浜離宮でお茶を
ここは
江戸時代の代表的な大名庭園だ。元は将軍家の鷹狩り場で、4代目将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が別邸を建てた。
明治維新後は皇室の離宮になり、現在では特別史跡に指定され、一般公開されている。
ところがここにはある一族が隠れ住んでいる。一族と言っても現在は2人しかいない。そして隠れ住んでいると言ってもホームレスが無許可で住み着くのとはワケが違う。
彼らは陰陽師が張った結界の中に住んでいるのだ。浜離宮でありながら、浜離宮でない、矛盾した世界に彼らは住んでいる。
そしてその結界を張った陰陽師は御門晴明という。東方の陰陽師を束ねる御門家・88代目当主であり、高校3年生である。
普段は匿われた一族、秋月家の人間を護るため、浜離宮にいる。今、ここに客が来ていた。
劉弦月。中国から来た留学生である。彼は幼い頃から剄を学んでおり、符術も仕込まれている。日本では新宿中央公園にホームレスとして暮らしている楢崎道心の元に身を寄せていた。今日は道心の使いで浜離宮に来たのだ。
御門と劉は浜離宮にある水上の館にいた。結界の中では秋月家の住まいである。御門は式神にお茶を出させた。最高級の玉露である。
「うーん、うまいなぁ。いつも飲むコンビニのお茶とはえらい違いなや」
劉はおいしそうにお茶を飲む。それを御門が扇子を口元に当てて笑う。
「そうですか。庶民には到底手の届かぬお茶ですからね。私は毎日飲んでますが」
「そうなんか?まあ、あんまりうますぎて舌が馬鹿になってしまいそうやな」
御門の嫌味な物言いも劉には通じない。御門も片手で茶碗を持ち上げ、ゆったりと飲む。
茶請けには道心が劉に渡した煎餅がある。道心は元高野山の僧侶で破戒僧となり、山を降りた。性格は破綻しているが、御門のように孫のように若い人間にも礼儀を尽くす。
外では桜の花びらが舞っている。
通常ではありえない景色。世間は冬だと言うのに、ここでは桜が一年中咲いている。そして済んだ綺麗な空気が土と緑の匂いをたっぷり含み、鼻をくすぐる。
「そういえば芙蓉はんはいないんか?」
劉があたりを見回した。ここには劉と御門のふたりきり。普段は護衛として御門のそばを離れない天后芙蓉という女性がいるのだが、それがいない。
「芙蓉はマサキ様と一緒にある政治家と食事に行ってますよ」
秋月マサキ。秋月家には未来を視る力を持っている。マサキは絵を描くことで未来を描く。
実際陰陽師は明治維新後、廃止にされたが、御門家の陰陽師の力、秋月家の先読みの力は裏世界で生き続けた。秋月家は政治家との間に太いパイプを持っている。
「芙蓉がいれば安心です」
御門は言った。彼女に対して絶対の自信があるのだ。芙蓉は人ではなく、式神だからだ。
稀代の陰陽師、安倍晴明が自在に操った鬼神十二神将のひとりである。
「芙蓉はんと付き合いは長いんか?」
劉が聞いた。
「ええ。芙蓉は私が子供の頃からいました」
「へえ、恋人みたいなもんかいな?」
「ふむ・・・、恋人とは少し違いますね」
「違うんかいな」
「ええ、違います。芙蓉は恋人ではなく、母親みたいなものですよ」
「母親・・・。御門はんのおかあはんというか、両親はおらんかいな?」
「いますよ。ですが、両親は才能がなかった。十二神将を扱う力がね。今では他の一般陰陽師として活躍しています。御門家の采配をすべて私に任せてね」
複雑そうな家庭環境だ。親を語るときも淡々とした調子で語っている。御門にとっても誇らしい親とは言えないのだろう。
「そうなんか。でも、親がいるだけましやな」
劉は池を見ながらつぶやいた。
「確かあなたの両親は亡くなったとか・・・」
「両親だけやない。すべてや。すべてを失ったんや」
劉の顔が険しくなる。御門は尊大な性格だが、劉の身体からあふれ出る気を敏感に感じている。針のように鋭く、火であぶったように熱い。うっかり触れたらただではすまない。そんな怒りの気であった。
「そうそう。以前学校で芙蓉がいじめられたことがありましたよ。芙蓉を私の腰ぎんちゃく。奴隷だと言ってね」
芙蓉は式神だ。感情表現があまり得意ではない。御門の通う学校はエリートが多く、御門の従者である芙蓉には何かと冷たく扱われるのだろう。
「いじめた相手は後日報復しました」
御門が冷たく笑う。つららのように尖った冷たさだ。劉は深く聞かないことにした。たぶんいじめた相手は生まれてきたことを神に罵ったことだろう。
*
「ただいま戻りました」
後ろから声がした。そこには黒いスーツを着た女性が立っていた。和風美人だが瀬戸物の人形のような無表情の顔。身体からにはまったく生気を感じられなかった。彼女が芙蓉である。
芙蓉の左手はお盆を持っていた。湯気の立つ茶碗が二つ。そして右手はあるものを掴んでいた。
それは男であった。年齢は30代くらいで、顔立ちは日本人と違っていた。肌が黒く、髪の毛がちぢれている。黒い背広を着ており、苦しそうに息をしていた。
「おお、芙蓉はん。こんにちわぁ」
「こんにちは」
芙蓉が頭を下げて挨拶する。
「ところで芙蓉。その男は誰ですか?」
御門が尋ねる。父親の買ったおみやげを子供が見つけて尋ねるような感じであった。
「はい。マサキ様に手を出した不届き者です」
これまた芙蓉も、まるで犬に咆えられたみたいな口調であった。
「そうですか」
「はい。マサキ様はお部屋でゆっくり休んでおられます。ですので、これからこの男に仕置きをします。それでは」
芙蓉は再び頭を下げ、お盆をちゃぶ台の上に置いた。男は引きずられながら泣き喚いていた。そして奥の部屋へ連れて行かれた。
「あのおっさん、アジア系の呪術師やな」
日本にいる陰陽師たちはすべて御門の管轄にある。はぐれ陰陽師もいることにはいるが、芦谷道満に連なる一族、阿師谷親子とくらべると遜色する。下手すれば一家もろともこの世からおさらばする羽目になる。秋月家を消すために外国人の呪術者を雇うことなどめずらしくなかった。
「そのようですね」
「さっき、仕置きとかゆうてたけど、背後の組織を洗うんかいな」
「その必要はないですよ。あの男には人生でもっともひどい目に遭ってもらいます。そして新宿あたりに放り投げてさらし者にします。二度とマサキ様を付けねらおうなど思わなくなるでしょう」
御門の口調がどこか重い気がした。御門はマサキを大切に想っている。マサキを傷つけ様とした者に対し激しい敵意をむき出しにしている。本人はポーカーフェイスなのでその変化に気付く人間は少ない。
うげぇぇぇ!!
