桧神美冬物語後編

 

桧神美冬は酒を飲んでいた。嗜むというより、がぶがぶと水を飲むような勢いであった。江戸時代では未成年の飲酒を禁止していないとはいえ、あきらかに飲みすぎといえるレベルであった。テーブルの上には銚子が5本も置かれてあったのだから。

美冬のおつきである紫暮主税と鳥羽数衛門は、彼女が荒れていくのをただ黙って見守るしかなかった。注意すればライオンみたいに咆えられるからだ。檻の中ならともかく芸を仕込む猛獣使いの気分であった。

「おぉい、酒もってこぉい!!」

ここは内藤新宿にある蕎麦屋であった。蕎麦屋の主人は顔をしかめていた。何も注文せず粘る客は困るが、せっかくの酒をがぶ飲みされて吐き出されると気が重くなった。

「お客さん、いいかげんにしたほうがいいですよ。いくら酒を飲んだって物には限度がありますからね」

「なんだとぉ、わたしは客だぞぉ、金を払っているんだぞぉ・・・」

美冬は大声を上げる。そしてテーブルの上に顔を乗せる。そのまま高いびきをかいて寝てしまった。その様子を見た他の客はひそひそ話していた。ああ、臥龍館の剣術小町は終わっているなと。それを紫暮と鳥羽はにらみつけた。

 

 

数日前、臥龍館に霧島がやってきた。彼は美冬を見舞いに来たのだ。手には細長い袋を持っていた。

「美冬さんに見せたいものがあるのですよ」

そういって霧島は袋から細長いものを取り出した。それは竹で作られた、針のように鋭い剣であった。

「この間言った西洋の剣術で使うものです。これで相手を突くのですよ」

霧島は楽しそうにしゃべっていた。正直美冬は以前会ったときとは別人だと思った。この男は前は体が弱そうな、紙のようにぺらぺらで風が吹けば吹き飛んでしまいそうな印象であった。

ところが今のこの男の印象は、胴着と籠手を身につけたような、ふっくらとした感じがした。頬も前は障子のように真っ白で薄っぺらい感じだったが、今では朱が射し何重にも重ね着した感じであった。

美冬は早く帰ってもらいたいのと、婚約を取り消してもらいたいので、この男を徹底的に痛めつけてやろうと思った。大川での不祥事をこの男にぶつけて、ストレスを解消しようと思った。

美冬は木刀を手にしていた。霧島は竹で作られた針のような剣を片手で構えた。剣を水平に構え、美冬を狙っている。不思議な構えであった。目付きも女形みたいななよなよしたものではなく、猛禽類が獲物を狙うような目付きであった。

美冬が先に動いた。しかし、霧島は足を一歩踏み出し、剣を持つ手をバネのように伸ばした。剣は美冬の喉元をぎりぎりまで突いていた。

美冬は動けなかった。こんな細い竹の剣などすぐ切り払えばいいのに、それができなかった。霧島の目が美冬を捕らえていた。まるで視線という縄が美冬の身体を蛇のように巻きついているようだった。

「・・・まいりました」

美冬は敗北を認めた。それ以上に霧島の変貌振りに内心驚きを隠せなかった。

霧島は楽しそうにしゃべった。自分は美冬に相応しい男になるために、フェッシングの訓練を繰り返した。病弱で食が細かったが、力をつけるために無理やり飯を食べた。吐きそうになっても戻さず、肉になるのを待った。

もちろん、飯を食べただけで身体が丈夫になるわけがない。すべては霧島の美冬に対する想いであった。彼女のために強くなろうとする気力が病弱な彼を頑丈な体にしたのである。

美冬は途端に情けなくなった。健康な自分より、病弱な霧島が強くなった。想いというものがこれほどまで人を強くするのかと、そして、霧島を見下していた自分に腹を立てていた。

