殺し屋

 

山田太郎は殺し屋であった。年齢は30代前半。身長は175センチで体重は65キロくらい。少しやせていた。しかし腹はぷっくらの水枕のように膨らんでいた。

頭皮は前のほうが薄くなっているが、おかしな形ではなく、額が徐々に広くなって枯れていった感じだ。

仕事は警備士であった。誘導灯を手に片道交通誘導や電気会社のバケット車の警備などが主な仕事であった。この頃は公共事業が少なくなり、仕事もぽつらぽつらで暇な日は文庫本を読んだり、パズル雑誌のパズルを解いて応募するしかなかった。仕事仲間とは折り合いが悪いわけではないが、無口であまり話を振るものは少なかった。彼らは自分の現状を嘆きつつも、やれ政治が悪いだの、会社はけちのしみったれだの、あの建設会社はどうだの、毎日同じ話を繰り返しており、山田本人は彼らを毛嫌いしていた。

警備士にはボンクラが多く、ろくにはきはきしゃべれないものが多かった。無線機でのやり取りは普通だが、普段は仕事のできる人間にいびられ、そしてへらへら愛想笑いをしていた。山田はそれができずたまに大声で怒鳴るので、あまり相手にされていなかった。もっとも仕事はそれなりにできるので、信頼はされていた。

独身で一人暮らし。会社の寮に住んでいた。プレハブ小屋だが台所と風呂はある。ベッドは6つほどあり、そのひとつで山田は寝ていた。ベッドの下には古本屋で買った文庫本やパズル雑誌があった。

女性には興味はあるが金がないのでどうにもならない。貯金箱に一日200円ずつ入れて貯めていた。その金で高い酒や食べ物を買うのが楽しかった。

山田は殺し屋と言ったが、夜になったら黒いスーツに着替えるわけではなく、実際は殺すというより事故死に見せかけることがほとんどであった。

 

 

殺しの依頼は携帯電話を使わず手紙でやり取りしていた。今はネット社会。手紙で書いたほうが安全なのだ。殺しの依頼は依頼代理人の手によって行なわれる。山田は手紙の内容を読み、そして標的を殺すのである。標的は山田とまったく縁のない人間を選択されている。

標的の写真を見たら、しっかり顔を焼き付ける。そして写真と手紙はゴミに出す。

標的は大抵普通の人だ。大会社の社長だの、財界の大物などはない。山田の標的はごく普通に事故に見せかける殺しなのだ。

例えば一人の中年女性がいる。この女性は近所では一日中騒音を起こしており、警察の忠告を無視し、気に喰わない人間はさらに騒音を上げて引越しさせるなど悪質な性質であった。依頼人はたぶんその女性に恨みを持つものだろう。依頼人の詳しい素性を知る必要はない。あくまで山田の仕事は事故死なのだ。

その女性は車を持っておらず電車を利用していた。その日は朝早く通勤ラッシュと重なっていた。山田は女性の後ろに立っていた。やがて電車が来る。女性はカバンを持っていた。そして中を開けて中身を確かめていた。もうじき電車が来る。

「電車が来ますよ」

山田は女性に声をかけた。女性は慌ててカバンを閉めようとした。しかし、慌ててしまったのか、カバンの中身を落としてしまい、それを拾おうとした。

そして女性はその拍子に線路へ落ちた。そして電車は一時間止まることになった。

もちろん山田に罪はない。電車が来るからと注意を促しただけだ。それは周りにいた人間も証言している。女性と山田には何の接点もない。警察は形だけの事情聴取をして山田は帰された。仕事仲間も不運だったなと慰めてくれた。まさか彼が悪意を持って女性を殺したとは思わなかったに違いない。

依頼が終われば現金書留でお金が送られてくる。

 

 

山田の殺しは常にそれであった。

あるときは神社の石段の上で標的の老人がふらふらしながら上がっていると、

「じいさんあぶない」と声をかけた。慌てた老人はよろよろしながら石段から転げ落ちた。もちろん山田は救急車を呼び、応急手当をする。警備士は常に教育実習で応急処置のやり方を学んでいるのだ。

老人は救急車に運ばれたが、どの病院も救急患者を拒否した。たらいまわしにされたあげく老人は出血多量で亡くなった。

山田に罪はない。彼は応急手当をして救急車を呼んだのだ。悪いのはむしろ患者をたらいまわしにした病院のほうである。老人の家族は病院の不手際を責めたが、恩人の山田を責めることはなかった。老人の葬式に香典を出してやった。遺族は感謝の言葉を述べてくれた。まさか、老人を殺したのが目の前にいる山田とは夢にも思わないだろう。

老人は近頃痴呆症を患い、その日もただふらふらと近所を歩き回っていた。福祉施設は満員で家族が面倒を見ていた。葬式では遺族たちはしおらしく悲しんでいたが、内心、厄介者が死んで清々したに違いない。看護に疲れた娘『中年』は病院で会ったときより顔が晴れやかになっていたからだ。

 

 

山田は仕事関係に関わる殺しはやらなかった。交通事故を起こすことを嫌っていた。なぜなら警備士は警察ではない。制服は警察に似ているが別物だ。さらに似たような作りは禁止されている。

よく道路で片道交通誘導をやっている警備士がいるが、あれは強制ではない。あくまで通ってくださいとお願いしているのだ。実際車を急停止できるのは警察だけである。

警備士は警察のような権力はないが、社会的責任は重いのだ。事故を起こしたらその警備士だけの責任ではなく、会社全体が息の根を止められる可能性があるのだ。

依頼代理人も山田の意思を尊重していた。

その日の山田は片側交通誘導を行なっていた。赤い旗を大きく振り、徐行を促す。そして無線機で相手側に連絡を入れ、OKが出たら白旗で流す。一日中その繰り返しである。

今日の現場は電気工事で電柱をクレーン付トラックで、引き抜く作業であった。

山田はその日もいつもどおりに仕事をしていたが、大型の箱型トラックが山田目掛けて突っ込んできたのだ。山田は警笛を鳴らしたが、運転手は気付かない。山田はねられて死んだ。

運転手は携帯電話で余所見をしていた。運転手はなんでこんなことにと嘆いていた。

山田は標的に対して少なからず殺意を抱いていた。もちろん自ら手を下していないから罪悪感は軽かった。

しかしトラックの運転手は違う。彼には殺意はなかった。交通事故は殺意のない殺人と言えた。

山田の死はこの日のよくある交通事故として片付けられた。両親が遺品を整理したところ、貯金通帳に警備士では稼げない数字が記されていたが、特に疑問に思わず、息子が自分たちのために貯金してくれたと思い込んだ。

山田が死んでも殺しの依頼は尽きないし、代わりもいる。

今の世の中は狂暴な殺人事件より、交通事故や自殺が圧倒的に多い。テレビや新聞では事故や自殺より、猟奇的事件のほうが受けはいいのだ。

山田は訃報欄に名前が出ただけで終わった。彼が殺し屋であったことなど知られないまま。

 

終り

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2009年8月9日