ぐがぁぁぁ!!
「ひどい声やなぁ」
「いえ、芙蓉は手加減していますよ。普段ならもっとひどい。獣のような叫び声をあげていますよ」
「あれ聞いてマサキはん、なんとも思わへんか?」
「マサキ様の部屋は完全防音です。仕置きがばれたら私が大目玉を食らいます。そして悲しげな顔になるでしょうね・・・」
御門は沈痛な面持ちであった。暗殺者を拷問しても心は痛まないが、マサキが悲しむ顔は見たくないのだ。
*
「よぉ御門。なんだ劉も一緒だったのか」
今度は別な男がやってきた。白い学ランに学帽を被った男である。学ランの背には『華』と派手な刺繍がしてある。
この男は村雨祇光という。御門、芙蓉と同じ学校に通う男だ。実力も御門と負けていない。
「おっ、村雨はん、こんにちは」
「お前が来るなんて珍しいな」
「今日はじいちゃんの使いでやってきたんや」
「じいちゃん?ああ、道心のじいさんのことだな。じいさんはまだ生きているかい?」
「生きてるも何も、この間酒飲んでる最中に頭をぱこーんと叩こうとしたらかわされてあっという間に叩かれたわ。ありゃ、殺そうとしても逆にわいが殺されてしまうわ」
「はっはっは!!俺も以前じいさんを攻撃したら返り討ちになったよ。学ランが焦げかけて大変だったぜ」
劉と村雨は笑いあった。村雨は茶請けの煎餅をとり、ばりばりと食べた。そこで芙蓉がやってきた。いつもの黒スーツではなく天女のような格好になっていた。ただし、顔や着物には血の飛沫がついていた。
「なんだ芙蓉。えらい姿だがどうした?」
「マサキ様を襲った者を仕置きしていたのですよ」
「仕置きだって?ちっ、もっと早く来ればよかったな。そうすれば俺も参加できたのに」
村雨は煎餅を齧りながら悔しがる。ちなみに村雨はサディストではない。彼もマサキを護る騎士だ。村雨と違い腹に一物を持たず感情を直接出す。村雨は煎餅を食べ終わると食べかすがついた指をしゃぶる。
「ところで芙蓉。俺にもお茶をくれよ」
「断ります。自分で淹れなさい」
「なんだと?御門はともかく、劉には茶を出しているじゃないか」
「劉様はお客人です。お前はどちらかといえば邪魔者です。できるならここから消え去ってもらいたいくらいです」
「涼しい顔してきついこといいやがるな」
その様子を見て劉は笑う。
「マサキはんは幸せやな。御門はんに芙蓉はん。村雨はんに囲まれて楽しそうや」
「劉様。晴明様とわたくしはともかく、村雨も一緒とは聞き捨てなりません。訂正してください」
「訂正も何も、芙蓉はんと村雨はんは仲よさそうに見えるけどな」
劉の言葉に芙蓉と村雨は激怒した。
「おいおい劉。俺とこの女が仲いいだって?確かにこいつは女にしてはやるほうだ。しかし、すましてて嫌いだね。自慢の胸を御門の顔にうずめるがいいぜ」
「晴明様は初等部に上がる頃には乳離れいたしました。わたくしなどどうでもいいですが、晴明様を侮辱するのは許せません。訂正しなさい」
「ふん。小学校に上がる前までお前の乳に甘えていたのか。まったく、お前の魔乳には聞いて呆れるね」
「まにゅうだか、なんだか知りませんが、晴明様の度重なる侮辱は万死に値します。表に出なさい。今日がお前の命日です」
「けっ、てめぇこそ今日と言う今日はヒーヒー言わせてやるぜ」
そして芙蓉と村雨は表へ出た。そして術を出し、浜離宮は戦争状態になった。
「止めへんでええの?」
劉は芙蓉と村雨の喧嘩を指差した。
「止めません。せっかく面白い見世物を見せてくれるのに、止めるなんて野暮でしょう?」
「それもそやな」
御門と劉は芙蓉と村雨のじゃれあいを見て、お茶を飲んだ。桜は絶え間なく舞い続ける。ここは夢の世界。御伽噺の世界なのであった。
終り
あとがき。
今回は御門と劉のたわいない会話を主流としております。ほのぼのとしたまったりとした空気を作ってみました。最後、芙蓉と村雨が騒ぎ立てますが、全体的としてのんびりとした話になっております。
どたばたもいいけど、しんみりした話のほうが私には合っていると思いますね。
2009年5月1日