ。今日は縄跳びをして遊ぼうよ」

「だめなの、お兄ちゃんは今日あたしとお手玉して遊ぶのよ」

「ふふん、お兄ちゃんはあたしのお嫁さんなの。だからおままごとをやるのよ」

「だめだい、だめだい。にいちゃんはおいらたちとちゃんばらだい。御屋形さまのように戦うんだい」

やれやれと緋勇と天戒は首を傾げた。しかし、口元はわずかに微笑んでいた。

「元気な子らだ。将来は立派な大人になるだろう。天戒久しいな、元気にしていたか?」

「まあな。最近はわたし一人だが、元気にやっておるよ。お主こそ真神学舎で勉学に励んでいるそうだが?」

「ぼちぼちだ。しかし、みんないなくなって寂しいものだ。京悟は全国を放浪して剣の腕を上げていると、十郎太から便りをもらった。相変わらず騒動に巻き込まれているらしい。雄慶は高野山で修行の日々だそうだ。そちらは?」

「こちらも似たようなものよ。尚雲は鬼道書を封印するため、旅に出たし、奥継は自分の技を伝承する者を探してこれまた旅よ。道中食い意地を張らねばよいと思っておる」

「そうだな。ところで比良坂はどこにいるのだ?教えてもらいたい」

「あっはっは、女に会いに来たと言うのに物怖じしないやつめ。よいよい、比良坂は雹の屋敷におる。あの女め、目が見えない分、心が読めると言うか、木々や草花とも会話ができるのだ。ガンリュウも友達が出来て嬉しいと雹が嬉しそうに言っておった」

「そうか、そうか。よしよし、さっそく会いに行かねば。坊主たち俺はこれから人と会わねばならぬ。夕刻くらいには終わると思うからその時に遊ぼう。今日は泊まりだから、一緒に風呂に入って背中を流してやろう。今はこれで勘弁してもらいたい」

「うん、いいよ。まっているよ」

「お兄ちゃん早く帰ってきてね」

「ふふん、早くしないとあたしの子が寂しいって泣くんだからね?」

「あっはっは、すごい人気だな、龍。よろしい、今日は野良仕事もないから、龍が帰るまでわたしがみなと遊んでやろう。かごめがいいか、けんけんぱがいいか好きなほうを選ぶがよい」

九角がそういうと子供たちはわーっと集まり、彼の手をひっぱりあった。

緋勇は遠くで九角に手を振ると、その足で雹の屋敷へ向かったのである。

 

雹とは鬼道衆のひとりで人形使いである。彼女の住んでいた村は代々人形使いの村で、彼女は村長の娘であった。ある日将軍徳川家茂が村に立ち寄り、一体の人形を作ってもらった。その人形を見た、将軍と幕臣たちは驚きの声を上げたのである。

それは確かに人形であった。しかし、瑞々しい肌といい、透き通った眼球といい、それはまさに将軍がもうひとりいるようである。何も知らない者に双子の兄弟と偽ってもばれぬであろう。声さえ立てなければ、一生それを人形と見破られぬであろう。その人形の技術を将軍は子供の様に喜んだが、幕臣たちはこれをよしとしなかった。

彼らは村を焼き尽くした。将軍はこの事実を知らないでいた。

この人形の技術が他に漏れれば、いくらでも影武者ができる。そんな事になれば倒幕派の連中がこの人形を囮に幕府に仇名すやもしれんと。もっとも己のためにあの人形使いが邪魔になったのだ。

雹はその村の生き残りであった。足の筋が斬られ、2度と己の足で大地を踏む事はない。

そのかわりに、人形使いの村の宝、ガンリュウが彼女の足の変わりであった。

ガンリュウの体内には血管の如く細い管があり、水圧で動いているのだ。その動力源に過去、志半ばで倒れた侍の心臓を使っていると言う。

その他に雹が夜ほど近くでなければ見えぬ糸を使い、ガンリュウをあやっているのである。

比良坂とは互いに何かを失った者同士、気が合うのであろう、ちょくちょく二人は会っていたそうだ。

比良坂は、以前は見世物小屋に売られ、人魚として、唄を唄っていた。それを緋勇に助けられ、この村のやっかいになっている。彼女には常人にはない不思議な能力を持っているのだ。

 

数刻後緋勇は雹の屋敷に辿り着いた。両手には途中百姓やら子供やらにもらった、野菜や果物がどっさり抱えられていた。

「おーい、雹いるか?いるなら返事をしてくれ」

大声で怒鳴った。

しーん。反応がない。

「おーい」もう一度叫んだ。

しーん。反応がない。梨の礫だ。

張り上げる音量が足りないのか?よし、もう一度。

「そんなに大声を上げずとも聞こえておるわ」

突如後ろから声がした。

振り向くとそこには大木の如く、巨人が立っていた。

そして左腕に一人の女性を抱えている。

女は細目で、髪が長く、冷たい感じがした。

彼女こそ雹である。何時の間にか緋勇の後ろに立っていたのだ。

「おいおい、脅かすなよ。心の臓が飛び出すかと思ったわ」

「ほっほっほ、聞こえておったのに大声を張り上げつづけるお主が悪いわ。ところでわらわ、いや比良坂に用があるのであろう?あの子は今屋敷におる会ってやれ。自分はこれから嵐王に会ってガンリュウを診てもらいことにする。おそらく宵の口まで帰ってこんから好きに使うが良い。じゃあな、野菜や果物は釜戸に桶があるからそこに入れるがよい」