男に負けたくない、男に舐められたくない。そう思って剣一筋で生きてきたはずだった。

それがどうだ。今では男を見下し、馬鹿にしている。自分にされたことを、今度は自分がやっているのだ。

お笑いだ。お笑いではないか。落語もオチは同じはずなのに、面白い。落語と同じだ。人の人生は語り手によって笑えるのだ。

アハ、アハ、アハハハハ。

モウドウデモヨクナッタネ・・・。剣を握るより、酒でも飲んでいたほうがイイヤ・・・。

ゲラゲラゲラ・・・。

風景がぐにゃりと歪んでミエルネ・・・。耳の中から蜂がブゥンブゥンと羽音を立ててるヨ。もう頭がグチャグチャダネ。世界がグニャグニャに歪み、色彩がすべて灰色に変わっていくようだった。

エヘエヘエヘ・・・。

目の前が真っ暗になった。そして意識がぷつんと糸が切れたように飛んでいった・・・。

 

 

ぐらぁん、ぐらぁぁん。

身体がぶるぶる震えている。いや、自分が揺れているのではなく、地面が震えているのだ。まるで大地が3歳の童子のように雷のように泣いているようだ。

美冬は目を覚ました。するとそこには信じられない光景が広がっていた。

そこは軍であった。鎧にほら貝、火縄銃に槍を抱えておらず、ぴかぴかに鏡のように磨かれた鎧と、待ち針のように鋭くキラキラした槍を掲げながら、きらびやかな旗を掲げ、真っ白な馬にまたがりながら、怒声をあげる。

周りは人人人・・・。地平線もびっしり人が埋まっていた。人から発生される熱気が肌にまとわりつく。実際はそんなものは感じないはずなのだが、そう思わせる迫力があった。

昔の合戦みたいだが、全く違う。いったいここはどこなのか?

「ここは・・・、どこだ?」

「ここは戦場です」

美冬の後ろから声がした。美冬は振り向くとそこには自分と同じくらいの女の子が立っていた。違うのは髪の色が金色で翡翠のような青い目をしていた。

「戦場だと?」

「はい。わたしが主導になって、繰り広げた戦争です」

彼女が主導?信じられない。自分と同じ年なのに。

「わたしは国民にラ・ピュセルと呼ばれていました」

「ら、らぴせる?」

聴きなれない単語に思わず舌を噛んでしまった。少女はくすっと軽く笑った。

周りの兵士たちは口々に「ラ・ピュセル、ラ・ピュセル!!」と叫んでいた。兵士たちの視線の先には一人の少女がいた。彼女は高い丘の上に立ち、不釣合いな鎧を着て、旗を掲げていた。

「そういえば、お前は誰だ。いったいわたしはなぜここにいるのだ?」

自分は確か酒を飲んで酔っていたはずだ。まさか、酒の飲みすぎでぽっくり死んでしまい、あの世に来てしまったのだろうか?

「あの世というより、この光景はわたしの記憶の中です。わたしは呼ばれ、あなたの身体に降りました」

「降りた?まるで口寄せみたいだな」

口寄せとは死んだ人の霊をその身に降ろして語らせる技だ。しかし、自分は口寄せなどしたことはない。なぜ彼女は自分に降りたのだろうか?もっとも美冬自身霊を呼びやすい体質であることを彼女は気付いていない。

「それよりもここはどこだ?戦場なのはわかるが、日本でない子とは確かだ」

「はい。ここはフランスです。この戦争はイギリスと戦っていまして、もう92年も続いているのですよ」

少女の言葉に美冬は青くなった。92年?戦国時代でもそこまで長引いてない。

少女の言う戦争は1338年から1453年まで続いたイギリスとフランスの百年戦争のことを言っているのだろう。

「わたしは騎士です。一年ほど戦場に出ました。その後イギリスの捕虜になり、数ヵ月後に魔女の烙印を押され、火あぶりの刑になりました」

「ひどいな」

「いえ、もともとわたしが望んだことです。天使様がお告げを下さったのです。戦争は祖国が勝利し、和平が成立すると。そしてわたしを400年後の未来へ送るとおっしゃられたのです」

「よっ、400年!?」

とんでもない年月だ。しかし、ぴせるの表情は明るい。暗さとはまったく縁がなさそうな、野花のように風に吹かれるような爽やかさであった。

「実のところわたしにはその実感はありません。気付いたらあっという間にすぎてしまった感じですね。わたしは一度あなたの身体を通して世界を見ました。あなたの住む時代はわたしの時代によく似ています。

それに天使様はわたしの望みを叶えてくれました」

彼女は太陽のような笑みを美冬に向ける。

「望みだと?」

「それは友達です」

友達?そんな当たり前のものを彼女は持っていないというのか?いや、それを当たり前だと思っていたのか?

