プリニウス (ローマ) |
23?〜79 |
ローマの学者。おいのプリニウスと区別するために大プリニウスという。 (おいは小プリニウスという。) 北イタリアのコモに生まれ、ローマで教育を受けた。ゲルマニアでは騎兵隊長(きへいたいちょう)をつとめ、その後、ガリア・アフリカ・スペインなどの統治者となった。皇帝ウェスパシアヌスと親交(しんこう)を結び、政治家・軍人としてイタリア各地で活躍(かつやく)した。 政治家・軍人としての忙しいあいまに、読書をして新しい知識の吸収(きゅうしゅ)に励んだ。そして、地理学、植物学、動物学、医学、鉱物学などをまとめた「博物誌」37巻を書き上げた。 【古代のギリシア世界】 軍人としても活躍し、最後にはローマ海軍の提督(ていとく 司令官のこと)になった。79年のベスビオ火山の大噴火(だいふんか)の時にポンペイの住民を救助しようとして、その有毒ガスに飲み込まれ、窒息死(ちっそくし)した。 |