そう言うと雹はガンリュウと供にのたのたと歩いていった。

さて屋敷に入ると異様なまでに天井が高く、部屋が広い事に気づくだろう。

ここは雹が一人で暮らしているのだが、ガンリュウが足の変わり故、ガンリュウに合わせ建てられたのである。

さて日向のよい縁側に行くとそこには歌を歌う少女が座っていた。

彼女こそ比良坂である。

異国の髪の色だが、この国の言葉はきちんと通じるのである。

「待っていました。緋勇さん。一月ぶりですね」

いつ気づいたのか、彼女は緋勇の方へ振り向いた。

目が見えない分他の感覚が異常に発達したのだろう。彼女はこの村で一番感が良いのだ。

「すまない、なにかと忙しかったのだ。だがお前がそのような意地の悪い事を言うのははじめてだ。俺、いやわたしはそんなお前を愛しておる、心からな」

「嬉しい。緋勇さん、あたしもです」

こうしてふたりは抱かれ合った。

屋敷の回りには下忍がおり、二人の睦言を邪魔をさせぬ様、九角の気使いである。

雹もふたりの心情を見通してわざと出かけたのである。本来ガンリュウは人形を使う雹以外はいじることは許されないのだ。火邑の場合は別にしろ。嵐王にはお茶を飲むくらいである。

「ああ、暖かい。緋勇さんの心がわかります。あたしを愛していると」

「嬉しいよ。わたしはお前を喜ばせたい、お前の笑顔が見たい。お前の笑顔はわたしの日頃の疲れが朝露の如く消えてゆく、明日への活力となる。お前はわたしの、緋勇龍斗のものだ」

「はい、あたしはあなたのものです。あなたはあたしの道具です。傀儡です。ご自由にどうぞ…」

遠くでせみの鳴き声が聞こえた。子供たちがやいや、やいやとせみを取ろうと木に登っていた。

 

緋勇は次の日、鬼哭村を去った。比良坂は門のところまで見送りに来ていた。

そして、見えない目で緋勇が去ったであろう、方角をいつまでも見続けていた。

それ以来ふたりは何回か会った様だが、明治以降その行方はいずれとしてわからなくなった。

文明開化の波は何時の間にか、鬼哭村をどこかへと消してしまったのである。

九角天戒はその身を隠しながら、生き長らえていた。彼はひとつの不安があった。

それは鬼道衆の道行きである。

自分はもはや江戸、いや東京を壊滅させようなどとは思わないだろう、これは自分だけでなく他の家臣にも言えた事だ。

しかし、遠い未来、自分の息子が、孫が、その孫が自分の目指した志を誤解したら?

江戸の転覆こそ、九角家の本願だと思われたら?

まだある。それは目黒不動などに収められた5つの魔尼である。

あの球には鬼道衆の陰気が貯まっているのである。いつの日か陰気が実態を持ち、人々に害を成すのではと?不安に思った事もあった。

「しかし、今は俺が出来る事をしようと思う。最近農民による一揆がひどいらしい、俺はそれを収めようと思う。何歳を取って腰が立つまでまだ間がある。

緋勇よ、お前はなにをする、なにをしたい?」

「そうだな。とりあえず旅に出ようと思う。どこか遠くへな」

「そうか、ひとりでか?」

「やぼな事を聞くな。そうだな、あえて言うなら鬼哭村の村民がひとり消える程度だな」

「そうか、そうか。じゃあ俺はお祝に花をやろう。美しく匂いの良い華をな」

「ありがとう、きっと喜ぶだろうな」

緋勇龍斗と九角天戒は町の牛鍋屋で牛鍋をつつきながらの会話であった。

ふたりともハイカラな洋服を着ていた。龍斗は地味な物だが、九角は燕尾服とシルクハットのいでたちで、ひげを生やしていた。後ろ髪はばっさり切っており、どこからみても裕福そうな紳士である。

 

それ以来二人は会っていない。龍閃組も鬼道衆も明治、大正、昭和と移りゆく時代の波に飲まれ、歴史の中に埋もれていった。

明治のなかば、北海道の札幌村で、緋勇龍斗と比良坂らしき夫婦を見たというものがいたが、それ以降は誰も知らない。

しかし、百数年後、龍閃組と鬼道衆が雌雄を喫する戦いが始まるのだが、彼らはそれを知らない。

彼らは子供を作り、育て、死んでいった。彼らの胸の中には子供が、孫が、平和に暮らしているだろうと夢の中に埋もれていったのである。

そう、人の夢など儚い一滴の雨なのだから

 

終わり

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あとがき

1日で書き上げました。

東京魔人学園外法帖記念小説ですね。

18禁なのだろうか?一応主人公と比良坂主役なんですけどね。

ではまた。

 

平成14年1月29日 午後10時50分