「あの時代ではわたしはピュセルと呼ばれていました。人々から神の使いとみなされ、崇められました。ですから友達はいませんでした。いなくなってしまいました。

天使様はおっしゃられました。この時代では普通の女の子として花を摘み、友達と語ることはできなくなるけど、死後の世界ではその望みが叶うと。天使様は望みを叶えてくれました。

ミフユ。あなたという友達と出会えたのですから」

会って間もないのに友達と呼ばれるとは。少女は美冬の手を握る。暖かかった。彼女は満天の笑みを浮かべている。切支丹の言う聖母まりあのような笑みだろうか。その笑顔につられて美冬も笑う。

「さあ、戦いに赴きましょう。龍閃組のみなさんも待っていますよ」

「龍閃組だと?」

「はい。今龍泉寺というところで、かとうあらためという組織に囲まれています。その中心がまつだいらかたもりと言う人らしいのです。彼らも友達です。救いに行きましょう」

かとうあらため、火付盗賊改め方のことを言っているのか。そして松平容保だと?京都守護職のことか?なぜ彼が龍泉寺にいるのだ?

しかし少女の手は堅く美冬の手を握る。そして光の道に進んでいった。不思議に不安はなかった。ぴせるの握る手はなぜか安心できた。まるで出会ったことのない母親の手を握っているようだった。

 

 

その後のことは多くは語るまい。美冬はその後龍閃組に入り、全ての事件に決着をつけた。

あとは美冬のその後を語ろう。

美冬は明治維新後、霧島を婿に迎えた。娘の花嫁姿を観た父親は感涙のあまりショック死してしまった。死に顔は恍惚の笑みを浮かべたままであった。大往生であった。

父亡き後、臥龍館を桧神道場と名を変えた。そして明治政府の剣術師範を務めるようになった。当初は幕府と関わりが深かったため、周りに人間に反対されたが、彼女の技の冴えは反論を押さえ込んだのである。

そして美冬は二人の子供を産んだ。二人とも女の子であった。しかし、ここで意外な事件が起きた。

霧島の兄が世継ぎを残さず事故で死んだ。階段から足を踏み外し、頭を打ってそのまま目を覚まさなかった。

あまりにあっけない死に様であった。病弱な弟が長生きして二人の子宝を授かったのに、健康で丈夫な兄は子を残さずこの世を去ったのだから、皮肉である。

そこで美冬の次女を養女にやった。そして門下生の紫暮主税も兄が鳥羽伏見の戦いに挑んで死んだため、養子先から呼び戻され、家督を継ぐことになった。

さらに十数年後、美冬の長女は婿を向かえ、子供を二人産んだ。そして2番目の子は紫暮家の養子になった。

鳥羽は心形刀流の道場を開いた。

その後大正12年に関東大震災が起きた。そして第弐次世界大戦では東京大空襲で炎に包まれた。それ以降交流は途絶えてしまった。

桧神道場は時代の荒波に揉まれ、消えた。何より剣よりピストルの時代に突入してしまったからだ。無理に剣術を使わずとも、拳銃かまえりゃ話は早い。

美冬の子孫である桧神神楽は1998年の戦いには参加しなかった。当時は小学生だったからだ。本格的に彼女が関わるのはその6年後である。鳥羽の子孫である鳥羽美鈴も事件に巻き込まれた。

しかし、彼女の遠い親戚はその戦いに参加していた。

ピセルの騎士の心は霧島諸羽に。

もう一人の自分を生み出す力は紫暮兵庫が受け継いでいたのだから。

 

終り

戻る

 

あとがき

 

美冬の話は霧島と紫暮ありきです。

霧島は洗礼や流し斬りなど、ぴせるの技を会得しており、紫暮は宿星が同じ信星だからです。それだけで執筆しました。

でも美冬もある意味二つには分かれないけど、多重人格に近いと思います。こじつけではありますが。

長引くと思ってたけど、案外早く片付いてよかったです。

 

2009年11月14日